HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

星に願いを…の巻

2014-10-22 16:30:19 | 日記・エッセイ・コラム
ババの葬儀の後、度々、実家に通う羽目に。

まあ、歩いて3分ぐらいなんだけどね。

で、いろいろ後片付けをしてたら、こんなモノが出てきたよ。



俺の母校で、今、ショーネンが通う学校の記念品。

小中一貫校でありまして、俺様が入学した際にもらったようだ。

あれから38年経つわけですな。


ババは相当な教育ママ。

自身がボンビーで大学に行けなかったため、姉や小生にえらいこと力を入れました。


姉の場合は3歳からピアノ。

それもガチで。

ウイーンだなんだへの留学寸前まで行きましたw

「指が大事だから、バレーボールはやっちゃだめ」「レッスンがあるから、文化祭はほどほどに」なぞ、めんどくさそうな日々。

大変だなあ、って、バカな弟は思ってたのさ。


俺の場合も、ピアノ、習字、絵画教室、そろばん、スイミングスクールと、習い事の嵐。

ただ、それぞれ面白かったので、なんの苦にもなんなかったけどね。

で、今と違って、昔はまあまあ賢かったってことで、フツーに中学受験。

上記の学校に入りました。


その際、ババは喜んでたなあ。

「HAPPYMANちゃん、学院は風呂敷で通うんよ!」なぞと手放しで。




身もふたもない話だけど、彼女にとって、娘や息子は自己肯定のためのツール。

で、あれば、「ピアニスト」や「いい学校」っては不可欠であり、大好物だったんだろうね。






まあ、同じことをやってるって言えば、俺もそうなんだけど…

http://blog.goo.ne.jp/19960408/e/9147e75b9c19d6dd74e1af805b16648a


ババに話を戻せば、後生大事にこれを保管していたって事実はある。









俺に愛情を注いでいた面も否定は出来ないかもなあ。


そんなババの「グリップ」、結果的には強かったです。

TOKIOで就職するつもりだった俺様は結局、地元の企業で働いているんだもん。




「広島の会社もひとつぐらい受けて!」ってババに懇願され、渋々受験。

一次試験の結果も聞かずに、ダチのいる博多へとんずらしたわけだけど、ここからが凄い。

ババの執念だ。


三、四日経って、何となく実家に電話したら、彼女が半狂乱。

「HAPPYMANちゃん、明日が2次試験よ。頼むから帰ってきて!」

俺様 「もういいじゃん、俺、TOKIOで働くしぃ」

ババ 「いいから、一生のお願いだから!」


まさか通るわけがないとたかをくくってた俺様ですが、その無欲さがウケたのか、そーゆーことに。

そして今、日夜、こーゆー次第です(笑)




同じような二つの箱を見ると、なんだかババの「思い」が伝わってきます。




ありがたくも迷惑なそんな思い。

ショーネンには感じさせたくないので、わが家は徹底した放任主義ですなあ。





それを思うと、ショーネン、ババに感謝しなくちゃね。ぷぷぷ。