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『江戸のUFO?「うつろ(虚)舟」(久し振りの夢のある話題?)』 ―この記事を読み、UFOの実在を信じられるかと思ったのですが?ー

2022-01-01 09:58:01 | 科学・数学・物理

      『江戸のUFO?「うつろ(虚)舟」(久し振りの夢のある話題?)』

  『この記事を読み、UFOの実在を信じられるかと思ったのですが?』

うつろ船に関する古文書・記録等は、すべて江戸時代のものですが、乗り物のデザインと描かれた人物の服装は、西洋人の女性に見えます。 

弘賢随筆に描かれた「うつろ舟」(国立公文書館所蔵)

ウエブ情報から引用

コロナ禍のもとで、久し振りに夢のある話題でした。 日経新聞文化欄(20201106付け)に田中嘉津夫氏(岐阜大名誉教授)のエッセイ『江戸のUFO?「うつろ舟」―茨城に残る美女が乗った漂着船奇談、文献探し当て謎に迫るー』が載っていました。 この記事を読み、いままで如何しても理解できなかった古代史の不思議なことに益々興味が湧いてきましたが疑問が残りました。 

先ずは、記事の抜粋・引用です。

『江戸の後期1803年のこと、常陸国(茨城県)の海岸に円盤状の船が漂着した。 その中には美しい女性がひとり乗っていた―――。 まるでUFO遭遇談のようなこの事件は「常陸国うつろ舟奇談」と呼ばれる。 現在までに11種14編の古文書で確認されており、いずれも現代のUFOそっくりの船の挿絵入りという特徴がある。

当時この事件の文献として判明していたのは「南総里見八犬伝」で有名な曲亭馬琴らが書いた奇談集「兎圓小説」(1825年)と長橋亦次郎の随筆集「海の塵」(1844年)の二つだ。 「兎圓」の記事には三角形や丸をかたどった謎の「宇宙文字」4文字も記されている。

「宇宙文字」4文字(この文字とカタカムナ文字がとてもよく似ている)

ウエブ情報から引用

カタカムナ文字(カタカムナ文字は少なくとも12,000年以上前に使われていた古代文字であり、現在では失われていて詳しい資料も残っていない。)

ウエブ情報から引用

うつろ舟はうつぼ舟」とも呼ばれ各地に漂流伝説が残る。 柳田国男は1925年に論文「うつぼ舟の話」で「兎圓」は各地の伝説であり、実際事件ではないと断じた。 2007年にはネットを通じて「漂流記集」を知る。 これは日本人の漂流と外国人の漂流事例を記録した実話集だ。

その後も数年ごとに新資料の存在が明らかになり、そのたびに現地に駆け付けた。 そして14年。 ついに画期的な文献に出会う。 それは甲賀流忍術を伝える伴家の古文書で、各地の出来事を尾張藩に報告する風文禄と目されるもの。 

ここに記録された「常陸原舎り濱」は伊能図にある実在の地名だった。

挿絵はどの船も球形で、窓らしきものが3つ。 中央に縁があり下部は筋金で補強と、構造は同じだ。 何の証言もなく、この形状が発想され、共通するものか。

深まる謎の黒幕と私が考えているのが「兎圓」の馬琴だ。 茨城県には、インドから「うつろ舟」に乗ってやってきた金色姫が養蚕をもたらしたという伝説もある。 この養蚕信仰を伝える星福寺と馬琴の関係は深い。

 

また「兎圓」に記された宇宙文字は、謎の「蘭字枠」で縁取った風景画と近似しておりこの絵の作者・渓斎永泉は南総八犬伝の挿絵を描いている。 馬琴の足跡がうつろ舟奇談の周辺に見付かるのだ。 昨年調査をまとめた英語版の研究書を刊行した。

ウエブ情報から引用

一方、ウエブ情報ですが、次のようにありました。

最も著名な事例が後述の1803年常陸国のものであるが、それ以外にも1796年加賀国見屋のこし1681年尾張国熱田沖越後国今町、正徳年間伊予国日振島、1883年神戸沖などの記録がある。

虚舟の伝説の中でも最も広く知られているのは1803年に常陸国に漂着したとされる事例である。 この事例に言及した史料は現在までに7つが確認されており、内容には若干の異同がある。 その内容は概ね以下のようなものである。

  • 享和3年(1803年)、常陸国鹿島郡にある旗本(小笠原越中守、小笠原和泉守などとされる)の知行地の浜に、虚舟が現れた。
  • 虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸っこい形をしている。
  • 虚舟には文字のようなものがかかれている。
  • 中には異国の女性が乗っており、箱をもっている。

2014年5月26日付けの「茨城新聞は川上仁一の忍術を伝える伴家の古文書から「うつろ舟奇談」に関わる史料があり、漂着地の実在地名が「常陸原舎り濱」(現在の神栖市波崎舎利浜)と記され、具体性があると岐阜大学の田中嘉津夫名誉教授が発見したと報じた。 江戸時代のUFO飛来事件ではないかとも言われている。

更に、次のような情報もあり、これからの課題が残りました。

しかし、それよりも100年以上も前の1699年、尾張藩士・朝日文左衛門の日記『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』にも、熱田の海に「空穂船」が漂着したという、うつろ舟に非常によく似た話があるのです。

茨城県で見つかった絵に描かれている女性は、髪型や衣装を詳しく調べてみると、地元に伝わる「金色姫」の女神像とそっくりなのだそうです

ウエブ情報から引用

金色姫は、養蚕に関する伝説に登場し、繭(まゆ)の形をした舟で海に流されたという伝説まで残されています。

うつろ舟に描かれた文字は、宇宙文字ではない(「宇宙文字」4文字はカタカムナ文字がとてもよく似ている)

 ウエブ情報から引用

 「勢州桑名渡」の浮世絵(絵の枠に文字が描かれている部分は蘭字枠と呼ばれて、舶来っぽさを出すための演出と言われています。「宇宙文字」4文字のカタカムナ文字がとてもよく似ている)

うつろ舟も乗船していた女性と、その女性が持っていたハコも、うつろ舟の設計もデザインも、謎が深まり、疑問・課題が残った。

(記事投稿日:2020/11/07 #242)


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