知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『広東語のこと(広東語は俺が一番という仲間に聞く「打架」と「黐線」)』 ―広東語の香港で国語の北京語をマスターしようとした愚かさ!-

2023-09-07 18:34:00 | 外国

『広東語のこと広東語は俺が一番という仲間に聞く「打架」と「黐線」)

広東語の香港で国語の北京語をマスターしようとし た愚かさ!』


「打架(タ―ジャー・日本語の殴り合い)」と「黐線(チーシン・日本語のバカ、とか、頭がおかしい、短絡、ショートサーキュット」この二つの広東語を発音して、漢字で書いて、香港滞在経験のある広東語自慢の仲間や、友人の方々によく尋ねたことがありました

昔、お世話になった会社の仲間に一人だけ即答された方が居りました。 その方は、学生時代には香港新界沙田の中文大学(当時、世界的に知られている香港島側の香港大学ではない)広東語の大学に留学経験がありました。

 

香港中文大学(在香港新界沙田)

ウキペデイアから引用

 

香港で、広東語を習うために見た広東映画が殆どは国語北京語、当然字幕も、でした。 北京語は広東語の荒々しい話し方より優雅でした。 東京の山の手言葉に相当する北京語に魅せられて、香港の事務所に駐在、現地代理店に出向の、二足わらじにも拘らず、北京語を習いたくなりました。

 

台湾の外交関係駐在員の奥様である先生を紹介頂き、憧れの優雅な北京語を習い始めました。 語学オンチの悲しさ、数カ月で引導を渡されました。 台湾美人の先生の一言、『広東語の習い始めで、上手くなり始めです。 そこで、北京語を習うのは大変ですので、広東語へ集中するのが良いでしょう。』と、ふか―く、語学オンチを再確認しました。 友人には、スペイン語とポルトガル語の、似たもの両方を完全マスターしている方がいます。

 

北京語を習い始めたころに、もう一つの経験がありました。 日本の最大手の造船会社の香港代理店『源太公司』の会長『澤民(号だけにさせて頂きます)』に週一回『国際情勢(主に戦争)』の勉強に通ってました。 交換条件は大邸宅の電気設備(ほとんどがドイツ製)のケア担当でした。

 

この方曰く、『広東を含む江南地方が大飢饉のときに海外に移民したのが華僑で世界に広東語を話す広東人は数億人いる。 特に、世界には広東人が多いので、今の環境を生かして、広東語をマスターした方が良いでしょう。』と

 

当時のデータでも母語が国語北京語が約10億人、広東語は約1億人とくらいと言われていましたが、実際にはもっと広東人は多かったような印象です。 経験からですが、特に海外の中華料理は広東料理が多く、世界(米州・欧州・中東・アジアのどこでも)のほとんどの中華料理店では広東語が通じました。

 

前置きが長くなりましたが、表題の『広東語のこと(広東語は俺が一番という仲間に聞く「打架」と「黐線」)』に戻ります。

 

「打架(タ―ジャー・日本語の殴り合い)」

半世紀も昔のことですが、香港でドイツ車オペルのリカルドクーペ、2ドアに乗ってました。 このモデル、日本では歌手の松尾和子が乗っていたと当時の週刊誌で紹介されていました。 

 

ある日の夜中に、この車で、道路照明のポストに激突の大事故をやりまして、ハンドル(ショックアブソーバータイプでない)に顔をぶつけ、両目の間の鼻梁を3針、左目の上瞼を5針縫いました。 翌日、術後は見るも無残に腫れあがりましたが、車の保険手続きのためにセントラルの香港警察に行きました。

 

無様な姿を見た警察は、即、『刑事部』に回してくれました。 その時の質問が広東語で『何人と「打架」したか?』聞かれまして『一人で』と返答したら、喧嘩と思った『刑事部』では旨く通ぜず、押し問答の上、『交通部』回されて、一見落着でした。

 

「黐線(チーシン・日本語のバカ、とか、頭がおかしい)」

シンガポールの子会社(電気製品の製造と輸入販売)に出向していた時のこと、年に一回の最大のエベント『クリスマスパーティー兼忘年会』がありました。 ある年『かくし芸大会』の審査員を仰せつかり審査員席で、シンガポール大卒の才媛部長と二人並んで審査をやりました。 

 

参加は数チームですが、多種多芸の採点、絶対評価などできませんし相対評価も大変難しかった記憶があります。 この後に、簡単なクイズ番組がありました。 賞品・電気製品が良いので『クリスマスパーティー兼忘年会』の目玉でした。

 

このクイズ番組に、審査員の大役が終わった直後でしたので、『幹部社員は回答は遠慮すべき』をすっかり忘れて、ある質問に挙手をしてしまいました。 質問は『私たちの会社が製造・販売している電気製品に関係がある広東語です。 「頭のおかしい人やおかしい状態」を広東語でなんと言いますか?』でした。

 

司会者・出題者は目の前の審査員席に座ってる日本人の出向者が手を挙げたので『なんか、多分誤解してるな』と思いながら、『オーケー、これは最高の余興にと』指名してきました。 英語で答えました『それは広東語で「黐線」チーシン・ショートサーキュットのことでしょう』と。 一瞬静まった後の拍手、内心留飲を下げましたが、日本人の『遠慮で控えめ』を忘れた瞬間でした。

 

新型コロナウイルス感染症『COVID-19』と、新型コロナウイルス『SARS-CoV-2』などを想像すらもできなかった半世紀も前のお話です。

(記事投稿日:2020/12/19、最終更新日:2023/09/03、#261)


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