◎おい、ダグラス・マッカーサー知ってるか
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月三日の日誌を紹介する(六九~七一ページ)。
四月三日 (火) 晴
今日も午前八時半を回って起床する。午前八時に下番した田原候補生はよく眠っている。【中略】
午後四時、上番する。隊長も上山〈カミヤマ〉少尉も定まった席におられる。下番者田中候補生と上下番の挨拶をきちんとやる。「まったく異常ありません」と報告され、申し送り簿を受ける。昨日、敵機来襲があったせいか、今日は静かな一日の模様であった。
隊長は腕組みをしてじっと考えておられる。上山少尉は、手帳に小さな文字で書き込んでいる。
午後五時、ニューディリー放送が流れてくる。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、ダグラス・マッカーサーが米太平洋陸軍総司令官に、バックナー中将が沖縄軍司令官に任命されました。繰り返し申しあげます。…………。――
隊長から、「おい上山。ダグラス・マッカーサー知ってるか」と問われ、上山少尉は即座に、「西暦の一九〇三年、陸大を首席で卒業したと聞いています。第一次大戦では参謀将校として欧州におり、たしかこの戦前は在フィリピン極東軍司令官でした。今次の戦争ではバターンの要塞からオーストラリアヘ退却し、南西太平洋連合軍総司令官に就任。この年(西暦の一九四二年)後半からもり返して来ており、太平洋陸軍司令官といっても、別に新しい任務でも何でもありません。バックナー中将という人物は、まったく知りません」と答えられた。
それにしても、上山少尉の博学と知識の豊富さには驚かされる。何でもじつによく知っておられる。安東兵長から前に聞いたが、上山少尉は、陸軍航空士官学校の五十七期生で、戦闘機でも爆撃機でも何でも操縦する腕を持っていると聞いたことがある。どうして航空清報連隊情報室に配属されたのであろうか。【後略】