礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦艦大和以下十隻の艦隊全部が沈没しました

2016-04-08 05:36:48 | コラムと名言

◎戦艦大和以下十隻の艦隊全部が沈没しました

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』の四月八日・九日の日誌(一九九~二〇〇ページ)、そして『原爆投下は予告されていた』の四月八日・九日の日誌(七九~八一ページ)を紹介する。

『永田町一番地』
 四月八日
 昨夜、鈴木首相は、東郷茂徳氏と会談した。予期された外務大臣の選任である。
 入閣交渉を受けた東郷氏は首相に対してまづ、いかなることをもつて組閣の方針とされたか、この内閣の根本方針はいかなるものであるか、を質した〈タダシタ〉。それについて鈴木首相は戦争終結の内閣の気持ちでゐる旨を答へた。然し戦争終結の問題は結局において戦局の推移に表裏する関係に立つ。東郷氏と鈴木首相の間には、そこで、戦争についての意見が交換された。鈴木首相の考へでは戦争はなほ三ケ年位続き得るだらうといふことである。東郷氏は近代戦の性格と特質を説いたが、首相はそれでも、二年位大丈夫だらうといふことであつた。とに角、戦局に対する気持ちが一致しなければ、外交をやるにも、その基本がないわけである。東郷氏の入閣を期待する首相と東郷氏とは、押し問答のまま、お互ひに考慮を約して、昨夜の会談は終つた。

 四月九日
 東郷氏は今日、鈴木首相を訪ひ〈オトナイ〉、先に述べた意見に同意を得たので入閣を承諾した。岡田大将はじめ、木戸内府、外務先輩その他の激励によつて、入閣の決意を固めたのである。この時、東郷外相の心中には速かなる戦争終結を深く期するものがあつたのであらう。

『原爆投下は予告されていた』
 四月八日 (日) 晴
 日曜日は勤務交替の日で、今週は田中候補生の休日の番だから、自分が昨夜十二時まで勤務したが、今日は午前七時に起床し、朝食をとり、服装をととのえて上番する。下番者田原候補生は三勤となるため早く休むように命ずる。【中略】
 午前十一時、今までの静けさを破ったものは、ニューディリー放送であった。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、日本海軍第二艦隊の戦艦大和以下十隻の艦隊全部が沈没しました。四月六日午後十一時三十分、米潜水艦は瀬戸内海から出て間もなくの地点すなわち豊後水道において、沖縄戦線に向かわんとする戦艦大和を旗艦とした巡洋艦矢矧〈ヤハギ〉、駆逐艦冬月、磯風、浜風、雪風、朝霜、霞、初霜、涼月の十隻を発見し、直ちに無線で報告した。潜水艦よりの報告を受けた米軍の第五艦隊司令長官は、艦隊同士による砲撃戦になると予測し、第五艦隊の出撃準備命令を発した。一方で航空部隊ミッチャー中将にも報告した。ミッチャー中将指令による米軍哨戒機は四月七日午前八時、大和以下十隻の艦隊を確認し直ちに通報。この通報に基づき七日午前十時十八分、三隻の空母より、第一次攻撃隊戦闘機百十機、雷撃機百機、爆撃機五十機の合計二百六十機で攻撃命令を、さらに午前十一時、同様の構成で二百八十機の攻撃命令を第二次攻撃隊として進撃させた。午後一時、第三次攻撃隊として同様の構成で三百機の攻撃命令を出した。大和不沈。最後として午後二時、第四次攻撃隊を雷撃機の機数を増やし、攻撃機三百五十機をもって攻撃の末、大和は午後二時二十三分、沈没しました。大和と共に矢矧、朝霜、浜風、霞、磯風の五隻も同場所で沈没しました。残る冬月、初霜、涼月もすでに大破が確認されており、沈没もまぬかれないものと見られております。繰り返し申しあげます。…………。――
 無敵戦艦「大和」の名は、娑婆〈シャバ〉のころから聞いていた。沖縄が艦砲射撃を受けたときに大和が出てきて蹴ちらかしてくれれば問題ないんだがと思った。その大和がと思うと、日本海軍には艦船は何が残っているのか、異常なまでに不安を感じた。
 戦艦大和沈没の大ニュースで、午後の情報室はまったくの沈滞ムードにつつまれ、上山少尉はまったく自分に対しても一言も喋らず、黙々として手帳を整理している。
 自分は先ほどの放送があまりに長く、とくに第五艦隊司令長官の名をアールスプーンといったか、スプルーアンスといったか聞き逃し、報告書に名前抜きで書いたり、長文になればミスが方々にあったようだったが、おおよそニュース通りには記録できたと思っている。とにかく午後も静かだった。【後略】

 四月九日 (月) 雨
 朝からの雨である。そういえばかなり晴れた日がつづいたから雨もよいだろう。昨日、下番後に全部洗濯をしたのは本当に助かった。
 午前八時、勤務に上番する。田中候補生よりはとくに申し送り事項なく下番する。午前中も静かである。
 重慶蒋介石軍は、雨のときには絶対にといってよいほど空襲はかけない。
 正午、NHK放送のニュースが流れる。
 ――昨四月八日、大日本教育会は陸海軍両省へ各百三十万円献金し、戦闘機「全日本学徒号」献納運動を完了したと発表した。総計三百五十万円集まった。また昨日付で陸軍に総軍、航空総軍の両司令部を設置し、総軍司令官には杉山・畑両元帥が就任し、航空総軍司令官は河辺正三大将が就任したと発表しました――
 雨の日とあって、隊長も上山少尉も情報室には見えない。【後略】

*都合により、明日は、コラムをお休みします。

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