◎マラリアで熱が41度5分、昏睡状態となる
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月一七日の日誌を紹介する(九一~九二ページ)。なお、『永田町一番地』は、四月九日のあと、四月二八日まで、なぜか日誌が飛んでいるので、次回の紹介は四月二八日になる。
四月十七日 (火) 晴
午前零時、上番する。下番者田中候補生の報告によれぼ、「ニューディリー放送では沖縄県伊江島に昨日、米軍が上陸したと放送しました」と。上山少尉の書かれた沖縄の地図の本部〈モトブ〉半島のすぐ西の伊江島。小さな島だから、周囲の艦隊から艦砲射撃をして、敵は上陸したのだろう。
アッツ玉砕以降、どうも日本軍はこういう島に孤立し、つぎつぎに大量の武器で攻撃されるから、島の軍は壊滅を繰り返している。
防御不能とあらぼ、転戦するようにすれぼ兵力も温存できる。もちろん安定した空軍、海軍の線があれば戦うべきで、このときは拠点となるも線が切れれば、点はまったく意味はなくなる。
この島でも制空権、制海権が充分であれぼ、敵前上陸なんてやすやすさせないのだがと考えられる。この島にもおそらく何百人、あるいはそれ以上の住民もいることだろうが、彼らも犠牲になるのかと思うと本当になさけないというか、やり切れない気持になる。
一人興奮していたが、隣室にだれもいなくなってから急に寒くなった。昨日の昼の入浴が影響して風邪でも引いたのかも知れない。午前二時、三時、今度は頭が痛い。ずきんずきん頭が割れるようでもある。寒く感じてから、部屋中の扇風機はみんな止めたが、まったく影響はない。だれかに交替してもらおうかと思ったが、みんな夜中よく眠っていることだし、朝まで頑張ろう。
五時ごろから、自分が自分でわからず机の上にうっぷす。幸いに電話はかかって来ない。七時の当番兵が食事を持って来て、自分の高熱に驚いて田中、田原を呼んで来た。とにかく田原に勤務を命ず。当番兵と田中で自分を抱えるようにして内務班に運んでくれる。熱も四十一度五分もあるというのが聞こえる。寒い、寒いというので、三人分の毛布をかけてくれた。田中が冷たい水をくんで来て、手拭で冷やしてくれているのがよくわかる。
だれかわからないが、「マラリアだ。キニーネ〔Quinine〕を四つから五つくらい飲ませて寝せといたら、三日で治るわ」といっていた。だれかが軍医か衛生兵を呼んで来たのだろう。田中は自分のキニーネを出して飲ませてくれたように思う。
ともかく自分自身、何が何だかわからないうちに昏睡状態となって眠り込んでいた。