◎人間、眠りすぎると夢を見るのか
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月一八日の日誌を紹介する(九二~九三ページ)。
四月十八日 (水) 曇
昨日の朝から丸一昼夜眠ったので、空腹をおぼえ目をさました。「よく眠った。今度は勤だ」と起きようとするが、まだ体中が痛い。熱を計るとまだ三十九度五分もある。田中が、「勤務は十二時間勤務で交替勤務しておりますので、どうぞ班長殿はゆっくり休んで下さい」という。
「貴様、下番したんやったら、おれにかまわず早く寝ろ」というと、
「班長殿、朝食がおいてあります。朝食だけ食べて下さい。食べられたら、食器【メンコ】返納に行って来ます。昨日も班長殿の食事はずっとおいてましたが、新しいのが来たつど、古い分を返してました」と言われるままに食事をしてまた眠ってしまう。今日もキニーネ五錠呑む。
人間、眠りすぎると夢を見るのか。昨日だったか点と線のことを考えていたせいか、自分が山根になって小高い岳の上で部下を連れて監視していると、どこからともなく沢山の支那人が取り巻いていて石を投げだし、果ては支那軍が火砲をもってやって来た。こちらは小銃二丁のみ。みんなつぎつぎに斃れ〈タオレ〉、自分(山根)もやられて目が覚める。
点と線、ひとしきり考える。監視所はその地域の部隊の一隅を貸りるように作るべきで、現状がどうなっているか。もし独立しているようなところがあれば、早急に改善するように意見具申したい。
午後五時、体温はまだ三十九度近くもある。
「山根」というのは、黒木勇治伍長と同期の軍人。この本の最初のほうに名前が出てくる。
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