礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

事態を真面目に検討するの意思がない(緒方国務相)

2016-04-06 07:26:49 | コラムと名言

◎事態を真面目に検討するの意思がない(緒方国務相)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『永田町一番地』から、四月五日の日誌の後についている「註」および四月六日の日誌を紹介する(一九四~一九七ページ)。
 なお、この「註」は、四月四日の日誌の「繆斌問題(註)」に対応するものである(当ブログ、四月四日のコラム「小磯内閣の瓦解と菊水一号作戦」参照)。

(註)
 小磯総理の命を帯びて中支の情勢視察に出掛けた山縣〔初男〕大佐が、偶然にも繆斌と相会し、やや具体的な案を持つて帰へつて来たので、小磯総理はまづ外務、陸、海軍と諒解の上で、情報入手の名目をもつて繆斌を呼ぶことに決した。しかし陸軍は依然極めて消極的で、飛行機の手配等一向に捗らない〈ハカドラナイ〉。然らば代案があるかといへば何等の見通しを持つてゐない。結局、小磯総理からの督促によつて飛行機を用意し、繆斌は単身羽田に飛来した。はじめ繆斌の計画は無電技師その他七名の一行で東京から直接、重慶と連絡することになつてゐたのである。
 小磯総理はその位置上直ぐ繆斌と会見することを控へたいといふので、僕〔緒方〕が代つて二日に亘り種々、繆斌の意向を叩いて見たが、彼れは蒋介石主席よりの電文写しその他の証拠品を所持してをり、彼の有する案についても重慶の意向が明瞭にされてゐた。勿論、日本としても、対中国政策の百八十度転換であるから、繆斌の提案をそのまま呑むことは内外の事情困難であるが、所謂重慶工作を開く基礎には充分であると考へた。そこで僕は一切を小磯総理に応答し、場合によつては僕自身重慶に使してもよいと言ふと小磯総理は非常に乗気になり、それでは最高戦争指導会議を開くから一つ原案を用意し、且つ君も会議に出て呉れとのことだつたので繆斌の提案たる、南京政府解消、停戦撤兵、引継機関としての留守府開設案とともに「専使を派遣し蒋介石の真意を確むべき」旨の意見を附して原案を用意した。然るところ、最高戦争指導会議に於ては重光〔葵〕外相まづ南京清水書記官の情報に基いて真向〈マッコウ〉よりから反対(繆斌の経歴を述べて信用すばからずとするもの、周彩なる名を用ゐて態と〈ワザト〉繆斌といはず)し次いで杉山陸相、梅津参謀総長、及川〔古志郎〕軍令部総長、米内海相も皆反対又は賛否を留保し、会議は極めて白けた空気の中に散会した。要するに最初より事態を真面目に検討するの意思がないのである。
 僕は事の余りに不可解なるを見て、最初から熱心に此工作を支持せられたる東久邇宮〔稔彦〕殿下に以上の顛末を申上げ一方米内海相にも助力を求めた。殿下は、杉山陸相、梅津参謀総長を個々に招じ、熱心に事態の収拾を解説されたが、陸相、総長共に一向煮え切らなかつた。米内海相には僕自身、今や戦争のみを以てしては局面の打開は殆ど不可能である。万一敗戦の場合顧みて打つべき手が残されてゐてはお上に対し申訳ない次第ではないかと、切に海相の共鳴を求めたところ、海相は君の誠意は認めるが事〈コト〉茲に至つては内閣は最悪の場合に陥る外なからうとのことであつた。ここに於て、小磯総理は四月一日、参内した。超えて四月三日、陛下より改めて重光外相、杉山陸相、米内海相に対し御下問があり、三相等しく反対意見を奉答したため茲に小磯内閣の瓦解となつた。
 繆斌と重慶と如何なる関係にあつたかは今以て以て明白でない。が繆斌自身は初めより自分の権限は三月三十一日を以て期限とすること、自分は直接重慶を代表するものに非ず、重慶の代表者は目下上海に在つて総ての指示を与へてゐるのだと率直に語つてゐた。然しいづれにせよ彼が重慶との連絡を確保してゐたことは事実で、東久邇殿下は既に万一の場合を予想され、この路線を通じ対米交渉にまで発展せんことを熱心に期待され、僕も同様の考へでゐた。繆斌も亦米国の同意又は参加なき直接交捗の不可能なることは暗に語つて居り、沖縄失陥とともにソ連は必ず満洲に進出するといふ見透しで極度に焦つてゐた。勿論この工作完戒には非常の困難が予想されたが一種の囚はれた感情から全然着手されなかつたことは遺憾である。(緒方国務相談)

 四月六日
 大命を拝した鈴木首相は、悠々と組閣に取りかかつだ。永らく政治から離れてゐた鈴木首相は、大命を拝して、持ち駒を持つてゐるわけがない。鈴木首相の一身を貫くものは至誠尽忠〈シセイジンチュウ〉のみである。その念頭を去来するものは恐らく、未曽有の国難を如何にして突破するかといふことのみであらう。捗らない組閣のことなどは余り気にかけてゐない様子である。重臣が、鈴木大將を推したの-は、大将の不抜の信念と強い性格に期待したためである。国民にも、最高最後の内閣の首班としての印象を投じないではおかなかつた。
 この日、早朝、岡田〔啓介〕大将が鈴木大将の私宅を訪ねた。組閣に関し協議するためである。鈴木、岡田の会談で、まづ、陸海軍大臣の決定が先決である、との意見に一致し、午前中に使者が杉山元帥の許〈モト〉に派せられた。陸軍では阿南大将を陸相に推してきた。それで、阿南陸相が内定、午後、鈴木大将は米内大将の留任を求め、米内大将の承諾を得た。組閣第一日は主としてこの陸海両相の問題で暮れた。内相には、前陸軍次官柴山〔兼四郎〕中将、軍需相には賀屋興宣〈カヤ・オキノリ〉氏らが考慮されたやうであるが何れも、実現に至らなかつた。
【一行アキ】
 昨五日、ソ連のモロトフ外務人民委員はわが駐ソ佐藤〔尚武〕大使に対し、ソ連政府は、日ソ中立条約を延長せざることを通告した旨が発表された。日ソの中立条約は、締約国一方の破棄通告後一ケ年は有効と規定されてゐるので、名目的には来年四月二十五日に消滅失効する。然し実質的には、今の戦局から言つて、日ソ関係はこのソ連の処置によつて、破局の一歩手前に立ち入ることになつた。

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