◎TPPの承認と阿波丸事件請求権の放棄
一又正雄「阿波丸事件の解決について」(『判例時報』第二一巻第八号、一九四九年八月)を紹介している。本日は、その六回目(最後)。
あ と が き
以上に述べたように、本件の内容をなす請求権の放棄自体は、現在の国際法から見ても、戦敗国としては、あきらめるよりほかに仕方がないのである。それなのに、なぜ国民にいらずもがなの刺戟〈シゲキ〉を与えたのか。一国際法学者として私が一言付言したい所は、本件の解決が、国会における国際外交問題の処理として、まことに不手際であったこと、反対者の意見が国際法を理解しないで行われていることに対して、遺憾の意を表したいからてある。聞くところによると、講和条約締結前に、あえて本件のみがもち出されたのは、丁度〈チョウド〉当時米国の国会で対日援助費が論議されていたので、親善的効果をねらったものだということであるが、もし単純に本当に、そうならば、そして本件が最もそれに効果的だからこれを利用したいというならば、当事者は誠意を披瀝〈ヒレキ〉して(ついでに言うが、両院における提案理由説明者の朗読されたものはほとんど同一の型にはまったものであって、もっと個人的信念の表示されることが望ましい)国会の総意として決議を形成せしめるベきであった。共同提案にもって行こうとの企図が挫折したといわれているが、かかる感謝親善の措置が、国会の総意となり得ないならば、これを受ける相手国としてもあまり愉快ではないであろうから、効果は半減し、或は〈アルイハ〉事の次第では逆効果を生ずるおそれすらないとも限るまい。反対の人々の、権利は権利、感謝は感謝という意見も前述のように、この権利が早晩なくなるならば、感謝のために役立だせてもよいのであって、あえてこの証文だけはといった風に固執することもなかろう。しかし一方、野党としての反対のための理由なき反対か、或は背後に何かをひそめての反対は、吾人は知らないが反対することが判っているのに、辛うじて多数決で押切るよりは、何とかほかに効果的な方法がなかったろうかと、誠にその政治的貧困が残念でならない。 (筆者・早大教授)
今月一〇日、環太平洋経済連携協定(TPP)承認案・関連法案が、衆議院本会議で可決、参議院に送付された。
国会をめぐるこうした動きは、六十七年前の「阿波丸事件請求権」を放棄した国会決議を連想させずにはおかない。もちろん、案件は全く異なっている。今日の日本が置かれている情況と当時の日本の情況も全く異なっている。
にもかかわらず、両者の間には不思議な暗合がある。思いつくままに列挙してみよう。
一 国会を舞台にした動きであること。
二 アメリカを強く意識した政治的・外交的な動きであること。
三 その政治的・外交的な「意図」に、不透明なものがあること。
四 その政治的・外交的意図について、国民的合意がなされていないこと。
五 国会内に、議決に対して、強い異論があること。
六 その異論を押し切って、議決がおこなわれていること。
七 その議決が、政治的・外交的な「効果」を生むとは思えないこと。