◎多胡碑の文面は81文字か
昨日の補足である。豊国覚堂は、その論文「我が多胡碑に潜める羊氏と多治比氏との関係」(『上毛及上毛人』第二一号、一九一八年七月)の最後のほうで、「多胡碑の文面八十有一文字」ということを述べている。
ところが、今日、ウィキペディア「多胡碑」の項で、その文面を見ると、八十文字しかない。この一文字の差はどうなっているのだろうか。
ウィキペディアの同項によれば、碑の文面は、次の通り。
弁官符上野國片岡郡緑野郡甘
良郡并三郡内三百戸郡成給羊
成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
宣左中弁正五位下多治比真人
太政官二品穂積親王左太臣正二
位石上尊右太臣正二位藤原尊
改行は、碑の文面に従っているようである。
最初の行、片岡郡の岡は、原文では、「置」という字のカンムリの下に「正」がある異体字が用いられている。
同項には、拓本の写真も載っているが、文字数を確認できるほど鮮明ではない。
「多胡碑」も文字数が八一文字というのは、ありえないことではない。八一というのは、九かける九で、縁起のいい数字だからである。この文字数については、再度、資料にあたってみるので、それまでペンディングとさせていただきたい。
ちなみに、豊国覚堂の右論文が掲載された『上毛及上毛人』第二一号(一九一八年七月)には、「多胡碑」の拓本の広告が載っている。右論文のすぐあとである。
〇多胡碑碑記拓本
上毛及上毛人第十一号添付
代価三十五銭『無郵税』
『上毛及上毛人』の第一一号には、「多胡碑」関係の記事があると思われるが未確認である。