◎いちばん可哀そうなのは土肥原賢二だった
花見達二著『大転秘録』(妙義出版株式会社、一九五七)から、インタビュー記録「スガモ絞首刑の真相」を紹介している。本日は、その四回目。前回、紹介した部分のあと、次のように続く。
悠然たる東条英機大将
花見 Aクラス絞首刑の判決いい渡しはいつでした?
三文字 昭和廿三年〔一九四八〕十一月十二日だ。午後三時。
花見 法廷にひとりひとり呼び出して宣告したのですね。宣告の前、控室では東条が煙草ばかりポカポカふかしてしたとか、武藤章と佐藤賢了がさかんに碁をやっていたとかききましたが……」
三文字 いい渡しはアルファベット順でやった。
花見 荒木貞夫が一番先ですね。いい渡されて出てくると「オレは糸ヘンだ」といったとか。するとみんな絞首刑だとおもったら終身刑だったとか。東条はどうでした。
三文字 わたしはみなよくみていた。東条は軍服でいつものような癖で両手をうしろに組んでゆっくりと入廷してきた。ニコニコしていた。「絞首刑!」の宣告をうけてもニコニコしていた。それはあたかも上官が部下の報告をきいているような格好だった。武藤章は「絞首刑!」と宣告されると、ムッとした怒ったような表情で退廷していった。
花見 武藤は獄中でもいちばん豪胆でMPが武藤がカゼでねているとき毛布かなんかがすこし顔にかぶさっているのに注意しようとして靴で枕を蹴ったというので、すっかり食下って謝らせたそうですね。みんな判決をうけた瞬間には裁判長に目礼してゆくのに武藤だけはくるりとうしろをむいていったとか。
三文字 うむ。いちばん可哀そうなのは土肥原〔賢二〕だった。顔いろがまっ青になっていた。
花見 土肥原が退廷したときMPが五、六人で外套を幕のようにひいてかぶせたまま土肥原をひきずるか、ひっぱるようにしていった、と橋本欣五郎がいってますね。病気だったんですか。
三文字 そういう気質の人だ、病気ではなかった。
花見 広田弘毅は?
三文字 広田は目をつむったまま無念無想といった格好で宣告をうけていた。
花見 広田は議会の総理大臣席でもいつも目をつむっていた。どんなに議場が荒れてさわいでも、ジッと目をつむっていた。あとで広田は弁護士に向って「あの判決はカミナリきまに当ったようだ」といったそうですね。木村兵太郎は?
三文字 木村兵太郎はわたしどもも絞首刑とはおもわなかったが本人もおそらくおもっていなかったらしい。一瞬ガク然として興奮がおさえられぬ様子だった。
花見 松井石根〈イワネ〉は枯れた人との話だが生死を超えていましたか。
三文字 松井はシャアシャアと歩いて法廷へ入ってきた。やはりあの人らしい。
花見 板垣征四郎。
三文字 板垣は「ついにくるものが来た」というおちついた態度でしたね。要するにみなじつに立派な態度でした。
花見 板垣は絞首台にかけられるときも軍隊式の歩調とれ、といった足どりで十三階段をのぼったといいますね。あの当時について口を封ぜられていたアメリカの兵隊が、これだけはおどろろいて人に話したそうですね。判決の日の家族は?
三文字 家族はみな、むろん押しかけてきていた。けれどもみなべつにされて面会はゆるされなかった。
花見 絞首刑はスガモで執行されたのですか。
三文字 そうです。前にわたしは絞首刑も東条一人だけじゃないか、とおもったことがある。すると判決の前になって判事の連中からスガモに四つの絞首台がつくられたという話をひそかにきいた。そこで「絞首刑は四人だナ」とおもった。むろんだれとだれということはわからないが、東条、板垣、それに武藤もなるか知れん、あるいはいろいろの関係から木戸幸一がなるんじゃないかという気もした。あとできくと先に四人呼ばれたそうだ。東条と松井石根、それからだれだったか〔土肥原賢二と武藤章〕、とにかく四人だ。結局七人になったのだ。
花見 絞首台はいつつくるのですかナ。
三文字 つねにつくっておいてあるわけじゃないが、執行前のいつごろですか。とにかくスガモの場合四人とおもっていたら七人になったのだが、みな手錠をはめられていて、おまけに手錠には縄を通してある。そして仏間へいって、ブドウ酒を飲まされて拝むのだ。そのときは一番先が東条で広田がそのつぎだ。東条は絞首台へのぼるとき「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」とさけんだ。ところが手は胸までしかあがらない。手錠がかかっているから。それから首に風呂敷のようなものをかぶせて立っているところを縄を巻いてブラさがる――。【以下、次回】