◎七人の遺骨は分けずに熱海の興亜観音に預けた
花見達二著『大転秘録』(妙義出版株式会社、一九五七)から、インタビュー記録「スガモ絞首刑の真相」を紹介している。本日は、その七回目。前回、紹介した部分のあと、次のように続く。
熱海で秘密の大供養
花見 七人の遺骨をトランクにいれて、あなたがもってゆかれた。中はどういう具合にしてあったのですか。
三文字 遺骨は普通の一人前の骨ツボにいっばいになっていた。それを正式に白木の箱におさめてそれをていねいに白布で包んでトランクにいれた。だからトランクも大型でないといけない。なにしろみつかれば遺族にもめいわくかける。戦々きょうきょうだった。
花見 松井〔石根〕大将の邸には七人の遺族がみなあつまっておられたのですか。
三文字 熱海の駅から自動車で伊豆山の松井邸へいった。いってみると、松井夫人のほかに東条〔英機〕夫人、板垣〔征四郎〕夫人、木村〔兵太郎〕夫人、それに広田〔広毅〕さんの長男〔弘雄〕がみえていた。土肥原〔賢二〕夫人はどういうわけなのかみえていなかった。
花見 知らせはしてあったのでしょう。
三文字 エエ、東条夫人、板垣夫人から知らせてくれたのです。とにかくあつまった遺族だけで遺骨を仏壇におそなえして興禅寺の市川〔伊雄〕住職が緋の衣をきて大供養をした。それから遺骨を分けるつもりだから、七ツのツボに金欄のお札をつけて用意していったのだが「分けよう」ということになると東条夫人が「待ってください」という。東条夫人は非常に真剣な敬けんな面持〈オモモチ〉で「遺骨はすぐ欲しいのですが、世間の情勢は厳重に処刑者に注目しているのですし個人で遺骨をもっていると感づかれることもあります。三文字先生にしても迷惑されるでしょうし、むしろここでは分けないほうがよろしいでしょう」というのだ。板垣夫人もそれに共鳴された。
花見 ほかの夫人たちは?
三文字 みなそれに共鳴した。そして東条夫人は「遺骨はいっしょのままで松井大将のつくられた興亜観音におあづけいたしましょう」といわれた。わたしも感謝して「その通りにいたしましょう」としって賛成した。そこで前に話したわたしの甥の名札をつけたまま遺骨を安置した。
花見 とうとう分けなかったのですネ。
三文字 分けていません。いまでもチャンと安置してある。その帰りに広田さんの長男がわたしに「みなさんがもし遺骨をおまつりすることを望まれないんなら、わたくしにくぃこさい」といった。
花見 広田さんのむすこはいまどこにいますか。
三文字 たしか東京銀行のパリ支店にいます。
花見 遺骨はとにかく合祀〈ゴウシ〉の形で、いまも興亜観音に安置というわけですナ。
三文字 エエ、それでいちど埋骨場のほうで盗まれかかったことがあるのです。何人〈ナンピト〉の仕業かわかりません。敵か味方か、忍びこんで盗もうとして失敗したのです。それからコンクリートで固めて安全にしました。
花見 おそらく処刑者を葬う〈トムラ〉おうという人でしょうか。
三文字 そうでしょう。だが、こういうことがあるのです。興禅寺の篤志の人が火葬場の所長の飛田〔美善〕のところへいって「遺骨をくれ」といった。飛田はすこし渡したのです。そして碑を立てて全国的に慰霊をやりはじめた。東条夫人にも出てくれといった。ところがそれをある新聞社がかぎつけてわたしをおっかけまわした。そして遺骨をもっているか? というから「持っている」と答えた。しかし東条夫人はこのことでなにか利用されてはいけないというので銀座のわたしの事務所に来られた。そこで板垣夫人の弟の大越〔兼二〕陸軍大佐立会いで事情を話した。その席でわたしも東条夫人に「こんなことで東条さんが広告につかわれないように」と注意した。新聞社ではこれはうっちゃっておけというので、わたしと市川住職をつれて飛田を搜しまわった。しかし飛田はみつからない。かれは石炭の請負いをやっていた。飛田は後で「いやしくもあれは骨なんていうものじゃない。まったくの灰だ。だからすこしやったのだ」といっていた。とにかくいまはコンクリートで固めて盗まれないようにしてある。ところが、ここでまたはなはだ奇怪な事があるのだ。昨年(昭和卅一年)になってから厚生省の引揚援護局が東条夫人ら七人の遺族を呼び出して遺骨をわたしている。そのときは清瀬一郎、林逸郎らもいったが、そもそも遺骨をもっているのはわたし以外ないことは、厚生省も知っているはずだ。
花見 遺族はみなもらったのですか。
三文字 役所がわたすものを、もらわぬわけにはゆかぬからもらった。ただ広田さんのむすこだけはもらわなかった。
花見 なるほど。
三文字 これはじつに奇怪なことだ。骨がやたらにあるはずはないのだから――。