◎三文字正平、東京裁判を語る
花見達二著『大転秘録』(妙義出版株式会社、一九五七)という本がある。読みは、たぶん「たいてんひろく」。ただし、国立国会図書館のデータでは、「ダイテン ヒロク」。サブタイトルは、「昭和戦後秘記」である。著者の花見達二は、ジャーナリスト・政治評論家である(一九〇三~一九七〇)。
この本は、珍しい本ではなく、世評の高い本でもない。私は、この本を四〇年以上前に読んだことがあるが、あまり感心しなかった。しかし先日、これを久しぶりに読んでみると、意外におもしろかった。特に、「松岡洋右、死の抗議」の章は、著者の松岡洋右〈ヨウスケ〉に対する独特の「思い入れ」が感じられ、興味深く読んだ。
この本のうち、「史料」として価値が認められるのは、最終章「スガモ絞首刑の真相」であろう。ここだけは、インタビュー記録になっている。インタビューの対象は、東京裁判弁護人の三文字正平〈サンモンジ・ショウヘイ〉である。さっそく紹介してみよう。
スガモ絞首刑の真相
敵性つよい裁判長
前言 東京裁判については「消えた帝国陸海軍」の章ですこしふれたが「絞首刑七名は生きている」なぞの疑問や、また各方面の要望もあり、スガモ絞首刑Aクラス七名を中心として、この章を設け、当時の真相をあきらかにすることとした。それにつき東京裁判弁護人三文字正平氏をわずらわし、直接ふれた話をいろいろやってもらった。(著者)
花見 三文字さんは、東京裁判で元首相小磯国昭大将の弁護をなされたのですね。
三文字 そうです。
花見 弁護団の編成とか、連合国への注文やら、申入れやら、いろいろな仕ごともおありでしたろう。
三文字 ずいぶん苦心しましたなア。
花見 ドイツのニュールンべルク裁判では一九四五年の秋から十ヵ月ばかりかかって審理をやり、最高首脳のAクラス、つまりゲーリングとかローゼンべルク、カイテル、ボルマン、フリックなど十一一名が絞首刑を宣告され処刑されておりますね。もっともゲーリングは処刑前に毒薬自殺をやりましたが、判決から処刑までの期間も半月間です。ところが日本では二ヵ年半も続けて審理して判決から死刑のあいだもちょっとありましたね。そういったことの理由はどこにありましたか。
三文字 戦争の規模が日本の場合は大きかったということでしょう。キーナン検事の起訴状によると、日本は大正時代から日米開戦の昭和十六年まで、ずっと大陸や南方を侵赂する一貫した国策をもっていた、というのです。そこで廿八名の被告はその都度、その国策遂行の重要メンバーで、かれらは日本の侵略犯罪に対する共同謀議――という起訴の仕方です。検察側の書類は皇室典範から憲法、議会制度までなんでも提出した。これはドイツが英仏ソなどを侵赂した、という規模とはまるで違う。そこで証拠もぽう大なものになって、時間がかかりました。
花見 戦争裁判の本質については問題ありませんが、場合によっては日本の一部の人たちよりもアメリカ人がよく冷静に知っていますね。一つあの当時の判検事のことを話してくだきい。
三文字 はじめはなにしろ検事などひどい敵性をもっていましたね。インドのパル判事だけはちがいましたが。
花見 勝者の裁判ですね。 .
三文字 敵性のひどかったのはウェップ裁判長、それに中国、フィリピン、ソ連などの判事は徹底的な敵性をみせました。わたしは裁判のはじまった昭和廿一年の七月ごろインドが日本の味方かどうかを知りたいとおもって、パルに面会をもとめたんです。するとかれはひどくよろこんで「日本の食糧事情はまるでいけない。事情が許せばインド人のたべ.ている米をわけてやりたい」というのです。そしてちいさい声で「おそらく自分の考えは連合国の判事とはまるっきりちがうだろう」という。
花見 パル判事は裁判そのものを否定しましたね。神きまのほかは裁く資格がない、とか。
三文字 まる一日たつぶり話し合いましたが立派な人物でした。
花見 佐藤賢了、大島浩、橘本欣五郎、鈴木貞一ら四人が弁護団の清瀬一郎(現文相)林逸郎氏らを呼んで、われわれ四人の若いものが残るからAクラス、B、Cクラス全員を出所させることはできんか、といったといいますが――身代りというんですか。
三文字 身代りという話は聞きませんね。林逸郎〈ハヤシ・イツロウ〉君が日本弁護士連合会で戦犯釈放特別委員会を結成して卅名の委員ができた。委員長が林君で、わたしが副委員長になった。仕事はどうして戦犯者を出すか、という事で、とくにマヌス島、モンテンルパにいる戦犯諸君約二百名は非常に苦しい生活をやっていたので、これを内地に還すことに努力した。マヌス島ではやきつける炎天下にハダシでかまぼこ小屋にいれられていたのです。まあいろいろ努力して、Aダッシュ・クラス全員釈放をやった。そうしているうちに大島、橋本、佐藤らが「自分らは一生ここにいるから、ほかの人は出したい」といった。お話のはそういうことのまちがいでしょう。
花見 小磯さんの裁栽判当時は?
三文字 かれは裁判に対して「けしからん」とおこつていましたね。また苦しんでいた。
花見 本人は無期でしたが、判決があって、まもなく死にましたね。一徹の人だったらしいから、怒って死を早めたのですかね。もっとも奥さんが小磯の獄中にいるうち先立ったから悲しんで。【以下、次回】