礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

無産者の家庭では兵役に伴う経済的苦痛が大きい

2018-09-24 06:41:01 | コラムと名言

◎無産者の家庭では兵役に伴う経済的苦痛が大きい
 
 松下芳男の『軍政改革論』(「民衆政治講座」第二二巻、青雲閣書房、一九二八年一〇月)から、その第五章「兵役法の改正」を紹介している。
 本日は、その二回目で、同章の第二節を紹介する。

  第二節 兵役に伴ふ『苦痛』
 然らば何故に兵役服務は苦痛であるか。それを略節すれば次ぎの如くである。
 第一は軍隊 責務上必然に生ずる苦痛である。即ち軍隊は国家非常の場合に、出でゝ国防のために外敵と干戈【かんくわ】の間に相見【あいまみ】えて、雌雄を決するを責務とする。されば非常の場合は云ふまでもなく、平素の訓練が肉体的『苦痛』を伴ふことは当然なことである。
 第二は在営者の経済的『苦痛』である。之れは在営者を出すことに依つて生ずるその家族の消極的苦痛と、在営者当人がその得る給料の過少より生ずるその家族の積極的苦痛とに分けられる。中産階級以上の家庭にして、而もその在営者に依つて生計を立てざるものに在つては、素より問題ではないが、無産者の家庭に在つてはその在営者が生計の柱石【ちうせき】たる場合は勿論のこと、単に補助者に過ぎざる場合に在つても、その家庭の経済的苦痛は実に大なるものがあるのである。更に入営者の送迎のためにも、少なからぬ費用を要する現状である。
 第三は退営者将来の苦痛である。兵役服務者は現役二年の在営を以つて、その義務を終了するのではない。予備役五年四ケ月、後備役【こうびえき】十年、合計十五年四ケ月の間は、予備或は後備の演習のため勤務招集あり、殆ど毎年の簡閲点呼【かんえつてんこ】あり。又更に殆ど強制的に在郷軍人会に入会せしめられて、会員として様々な準義務的な仕事がある。是等に依つて受ける損害と若痛とは蓋し僅小ではないのである。
 第四は戦時に於ける犠牲である。以上の『苦痛』は尚ほ容易に看過し得るとしても、国家非常の場合、所謂【いはゆる】百年の練兵を用ふるの日に於ける兵役服務者の犠牲に対しては、深甚の考慮を払ふ必要がある。動員例の赤紙が全国に飛んで、或は草で葺【ふ】いた百姓小屋を、或は煤煙にすゝけた労働者長屋を、或は病妻の枕辺【まくらべ】に暗然と座して、沈み行く魂を見守る可憐の予後備兵【よこうびへい】の門を、その赤紙が訪づれる時、彼等は貧困と悲哀との総べてを擲つて、敢然と戦【たたかひ】の庭に出でねばならぬ。その家、その妻、その子、その親を忘れて、たゞ一死君国のために尽すのみである。彼等は素より恩賞を目当てに戦つたのではない。国家のためといふ至純の精神で戦死もし、また戦傷もしたのである。この忠義義烈を我々は国民の名に於いて、満腔の熱意を以つて感謝せねばならぬものである。併し感謝は単なる感謝であつてはならぬ。それにはそれ相応に酬ゆるところがなくてはならぬ。而して従つて、斯くの如き悲惨な運命を約束づけられる兵役そのものをば、我々は最も厳粛に考へねばならぬ。私は今戦争の悲哀を説くのではない。また日本男子の愛国心に毛頭疑惑を抱くのでもない。私はたゞ冷【ひやゝ】かに此大犠牲に当面せよといふのである。
 第五は就職就学上の『苦痛』である。例へば入営前には雇傭せられるに困難なるものあるが如き、入営に依つて職を失なふが如き、入営に依つて学業の中断されるが如きである。
 更に第六は兵営内部の欠陥による『苦痛』であるが之れは多く云ふを要すまい。

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