◎荒木貞夫は獄中でおこってばかりいたらしい
花見達二著『大転秘録』(妙義出版株式会社、一九五七)から、インタビュー記録「スガモ絞首刑の真相」を紹介している。本日は、その二回目。前回、紹介した部分のあと、次のように続く。
沈黙の広田、憤激の荒木
花見 東京裁判についてはおもしろい話もずいぶんあると思いますが、スガモ絞首刑Aクラス七名のことに重点をおいてお話をうかがいたい。世間に知られてないことがあるようですね。しかし、その前にすこしばかり。いわゆるAダッシュの審理はなかったのですね。岸信介、正力松太郎、そのほかたくさんいましたね。
三文字 要するに不起訴処分です。
花見 それは何か。
三文字 Aクラス廿八人でさえ膨大でまとまりがつかず困難なのにそれ以上になると困難でとても手がつかぬということでしょう。
花見 いわば審理さえ不可能なんですね。戦争裁判ということがむずかしい。メンバーひとりひとりについてみても、ちょっとピンときませんしね。ムリにやったような、バランスみたいな。元首相の広田弘毅は絞首刑ですが、これも意外でしたね。その広田が「自分はたとえ無罪になっても生きてはおらん」と家族にいっていたらしいですが、広田絞首刑は同情されました。
三文字 広田さんのそういう心境は直接聞いていない。あういう性格の正しい人だったら、あるいはそういうことをいっていたか知れない。あの人はいつも黙々として法廷ではロクにしゃベらない。証人台へもとうとう立たなかった。
花見 ハッタリのない人で、外交官としてもめずらしい人でしたよ。つよい人でしたが、罪はないが刑はまぬがれぬとおもっていたでしょうね。
三文字 それはすべての被告が無罪を主張した。
花見 それはそうですが、事実として刑を。
三文字 広田さんといえば、広田係のアメリカのデヴィット・F・スミス弁護人は、ウェッブ裁判長とケンカをして出廷を禁止された。
花見 ケンカのタネは?
三文字 スミスは親分肌の男で、わたしもよく知っていた。いっしょに仕事をやったからよく訪ねてきてくれたが、だんだん寄りつかなくなった。のちに会ったから「どうしてこないか」というと「こんなビンボウな日本でしかも日本人のたべるものをご馳走になるような気がして物をくった気がしない」といって笑っていた。そういう性格の男でした。ケンカというのは証人合にある人が立ったとき、ウェッブ裁判長がそれにいろいろな言葉をさしはさんだ。スミスはそれをインターフェアランス――裁判所の干渉――だといって異議を申立てた。すると裁判長真赤になって激怒して「お前はそれを取消せ陳謝しろ!」とつめよった。スミスは平気で「これはアメリカの裁判所でしょっちゅう使っている言葉だ」と切返した。とうとう裁判長はおこってしまって退場を命じ、出廷を禁止した。そのあとで小磯〔国昭〕担当弁護人のブルックスが仲に入って裁判長も折れましたが、スミスはあとからわたしに「あんな下等な奴が裁判長ではほんとうの裁判はできん」といって、裁判がおわるまで新聞記者席で傍聴していた。
花見 元陸相の荒木貞夫は出所後に「文芸春秋」になにか書いて問題を起しましたね。無期刑でしたね。ところがぼくがいつかあるグラビア誌をみていると、むかしの元帥と大将廿名ばかりの写真がずらりとならんでいる。みな新しくとった写真です。そしてみんな、みちがえるほど老いぼれているのに荒木ひとりむかしとおなじ顔つきでシャンとしているんです。気が若いのと、日本に罪なし、という一流の信念がつよかったためらしい。ある人の話では荒木は獄中でおこってばかりいたらしい。MPにお説教したり、勝ちほこった血ぬられた刃でこのわれわれを裁くか、というような歌をつくったりして威張っていた。その怒ってばかりいるのが、若返り法(笑)だというのです。
三文字 ふつうは笑うのが若返りの妙薬だ。(笑)
花見 スガモじゃ笑えぬから。
三文字 荒木さんには感心した。BC〔B・C級戦犯〕なんてみな出したらいいじゃないか。われわれはここで死ぬ、といっていた。ところが講和のあとで「講和になっても出さぬなら、なんのための講和だ。みんなで飛び出そう」というさわぎがあって、非常に険悪な事態になったことがある。そのときの留め役は荒木さんだった。
花見 荒木個人としてみると満州事変のあとで五・一五事件のころ陸相だったが、その後はズットつんぼ桟敷におかれていた。ともかく「八十歳の青年」ですね。そこでいよいよAクラス絞首刑七名の判決ですが、判決の模様は――。【以下、次回】