礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る

2018-09-28 02:32:47 | コラムと名言

◎新潮社に入社すると「ひとのみち」に入る
 
 昨日に続いて、新潮社の話題である。森達也さんと礫川との対談記録『宗教弾圧と国家の変容』(批評社、二〇一五)から、本日も、礫川が「新潮社」について述べている部分を抜いてみる(一六二~一六四ページ)。

礫川●雑誌ジャーナリズムにたずさわっている人たちが、相互に研究会などを持っているのかどうか知らないけれど、もう少し勉強したほうがいいのではないでしょうか。たとえば、戦中におけるジャーナリズムの歴史とか、戦中・占領中における検閲の実態とかを。
 新潮社の編集関係者だったら、新潮社というのは、かつて、「ひとのみち」とどういう関係にあったのか。今日の「社是」は、どのような系譜をたどって確立してきたのか。そういったことを、もっと研究したほうがよいように思います。
 おそらく、新潮社の従業員も、新潮社から本を出している文筆家も、そういうことは、あまり知らないのではないでしょうか。
 私は、昔、サンカの研究やっていて、三角寛【みすみかん】という作家を追っていたら、この人が、「ひとのみち文士」と呼ばれる、ひとのみち教団に属する文士であることがわかりました。当時、吉川英治、国枝史郎、下村悦夫といった作家も、「ひとのみち文士」であったと聞いて驚いたのですが、自分のまわりには、そういうことを知っている人は誰もいませんでした。ちなみに、当時、「ひとのみち文士」として、最も有名だったのは三角寛で、彼はひとのみち池袋支部の中心人物でした。
 それから、さらに調べてゆくと、ひとのみちと新潮社との深い結びつきが見えてきました。当時、牛込の矢来町【やらいちよう】に、ひとのみちの牛込支部があって、新潮社の佐藤義亮社長は、その支部の中心的人物。ちなみに、新潮社もまた牛込の矢来町にあって、ほとんど隣接していたという話もあります。新潮社に入社したら、ひとのみちに入るという不文律があって、新潮社に出入りしていた博報堂の社員もひとのみちに入ることを勧められたと言います。これらは、当時、大宅壮一が『日本評論』という雑誌に暴露していることです。(注52)
(注52)礫川『サンカと三角寛』(平凡社新書、二〇〇五)
 これに近い事例が、今の日本にあるのかどうかわからないけれども、一九九七年に経営破綻した「ヤオハン」の従業員は、全員、ある宗教に入信することになっていたという話を聞いたことがあります。
 また、パナソニックの創業者である松下幸之助が書いている本は、どれもこれも宗教臭く、彼が提唱したPHP運動というのは、一種の宗教ではないかと、私は捉えています。ちなみに、松下幸之助の生家は浄土真宗で、彼自身は、一九三二年(昭和七)に天理教の本部を訪ね、経営のヒントを学んだと言われています。(注53)この松下幸之助の影響力は、「松下政経塾」を通して、日本の政界にも及んでいます。
(注53)礫川『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四)
 というわけで、日本人というのは、意外に宗教というものと縁が深いようなのです。特に、「企業」に宗教色が強いように思います。『カルト資本主義』(文藝春秋、一九九七)という本を、斎藤貴男さんが書いておられるけれども、多くの日本人は、おそらくここに書かれている事実を、素直には受け入れないと思います。
 たまたま、オウム真理教のような教団があらわれると、ひどいバッシングにあいますが、企業文化の一部をなしているカルト主義は、なかなか批判の対象にはなりません。
 日本人は、「私は無宗教です」という人が多いわけですが、本当は、かなり宗教的なのではないでしょうか。

 ここに、大宅壮一の名前を出した。この対談の時点では気づかなかったが、大宅壮一は、かつて新潮社に在籍し、「社会問題講座」の編集にあたったという。ウィキペディア「大宅壮一」の項を参照されたい。なお、当ブログの二〇一八年六月一五日のコラム「『資本論』の完訳版を最初に出したのは新潮社」も、併せて参照されたい。【この話、続く】

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コメント (1)
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