◎筧克彦の天皇論は一種の天皇機関説(嘉戸一将)
嘉戸一将氏の『主権論史――ローマ法再発見から近代日本へ』(岩波書店、二〇一九年八月)の紹介に戻る。
同書を読んで、二番目に注目したのは、公法学者・筧克彦(かけい・かつひこ)の学説について、本格的な紹介をおこなっていたことである。
たとえば、同書三〇九ページには、次のようにある。
……筧は、決して立憲主義を否定するのではなく、むしろ天皇を阿弥陀仏になぞらえることで、あるいは「表現人」なる彼独特の概念にその地位をフォーミュレイトすることで、あたかも西洋中世の「皇帝は法律から解放されている(princeps legibus solutus)」と「皇帝は法律に拘束されている(princeps legibus alligantus)」との矛盾をめぐる議論をなぞっていることになる。
実際、筧克彦の天皇論は西洋中世の政治神学を想わせる。
《通常肉身を持つて御在で〈オイデ〉になる何何陛下と仰せらるる御方でも御祖先の修養により、公の御心により最も重大至高なる表現人を構成せらるる御方であつて、私の御存在を主とせらるるのではない。併し表現と代表とは意味が全然違つて居るから双方を混じてはならぬ、代表と云ふ時には此の語を全く打消して仕舞うことになる、矢張り表現でなければならない。阿弥陀仏も之れと同じ事であらうと思ひます。即ち私が無く公である、否公私を超越して居る、そして有難い力を持つて御在でなさる、此の点は寸分変らぬと思ひます。(123)》
たしかに代表観念を斥け、ちょうど天皇が西洋の君主と異なると主張したのと同じように、「表現人」としての天皇が日本独自の概念であると言っている点で、筧が西洋の政治神学を模倣しているとは言えないが、他方で「肉身」をもつ天皇と「表現人」としての天皇という天皇の二重の形象は、「王の二つの身体」の論理そのものだろう。その意味において、西洋中世の立法者が法に拘束された職務として観念されたように、筧の言う「表現人」としての天皇もまた職務である。したがって、筧の天皇論は一種の天皇機関説であると言えよう(124)。
対応する註も紹介しておこう(四九四ページ)。
(123) 同前〔筧克彦「天皇と阿弥陀仏」、筧克彦『国家之研究 第一巻』清水書店、一九一三年〕、三二〇頁。
(124) 例えば長尾龍一は、美濃部達吉が穂積八束や上杉慎吉に対して「極めて敵対的であったのに対し、筧克彦に対しては存外好意的であることは興味深い」(長尾龍一「美濃部達吉の法哲学」(一九六九年)、長尾龍一『日本憲法思想史』、前掲〔講談社学術文庫、一九九六年〕、一八六~一八七頁、註24)と言うが、むしろ美濃部は筧の天皇論に自説との親近性を正当にも見出していたと言えるだろう。筧が天皇機関説事件後も、彼なりの機関説を維持していたことにつき、次の論文を参照。石川健治「権力とグラフィクス」、長谷部恭男他編『憲法の理論を求めて――奥平憲法学の継承と展開』日本評論社、二〇〇九年。
筧克彦という学者については、このブログでも、一度、触れたことがある(二〇一九年六月一一日)。その代表作は、『大日本帝国憲法の根本義』(岩波書店、一九四三)である。私は、この本を手に取ったことがあるが、理解を絶する哲学書といった印象で、読み込んでみる気にはならなかった。
今日、一九七〇年生まれの若手研究者が、筧克彦の学説に関心を持ち、それを読みこなしているのを知って、ある意味で感服した。
なお、今回の嘉戸氏の『主権論史』も、また筧の『大日本帝国憲法の根本義』も、ともに岩波書店の刊行であるが、これは単なる偶然か。