礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

首相の義弟・松尾伝蔵大佐の遺体だった(迫水久常)

2020-01-24 00:02:28 | コラムと名言

◎首相の義弟・松尾伝蔵大佐の遺体だった(迫水久常)

 迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)から、「首相は無事か」という章を紹介している。本日は、その二回目。

 玄関をはいって、屋内にはいると、平素は整然としている各室内は軍靴にふみ荒され、器物が散乱し、拳銃さえ床の上に放置されてあった。そして、廊下のところどころに兵隊がいて、私たち二人をじろじろとにらむようにみまもっている。なかには新兵らしいまだ幼な顔ののこっているような兵士が、血ばしった目をして交っていたのが印象にのこっている。
 私たちは、待ちうけていた一人の中尉と数人の剣付鉄砲の兵士にとりかこまれるようにして奥に進んだ。どの部屋も無惨に散乱している。手洗所のタイルの上に血痕があった。進んで、総理の平素の居間だった部屋にはいると、いつも壁間〈ヘキカン〉にかけてあった総理の肖像写真が畳の上にほうりだされている。見るとちょうど顔のところに銃弾があたったのか、ガラスに多くのヒビがはいっていた。 中尉が、隣りの部屋を指さして、どうぞといった。そこは首相が平素寝室として使用していた部屋である。室内には首相の使用していたふとんの上に人が横たえられている気配である。
 掛ぶとんが顔の上までかけてあって顔はみえない。「ああ、やっぱりだめだったか」と、覚悟していたつもりだったが、やはり限りない悲しみに沈みながら、その部屋にはいろうとした。そのとき、一人の兵隊が私の耳もとでささやいた。「死骸をみてもお驚きになりませんように」と。見ると憲兵の腕章をつけていた。私は死骸がよほどひどく傷つけられているのだなと思いながら、福田〔耕〕秘書官に続いて部屋にはいっていった。あとから考えてもこのときなぜそうしたのか自分でも判らないが、二人が部屋にはいると同時に、私は無意識に後ろについてきた兵士たちを次の部屋にのこして襖〈フスマ〉をしめてしまったのである。したがって部屋のなかには私と福田秘書官の二人だけになってしまう形になった。そしてこれまた不思議なことだが、あとにのこされた兵士たちはなにもいわずに そのまま次の部屋で待っていたのである。
 さて、私たちはおもむろに遺体の側〈ソバ〉で礼拝し、顔までかかっていたふとんをもち上げてみた瞬間、 はっと驚いて息をのんだ。思わずアッと小さな声を立てたかも知れない。岡田〔啓介〕首相の遺体だとばかり思っていたのがなんと現実の死体は岡田首相ではなく、前夜福井から帰って官邸にねていた首相の義弟、松尾伝蔵陸軍大佐(岡田首相の妹の夫、その長男松尾新一大佐の妻は私の妹である)の遺骸である。私は一瞬わが目を疑ったが、やはり松尾大佐である。【以下、次回】

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