◎岡田を一刻も早く安全地域に救いだすように(昭和天皇)
迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)を紹介している。本日は、「一刻も早く安全地域へ」の章を紹介する。
一刻も早く安全地域へ
栗原〔安秀〕中尉は結局許可をだした。そして中尉は静かに「総理は武人として立派なご最期でした。自分らは私怨があってこんなことをしたのではなく、国家のためやむを得ないことでしたと遺族の方に伝えてください」と丁重にあいさつし、下士官にこの方にだれかをつけて警成線をだして上げるようにと命じた。一人の新兵らしい兵隊をつけてくれたので、私はその兵隊とならんで警戒線をなんなくとおり、官邸わきの坂道をおりて溜池〈タメイケ〉の電車どおりにでた。そこから兵隊は敬礼をして帰っていった。私はその道々、その兵隊にはなしかけた。いつ入営したか、どこの隊かときくと、昨年〔一九三五〕十二月に入営した近衛第二連隊という。君たちは今朝なにをしたか知っているかときくと、若い兵隊は、今日は実弾をもった演習をするというので、初めての経験なので張りきっていますと答える。私は「君たちは今朝、岡田〔啓介〕総理大臣を殺したんだよ」というと、彼は顔色をかえて、何度も何度もほんとですか、ほんとですかと問いかえした。私は、かわいそうな気がしたのをいま思いだす。(私が宮内省にはいってからこの話をすると、陸軍の人たちは、近衛連隊は、この行動にははいっていないはずだと強弁していたことを思いだす。そのときはそれほど混乱していたのであった)
送ってきた兵隊とわかれ、私は、虎の門附近まで歩いて、尾行されているかどうかをたしかめてからタクシ—を拾い、宮城へ向った。その車のなかで私は敵中の総理はいまも無事だろうか、無事でいてほしいと神々に念じ、どうして総理を救出するかということばかり考えた。ずいぶん苦しかった。坂下門からはいろうとしてお濠〈ホリ〉ばたで、警戒の警察官に、氏名をなのったところ、丁重に、今日は平河門だけが開いておりますからそちらへどうそというので、平河門外で車を捨てて、深い雪をふみしめて宮内省に向った。門に立っていた皇宮警手は顔みしりであったからすぐに通してくれた。さすがに雪はふまれていない。たいした距離ではないのだが、ずいぶん長いように感じられた。
私は宮内大臣の応接室にはいってほっとした。宮内大臣湯浅倉平さんはすぐにでてこられて、丁重に悔みをのべられた。私はそれをさえぎって、実情をつぶさに報告した。宮内大臣は非常に驚かれた様子であった。私の記憶ではそのとき宮相は何か手にもっておられたものをおとされたような気がするので、あるものに宮相は手にもった煙草をおとされたと書いたところ、人から湯浅さんは煙草をのまれなかったといわれたので、それは私の記憶のあやまりと思う。しかし、たいへんよろこばれて、すぐに上奏するといわれて、ご殿の方へ走るようにしてでてゆかれた。まもなく引きかえしてこられて、「岡田総理が生存している由を陛下に申し上げたら、陛下はそれはよかったと非常におよろこびになって、岡田を一刻も早く安全地域に救いだすようにと仰せられた」と、謹厳な口調で伝えられた。私は陛下のお言葉をありがたく承ったが、その一面こうなっては必ず無事に救出しなければならないと強い責任を感じて身のふるえる思いであった。私はこのまましばらく宮内大臣室にとどまり、湯浅宮相とお話した。宮相もたいへん心配されて救出についてなにかよい方法はないかといわれるので、私は「一刻も早くと思いながらまったく考えあぐんでおります。実はこうしております間にも、官邸のほうでなにか異変がおこってはいないかと気が気ではありません」と申し上げ、宮内大臣の机の上の電話を拝借して、福田〔耕〕秘書官に連絡してみた。盗聴されていることを考えながら、上奏がすんだことを暗号的ないい方で報告し、そちらの状況はどうかときくと、福田秘書官も、暗号的なはなし振りであったが、その後官邸のほうにはかわった様子はないから、まず総理もあのままの状態でいるのだろうということがわかった。福田秘書官は、女中が空腹だろうから、まもなく弁当をもっていってやろうと思うというので、私は官邸へいって様子をたしかめてくるつもりだなあと判断した。【以下、次回】