◎日本の刑事司法は司法制度でなく自白制度(ケネス・ロス)
昨日の東京新聞夕刊の一面に、〝日本司法は「自白制度」/国際人権団体 ゴーン被告巡り〟というタイトル記事が載っていた。引用してみよう。
日本司法は「自白制度」
国際人権団体 ゴーン被告巡り
【ニューヨーク=赤川肇】国際人権非政府組織(NGO)のヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW、米ニューヨーク)は十四日、世界各国の人権問題をまとめた年次報告を公表した。日本については、日産自動車前会長カルロス・ゴーン被告(六五)の事件で国際的に注目された「人質司法」とも呼ばれる刑事手続きの課題などを取り上げた。
報告では、人質司法を「自白を強いるために容疑者を長期間、厳しい環境下で勾留する」と、容疑者を逮捕から最長二十三日間拘束し、取り調べの際に弁護士の同席を認めていない現状に触れた。逮捕から百八日後に保釈が認められたゴーン被告については「他の類似事件より早く、明らかに国際的な批判を受けたためだ」との見方を示した。
ニューヨークの国連本部で記者会見したHRWのケネス・ロス代表=写真、赤川肇撮影=は「逃亡を擁護するつもりはないが、ゴーン事件は日本の刑事司法が容疑者に自白させるために強いる大きな圧力を示した。司法制度ではなく、自白制度だ」と批判した。【以下、略】
「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」という組織については詳しくないが、「年次報告」をおこなっているところ、組織の代表が国連本部で記者会見し、「年次報告」の内容を公表しているところ、その記者会見の模様が、こうして報道されているところを見ると、一定の影響力を持つ組織であると捉えてよいのだろう。
さて、この記事を読んだ私は、かつて、イギリスの初代駐日公使オールコックが、同時代の日本の「拷問制度」について述べた文章を思い出した(時代は、まだ江戸時代である)。その文章は、岩波文庫『大君の都』の下巻(一九六二)にある。
なんらかの社会的なきずなが存在するためには、結局ことばや誓いというものをある程度信頼しなければならない。ところが、あらゆる階級の日本人のあいだでは、これ以上度をこせば社会的きずなというものが存在できなくなるほど、まったく真実というものが無視されている。【中略】まっ赤なうそがばれて非難されることは、日本人や中国人にとっては、恥にも不面目にもならない。見つけられることにたいするスバルタ的な恥辱感さえないのである。しかし信頼ということがこれほどわずかしかなく、真実を話すべき義務というものが認められていないところで、社会的な生活におけるさまざまの関係がどのように維持されているかということは理解しがたい。司法上のことでは、この問題は拷問【ごうもん】制度で解決される。拷問で真実をしぼりとるか、強情な者を殺してしまうかどちらかである。しかし他のことにおいては、人間同士の通常のやりとりのすべてにおいて仕事を営むに必要と思われる程度に真実をえるためには、明らかに拷問以外のもうすこし残忍でない手段を使って真実をえなければならない。しかし、もしベーコンがさらにのべているように、「真実を探究するとは真実を口説くことだ」とすれば、日本ではそういう求愛が多いにちがいない。そして、「真実を信ずること、すなわち、これを楽しむこと」は驚くほどすくないにちがいない。この極致こそ「人性の至上の善」だとすれば、わが親愛なる日本人はあわれにもそれが欠けているのではなかろうか。このように真実が必要とされているからこそ、最良の政策として、事態を多少ともよくするためには、かれらに利害のあるような具合に真実を示唆し強制しなければならないのである。
日本の社会では、「うそ」が横行している。この問題は、司法制度においては、「拷問制度」によって解決されているとオールコックは指摘する。「わが親愛なる日本人」は、「真実を探求し、口説く」ことはあっても、「真実を信じ、楽しむ」ことがないという。
明治・大正・昭和の時代にあっても、日本の「拷問制度」は、なかば公然の形で維持されていた。さすがに今日、拷問による取調べは減っていると思うが、もちろん皆無ではなかろう。
たとえ「拷問制度」がなくなったとしても、日本では「自白制度」は維持されている。HRWのケネス・ロス代表のいう「人質司法」である。「容疑者を逮捕から最長二十三日間拘束し、取り調べの際に弁護士の同席を認めていない」日本の司法の現状は、「自白を強いるために容疑者を長期間、厳しい環境下で勾留する」ものであり、「自白制度」と位置づけられても仕方あるまい。そして、この制度は、オールコックに言わせれば、「拷問以外のもうすこし残忍でない手段」ということになるか。なお私は、日本の「自白制度」は、一種の「拷問制度」だと捉えている。
嘉戸一将氏の『主権論史』を紹介している途中だったが、東京新聞の記事を読んだので、日本の「人質司法」に話題を振った。なお、東京新聞の同記事は、インターネット上の「東京新聞 TOKYO Web」でも読める。また、オールコックの文章は、当ブログ、昨年四月二六日のコラム〝日本人の悪徳の第一は「うそ」である(オールコック)〟で、もう少し長く引用したことがある。ご参照を乞う。