◎この話はきかなかったことにしておく(大角海相)
迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)から、「一刻も早く安全地域へ」の章を紹介している。本日は、その三回目。
私は杉山〔元〕大将は常識派であることを知っていたので、冗談のように「そのうち閣下のところにもやってきますよ」というと、大将は「僕は悪いことをしてないから大丈夫だよ」といわれた。この言葉は私にはちょっとひっかかったので、私はいささか気色〈ケシキ〉ばんで「それなら岡田〔啓介〕は悪いことをしたというわけですか」というと、大将は「いやそんな意味ではない」といわれた。私はちょっと悪いことをいったなと思ったことを覚えている。ここで私ははじめて蜂起部隊の「蹶起趣意書」というものを読んだ。軍人の多くは、この趣意書に同感の心持をもっていることも判った。なかには、なんとかしてこの連中の意志を達成せしめたいということを露骨に話すものもいる。川島〔義之〕陸軍大臣は困りきつた顔付で、なんとも決断ができない様子であり、まったくたよりにならない形だし、古荘〔幹郎〕次官は脳溢血の予後を無理してでておられたが、これまたたよりなげであった。山下奉文、石原莞爾といった実力者が、でたりはいったり大声で議論をしている。真崎〔甚三郎〕大将など、同情論者から、つき上げられてはいるけれども、さりとて、これを是認するというわけにもゆかないといったあんばいで、困りきっていられたようだった。私はこの有様をみて、国軍の幹部のたよりなさをまざまざと感じるとともに、しらずしらずの間に、ひそかに頭のなかで、各将軍や、幹部の色別けをし、その評価をしていたのだが、具体的にいうことは、差しさわりがあるといけないから、ここではふれない。私は最近、テレビで二・二六事件を取り扱った映画をみたが、そのなかで磯部〔浅一〕主計が、処刑されるところで、大きな声で、「国民よ、軍部にだまされるな」と叫ぶ場面をみて、そぞろにこのときの光景を思いだして感慨無量なものがあった。
私は閣僚の集っているところにいってみた。まだ後藤〔文夫〕内相がきていられないので、正式の閣議はひらかれていないが、たれもが私に官邸の様子をきかれる。私は、ここでもまたうかつなことはいえないと思って、適当にうけこたえをしていたが、そこに、海軍大臣大角〔岑生〕大将がこられた。私はいろいろと考えたが、大角海相に対して「海軍の先輩である総理大臣の遺骸を引取りたいと思いますので、海軍陸戦隊を官邸にいれて警戒していただきたいと思いますが」と、申入れてみた。すると海相は「とんでもない。そんなことをして、陸海軍の戦争になったらどうする」といわれるので、私は決心して、「では、これから重大なことを申し上げますが、もしこのことをご承知くださらない場合は、私の申し上げたことは全部きかなかったものとして忘れていただきたいがよろしいですか」と予め念をおしてから、岡田の生存を知らせその救出のため、陸戦隊の出動をお願いすると、海相は非常に当惑された顔で「君、僕はこの話はきかなかったことにしておくよ」と向うへいってしまわれた。
私のそのときの心持はいま思いだしても、自然と眼頭〈メガシラ〉があつくなる。たよりにするもの、すがるものは何もない。私の頭のなかには、とじこめられたなかから脱出した歴史上の事実や、物語りなどが、走馬燈のように点滅した。普仏戦争のとき、フランス大統領ガンベッタが風船にのってパリを脱出したという話があるが、それに似せてなにか方法はないものだろうかなどと昔の話や、読んだ書物のなかからいろいろと思い浮べてみるが、どうもみな現実には不可能なことばかりである。松尾〔伝蔵〕大佐の遺骸を棺にいれて持ちだすとき、岡田をいっしょにいれてだす方法。これはできるので はないかと思ったが、しかしよく考えてみると、二人はいれるような大きな棺を作ることも疑われるし、納棺となれば軍隊も立会うであろうから、結局できない相談である。時間ばかりが刻々とすぎ、いつ岡田が発見され、殺されてしまうかもしれない。殺されてしまえばむしろよいが、もし死にまさるはずかしめをうけたらと考えると、いてもたってもいられない焦慮である。ほんとうに私は、あせりにあせった。
ここまでが、「一刻も早く安全地域へ」の章である。明日は、これに続く「戒厳令発令」の章を紹介する。