礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ(迫水万亀)

2020-01-23 00:13:38 | コラムと名言

◎お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ(迫水万亀)

 本年も二月二六日が近づいてきた。このあとしばらく、二・二六事件(一九三六年二月二六日発生)関係の話題を取りあげてみようと思う。
 本日は、迫水久常(さこみず・ひさつね)の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)を紹介したい。あまりに有名な本であって、あえて紹介するまでもないとも思ったが、事件の目撃者による貴重な証言であるばかりでなく、文章が非常に読みやすい。なお、筆者の迫水久常(一九〇二~一九七七)は、事件当時、岡田啓介首相の「内閣総理大臣秘書官」であった。

  首 相 は 無 事 か

 さて、話は、二・二六事件に戻る。前に述べた官邸襲撃の事態が一応平静になったので、私は気をとりなおして、道をへだてた隣家の福田耕〈タガヤス〉秘書官の官舎にひそかにはいった。
 お互いに言葉はない、涙もでなかった。いろいろと協議した結果、ともかく官邸にはいって岡田〔啓介〕総理の遺骸に香華〈コウゲ〉を供えようということになり、麹町憲兵分隊に電話してその斡旋をたのむとともにその場合の保護を依頼した。憲兵隊の返事は「若干の憲兵が首相官邸にいっているからそれと連絡をとつてほしい」ということであった。
 連絡をとるにも官邸のなかにいるのではとりようがない。仕方がないのできっといつかは外にでてくるだろうからそれをつかまえようということになった。そこで福田耕秘書官と二人で官舎の二階に陣どって、首相官邸を見張っているとやがて裏門から一人の憲兵がでてきた。やれうれしやと官舎の門にでて憲兵をよびとめて様子をきくと「岡田首相は殺されている」というので、麹町憲兵分隊との電話の交渉のことを話し、「なんとか遺骸だけでもみられるようにとりはからってほしい」とたのみこんだ。その憲兵はそれを承諾して、「あなたのほうからも官邸占領の指揮官に電話で交渉してください」といったので、私たちは電話で反乱軍と交渉した結果、やっと指揮官の第一歩兵連隊の栗原安秀中尉から、「秘書官二人に限り遺骸の検分をゆるす。案内者を差向けるから、その指図に従うように」という許可がおりた。ちょうど九時〔二六日午前九時〕ごろのことである。私たちはなにはともあれ、岡田の名をはずかしめぬよう最後までおちついて事後の始末をしようと決心しあい、ありあわせの香炉と花立〈ハナタテ〉を用意して、案内者のくるのを待った。やがて一人の一等兵がやってきて、隊長の命によって、ご案内に参りましたという。私たち二人はその兵士に従って家をでた。
 このとき私はまことに不思議な体験をしたのである。私が官邸に向うため、家をでかけるとき、妻(万亀)が玄関までおくってきた。なにぶんにもこういう時だから私自身の体にもなにがおこるか判らない。そこで「もし一時間たっても帰らないときは、私に異変があった場合だから、お母さんと子供たち――当時私のところには中風で身体の不自由の母と数え年五つの長男、二つの長女がいた――とをよろしくたのむ」といった。妻は実にたのもしく「ご心配はいりません。必ずお引受けいたします、だけどお父さんはきっと生きていらっしゃいますよ」というではないか、私は一瞬愕然とした。しかし、かわいそうに、この私でさえどうしようもない気持でいるのだから、ましてや、ついきのうまで元気だった実の父親が殺されていることなどとても想像もできないだろう。
 私も生きていてくれることを信じたいが、とても不可能だろうと思いながら、「そうだな、生きていてくださればいいが」と答えたのであった。家から首相官邸の裏門までは約三十米ある。その間には多くの兵隊が雪のなかで寒そうに立っていたが、その顔はなんとなく不安気で殺気立った様子はむしろみえなかった。私たちは案内に立った一等兵に話かけた。よくみるとその一等兵の服には、血痕があちこちについている。彼は、得意気に襲撃の模様を話した。赤穂浪士の吉良邸討入のときもこのような風であったろうと話した。この一等兵はあとでまた話題となるが、江東の浪曲師出身だったという。
 官邸裏門前には機関銃が据えつけられていた。そして私たちはこの一等兵の話のように、官邸を襲撃したのは数百人の大部隊で、機関銃をもって官邸を射撃したという事実を確認した。あとで判ったことであるが、最初に出動した新選組は、官邸正門前で機関銃によって阻止された。そして、警察官は軍隊と戦うべきでないという考えから、そのまま引きかえしたということであったが、私たちはこの大部隊の軍隊の襲撃では、かねて計画した防衛手配では、手も足もでなかったのはあたりまえであると思うと、いいようのない無念さに胸がしめつけられるような心持で、裏門に到着した。平素ならば、警衛の警察官の敬礼をうけながら、胸をはってとおる門を、今日は小腰をかがめて、一等兵のあとについてはいりながら、さらに無念の情をましたのであった。【以下、次回】

 一点、注釈する。迫水久常の妻・万亀は、岡田啓介首相の二女である。「お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ」と言ったのは、そのためである。

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