◎時枝誠記の卒業論文と言語過程説
本日も、根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)を読んでみたい。
本日、読むところは、同書の「Ⅱ」の第四「卒業論文」である。
かなり長い文章なので、何回かに分けて読んでゆく。途中、やむを得ず、割愛する箇所があることを、あらかじめお断りしておく。
第四 卒 業 論 文
一
時枝誠記博士は第六高等学校を経て大正十一年〔一九二二〕四月東京大学国文学科に入学された。大正十四年〔一九二五〕三月卒業されるが、「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)」という卒業論文を書かれた。これは三百字詰原稿用紙三百七十六枚に及ぶ、それに図表八枚をつけた長大な論文であるが、まことに幸いなことは『時枝誠記博士著作選』全三巻の一冊として、明治書院から昭和五十一年〔一九七六〕九月に原寸大のまま復製刊行された。そういえば時枝博士の前任者の橋本進吉博士は東京大学言語学科を明治三十九年〔一九〇六〕七月に出られ、卒業に際して「係結の起源」という論文を書かれ恩賜の銀時計を受けられたというが、それがどのような内容であるかは知ることができない。それに比べて時枝博士の卒業論文がそのままの形で出版されたことはまことにありがたいことであった。
ところで、門下生の山口明穂〈アキホ〉氏は早速この時枝博士の卒業論文を「国文学」昭和五十二年〔一九七七〕一月号の「学界時評国語」で取り上げられて、「これは、博士が大正十三年〔一九二四〕十二月に完成された卒業論文であり、その意味で、博士の国語学の出発点と言ってもよいものである。本書は、これを原寸大に写真複製しているが、博士の自筆のままにこれを見ることのできる点に、一入〈ヒトシオ〉の感慨がある。博士の提唱された言語過程説は、その原点が卒業論文にあったことは今までよく知られていながらも、その実態を知ることは全くできなかった。それが、このような形で公にされたこと、喜びに堪えない。」といい、この卒業論文を読むことによって誰もが時枝博士の言語過程説の原点までさかのぼることができると喜ばれた。続いてやはり時枝博士門下の尾崎知光氏が「国語学」第百十三集昭和五十三年〔一九七八〕六月の「昭和五十一、五十二年における国語学界の展望――国語学史」で取り上げられ、「卒業論文がそのまま学術書として五十数年の後に出版せられるというがごときは、他に類をみないことで、いかに時枝博士が偉大であったとはいえ、その二十五歲の旧業がどれほどの意義を有するであろうかと、出版前に|抹の疑念をいだいたのであった。しかしこの不安は 全く無用であった。勿論、未完成な粗さは当然であるが、考察は深く、鋭く、特に手爾葉大概抄〈テニハタイガイショウ〉や鈴木朖〈アキラ〉の部分は、新鮮であり、今日の水準からみても新見とすべきものが多く示されていて、驚喫の目をみはるものがある。かえって国語学史の研究の緩慢さを反省させられたほどである。又この書は、著者の言語過程説や文法論の形成過程を説きあかす好資料であり、近代の国語学史の研究の上で大いに注目されるべきものである。」といい、これが一学生の卒業論文といいながら、言語過程説がどのように導き出されたかを知るよい資料になり、近代の国語学史研究上注目すべきものであるとたたえられた。
もちろん時枝博士自身この卒業論文については著書や論文によく述べられ、謙義や講演にもしばしば触れられており、うちくわしいのは「日本に於ける言語意識の発達及び言語研究の目的とその方法」(『国語研究法』昭和二十二年の第四章、これは十年してのち『国語学への道』昭和三十二年の第四章となる)、「私の選んだ学問」(立教大学「日本文学」第九号、昭和三十七年十一月号)、「『時枝文法』の成立とその源流――鈴木朖と伝統的言語観――」(『講座日本語の文法第一巻』昭和四十三年一月)、「私の国語学研究(最終講義)――過去と将来――」(「国語と国文学」昭和四十三年二月号、時枝誠記博士追悼)などの著書論文である。しかし、これらの中に博士が述べられているにもかかわらず、今日国語学者の間で時枝博士の言語の本質は一つの心的過程それ自体であるという言語過程説が、わが国の古い伝統的な国語研究の中に見られる言語意識とどう結びつくのかよくわからないと囁かれ〈ササヤカレ〉ているので、ここに言語過程説の原点になった卒業論文からどのようにして博士の提唱される言語過程観が生まれたか、そしてまたどのように博士が言語過程説を理論的に構成していったかを私なりに考察してみたいと思う。この点を考察しないとのちに時枝博士がわが国の古い国語研究に暗示をえて、それを基礎にして打ち立てられた言語過程説の真髄が理解できないと考えるからである。【以下、次回】