◎対米戦争の危険に対しては、日米接近のほかなし(近衛文麿)
近衛文麿手記『平和への努力』(日本電報通信社、一九四六)から、「三国同盟に就て」という文章を紹介している。本日は、その六回目。
六月二十二日に至り遂に独ソ戦の火蓋〈ヒブタ〉は切られた。英米はただちにソ連援助を声明した。ソ連は明らかに英米陣営に入つた。日ソの関係には当分変化なしとはいへ、三国同盟の前提たる日独ソの連携はもはや絶望である。日本とドイツとの交通は遮断せられ、三国同盟は現実にその効用の大半を失つたのである。さきに平沼〔騏一郎〕内閣当時、ソ連を対象とする三国同盟の議を進めながら、突如その相手ソ連と不可侵条約を結びたることが、ドイツの我国に対する第一回の裏切行為とすれば、ソ連を味方にすべく約束し、この約束を前提として三国同盟を結んで置きながら、我国の勧告を無視してソ連と開戦せるは、第二回の裏切行為といふべきである。随つてこの時日本としては当然三国同盟の再検討をなすべき権利と至当性を有する次第である。余は当時三国同盟締結の理由ないし経過に鑑み、本条約を御破算にすることが当然なのではなからうかと軍部大臣とも懇談したことであつた。しかしながらドイツ軍部を信頼すること厚きわが陸軍は、到底かかる説に耳を傾けようとしなかつた。殊に緒戦におけるドイツの大戦果は一層わが陸軍をしてその確信を強めしめたやうである。ここにおいて余は次の結論に達した。即ち三国同盟の再検討は到底わが国内事情が許さざるのみならず、昨年〔一九四〇〕締結したばかりの同盟を今ただちに廃棄するが如きは、いかに相手方の裏切行為になるとはいへ、それは裏面の話であつて、表面は我国の国際信義の問題となる。故に今三国同盟そのものを問題とするのは適当でない。しかしながらすでに独ソ開戦となつた以上は、同盟の主たる目標の一である所の日独ソ提携の希望は完全に潰え〈ツイエ〉去つたのであり、かかる条件の下において、将来三国同盟より生ずることあるべき危険、即ち対米戦争の危険に陥る如きことあらば、我国として由々しき一大事である。第一それでは同盟を結んだ意義が全く失はれる次第である。故にこの危険に対しては十分備へる所がなければならぬ。それは日米接近のほかにはない。しかも日米接近の可能性は同盟締結前においては絶望視されたが、当時においてはむしろ大に有望視されたのである。何となれば、欧州において英国の窮境を救はんとする米国は、太平洋において日本と事を構ふることを極力回避せんとして居たからである。現に日米交渉はその年〔一九四一〕四月より始められて居る。余が三国同盟に多少冷却的影響を与ふることありとも、日米交渉はぜひ成立せしめねばならぬと決心したのはこのためであつたのである。〈二五~二六ページ〉
ドイツがソ連と開戦したことを、日本に対する「裏切行為」と捉えていたのであれば、近衛は、三国同盟の廃棄を決断すべきだったと思う。「国際信義の問題」という、よくわからない理由によって、近衛は三国同盟を維持した。
独ソ戦の勃発に遭遇した近衛は、「対米戦争の危険」を意識した。そこでにわかに、「日米接近」をはかったわけだが、三国同盟を維持したままで、「日米接近」をはかるというのは、結果論ではあるが、やはりムシが良すぎたようだ。
もしもこのとき、近衛内閣が、三国同盟を廃棄した上で日米交渉に臨んでいたとしたら、その後の歴史は変わっていたかもしれない、などと夢想した。