礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

つらいのは地主から賦役を課せられることだ

2022-05-04 01:58:29 | コラムと名言

◎つらいのは地主から賦役を課せられることだ

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十回目で、第二部「農地改革」の8「母の悲しみ―逆襲」を紹介している。同章の紹介としては三回目。

 このころ、私を苦しめたのは敵だけではなかった。村長の月給が安く、家族を養うことが容易なことではなかった。帰るたびに金が足りない話を聞かされ、思わずかっとなることもある。子供の顔を見れば苦労を忘れると俗にいう。しかし事実は逆である。私はくたくたに疲れて家へ帰り、子供の顔を見ると一層暗い気持になった。何も知らず無邪気に遊んでいるのは可愛いいけれども、こいつらを一体どうして育てて行けるだろうと、反射的に思うのであった。
 そうした憂欝の一面には、私たちの心を鼓舞する事件もあった。或る深夜のことである。役場で三、四人が話していると、突然入口の戸があいて、真白に雪を被った男がはいって来た。誰だろうと皆で緊張した。或る部落の小作人だった。ぼろぼろの着物に、のび放題の髪とひげ、脚には草で編んだ脚絆〈キャハン〉をつけていた。四十代の年輩だが、ひどくやつれている。ぼつぼつと語り出した。――一家は家族は多いが畑は足らず、過ぎた春から夏にはウルイ(山菜の一種)ばかり食って数十日を暮らした。それを採りに山に行くにも、坂にかかれば足が上らない。休み休み何時間もかかって採って来た。これでは死ぬと思って、親類から山羊を借りて来た。その乳を飲んだら、少しずつ元気が出た。そこで息子を励まし、地主から荒地を借り、田を起した。しかしその半分は、地主の世話人のために取り上げられた。何よりつらいのは、自分の田植をしようと思って苗の準備をしたとき、地主から賦役を課せられることだ。一切を投げて行かねばならない。聞けば村長さんは、貧乏人を助けようとしていなさるというが、何分よろしく頼みます。実は私がここへ来るのには、家のものは反対します。私はこっそり抜けて来ました。――
 こんな時は、私は使命感に奮い立った。そうしたときだけが、当時の私には幸福であった。【以下、次回】

 文中に、「賦役」という言葉が出てくる。「ふやく」、「ぶやく」、「ふえき」などと読み、被支配者に課せられる労役の意味。ここでは、地主が配下の小作人に農民に課した労役を指す(いわゆる「経済外的強制」である)。原文にはルビがないが、同じ著者の『回想 わが江刈村の農地解放』(朝日新聞社、一九八九)を見たところ、「ぶやく」というルビが振られていた。

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