◎「正史に出てゐる以外の事は何も書いてありません」露伴
雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その六回目。
驚くべきは、この劇的伝奇的長篇が厳密に正史に憑つて〈ヨッテ〉書かれたといふことである。私は始め、これを燕王簒位の事件に材を借りた、露伴先生創作の歴史小説だと思ひ、右にも仮りに之を叙事詩と称したのであるが、御殿場で訪問した機会に先生に問ふと、記事はすべて憑りどころがあり、「正史に出てゐる以外の事は何も書いてありません」といふ事であつた。作中には明史・明朝記事本末等の書が挙げられてゐるから、主なる材料は此等に取り、旁ら〈カタワラ〉道衍〈ドウエン〉・方孝儒〈ホウコウジュ〉其他作中人物の述作、詩文等を参考にしたものであらう。それにしても、窮屈なる史実の拘束の下に、一〈イツ〉の仮構にもよることなしに、あれほどに人を喜悲せしめ、感奮〈カンプン〉せしめ、叙述をするといふことは、歴史としても文芸作品としても、殆ど類例のないところで、他人の想ひ及ばず、露伴たゞ一人よく到り得た境地ともいふべきものであらう。【以下、次回】