◎こういうとき小作人たちの弱いのには驚いた
中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その三十七回目で、第二部「農地改革」の9「再調査」を紹介している。同章の紹介としては六回目(最後)。
この日は地主側の敗北であった。それまでは地主と相会した〈アイカイシタ〉場合、ただの一度もこちらの気勢の上ったことはなかった。この再調査の日から一ヵ月ばかり前に、やはりこの日の遠藤が、同じ開拓課の成沢という係長をつれて、村にやって来たことがある。地主と小作者を集めて和解させようというのであった。その日私は葛巻町で酒を呑まされ、少しおくれて会場についた。中学校であった。赤い顔をして出て行ったらまた非難があろうと思って、宿直室で寝て酔をさましていた。会場から洩れて来る声をきいていると、気勢をあげているのはみな地主たちで、味方の声はとんと聞こえて来ない。そのうちに、地主たちは勢いに乗じ、誰も答えられぬなら村長を出せという。助役〔川戸与四郎〕が呼びに来たから、もう少し待ってくれといわせた。すぐ引っぱって来いという声がするので、迎い〈ムカイ〉を待たず出て行った。壇に立って、何の用かと質したら、今度は向う側がたじろいだ。行きがかり上、二、三人で何か言って来たが、前の小学校の時よりも弱かった。
こういうとき、小作人たちの弱いのには驚いた。川原〔徳一郎〕や山村〔繁蔵〕なども地主たちと単独で渡り合おうとはしなかった。弁舌に自信がないのであろうか。頭のよさでは、やはり地主側に歩〈ブ〉がある。この夜成沢係長は遠藤の家に泊った。地主側の有志たちは葛巻まで押しかけて深更まで呑んだという。私はその翌日盛岡へ出る途中、この男と一緒になった。互に昨日までは知らぬ仲であったが、私は彼が敵に味方するものと思い、彼が私を地主たちのいう通りの人間だと考えているに違いないと思った。一夜の宿はそんな意味をもつのであった。彼は地主たちの言っていることを話してくれた。それによれば、村長はロシヤ人を村に連れて来て、江刈村を赤化する計画だ、それだからわれわれは開拓に反対するのだ、ということだった。驚いた話ではあるが、私には思い当るふしがあった。かつて役場で、北満の白系露人の生活が北国の生活として合理的だと語り、あんなのを二、三戸入れたらよくなるだろうと話したことがある。それを当時の〔下屋敷〕収入役あたりが、向うへ伝えたのであろう。無知のために聞きまちがえたのか、故意にひんまげたのかは未だに知る由もない。
その夜、山村の家では、味方の気勢がいよいよ挙がり、遠藤が寝てしまってからも、川原などは彼をやっつけるといって意気まいた。