◎幸田露伴「曹操は目からが鼻へぬけるやうな人ですから」
雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その二回目。
支那の古代に於ける器具器械、殊に生産用具に就いて御尋ねしたことがある。この質問は先生の意に適つた〈カナッタ〉らしい。先生は会心の笑〈エミ〉を浮べつゝ、話を進めて周礼を説き始めた。周礼に就いて私は何も知らなかつた。併し、先生が私も当然熟知してゐるものときめて話をされることを、人名や書名に就いて、さう一々話の腰を折つて質問できるものではない。暫らくは遠慮なくそれもしたが、やがて追付かなくなつて、離れてしまつた。先生も途中で気がつかれたか、例えば「晋の時――ススムシンですな、その晋の時に……」などと、ところどころ仮名をふるやうな話し方をされたが、そんな事では結局間に合はなかつた。
話が三国志に移る。「曹操は、なに分御承知の通り、目からが鼻へぬけるやうな人ですから」と先生は言ふ。曹操はどうかすると奸雄のやうに思はれてゐる。それを露伴は親しげに「目からが鼻へぬける」やうな人物と評としてゐる。それを「御承知の通り」と言はれるけれども、こちらは一向承知ではない。また、たしか玻璃〈ハリ〉の西方からの伝来に関することであつた。弟は武将で、兄は学者という兄弟の人物が、話の中に現れる(失名)。「この弟の方には私は近づきがない。兄の方は学者だから知つてゐます」といふ。すべて此調子で、支那歴史上の人物に就き、町内の知人の事のやうに語り、質問すれば、袋から物を取り出すやうに出して示される。その袋の中には貴重なものが充ちてゐることを知りつゝ、それを先生に取り出させることが出来ず、また出して示されたものに対し、充分その価値を認める力の自分にないことが、対話の間に時々もどかしさを私に感じさせた。【以下、次回】