◎村民大会が私の知らぬ間に偽造されていた
中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十八回目で、第二部「農地改革」の8「母の悲しみ―逆襲」を紹介する。例によって、何回かに分けて紹介する。
8 母の悲しみ―逆襲
適地選定委員会は問題を保留した。この日から〔一九四八年〕四月の再調査までが長かった。どちらも無為にして待つというわけには行かない。敵の代表たちはしげしげと盛岡に出る。村内の会合もますます盛んである。こちらもじっとしてはいられない。同じようなことをして、気勢をあげねばならない。
その頃、県開拓課に、江刈村の地主たちの連名で陳情書が出た。私はそれを見せられたとき、驚きを新たにした。乳牛を飼っている全農家の戸別調書が作られ、それに附せられた陳情書には「このように各酪農家にとっては採草地は生命である。それを現村長の政策によって買収されてしまえば、現在六百五十頭もいる乳年は三十五頭に減る計算で、酪農村として著名な江刈村も一挙に壊滅する」という意味のことが書いてあった。計算の根拠は、牛一頭につき三町歩の採草地が必要だということだった。さらに驚いたことには、陳情書には村民大会の決議なるものが添えられていたことである。これは適地選定委員会にも配られたものだったという。江刈村の全村民は、村長の開拓政策に反対で、未墾地の買収は中止するよう要望し、ここに決議したという文書である。村民大会が開かれたことは噂にも聞いたことがなかったが、日付を見たら、農地改革一周年のときの、江刈小学校のつるし上げの日だった。村民大会は私の知らぬ間に偽造されていたのだ。
私は岩泉龍という人間に対する認識を改めざるを得なかった。この尨大な調書といい、決議書といい、平凡な田舎村長などの思いつくことではない。こういう妙手は私には考えつかなかった。六百五十頭にも山がかけてあるし、牛一頭に三町歩の採草地が要るというのも素人欺し〈シロウトダマシ〉だ。私はすぐにペンをとって、反対の陳情書を書いて提出した。私は「乳牛を減らすつもりで開拓をやるのではない。確実にふやす計画なのだ。今の酪農は地主酪農に過ぎないが、これを全農家のものにするためには、皆にまず耕地を与えねばならない。採草地がなくなるというが、開拓適地の三分の二は山林であることを彼らはごまかしている。また採草地を飼料畑にして使ったら、面積は十分の一でも済むではないか」といった意味のことを書いた。このことは地方新聞にも載った。
このころから、岩泉龍氏に対する私の憎悪は極端にまで昂まって行ったし、地主たちの私への憎しみも頂点にまで燃えて行った。龍氏は一体何のためにこれほどしつこく私に反対するのか。彼は地主の出ではあっても、彼の所有する未墾地などは一坪もない。兄の浩太郎氏にしても、大事な採草地を一ヵ所もっていることは知っているが、私はそれにふれようとはしていない。一言でよい。自分のところに来て話してくれればよさそうなものだ。われわれは皆同じ根から分かれた人間同士ではないか、などと思ったのだが、現実には妥協すべくもなかった。【以下、次回】