礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

テラとメラの兄弟の話(幸田露伴)

2022-05-18 06:13:56 | コラムと名言

◎テラとメラの兄弟の話(幸田露伴)

 雑誌『世界』の「第22号」(一九四七年一〇月)から、小泉信三のエッセイ「露伴と今日の読者」を紹介している。本日は、その三回目。

 此の通り、私は露伴の談話から貴重のものを掴むことは出来なかつた。それでゐて、どうでも好いやうなことは正確に覚えてゐる。その一つであるが、カステラとカルメラの語源について小話がありますが、御存じですか、ときかれたことがある。遠国からテラとメラといふ二人の兄弟が日本へ渡つて来て、と先生は話し出した。日本へ来て、二人とも菓子屋を始めた。テラは小麦粉を焼いてふくらせ、メラは砂糖を焼いてふくらせる。夫々〈ソレゾレ〉それを売り出したが、テラの方はよく売れ、メラの方は少しも売れない。「だんだん工面が悪くなつて」メラは始終兄貴〈アニキ〉の許へ金を借りに行くやうになつた。兄には貸す。そこで「貸すテラ」「借るメラ」といふ名前が出来たといふのです、といつて先生は破顔した。
 その後、時々殊に最近露伴歿後、私は此の話を思ひ出して自ら苦笑した。露伴作品の中、作者が調子を加減して書いたものが丁度吾々に手頃だつたのではないか。勿論カステラ語源談程度のものを喜んだとは考へないが、露伴先生が最も苦心し、最も得意であつた考証や議論は、反響を喚ばずに終るか、或は反響のないことを予め〈アラカジメ〉感じて、先生の方で言ひ出さずに終つたといふことはなかつたらうか。若し一〈ヒトツ〉の時代の公衆が、知職と感覚の低度のため、時の第一の文豪からその蘊蓄を引き出すことが出来ないまゝで逝かしめたとしたら、これほど遺憾な、不面目なことはない。この点で小林君や土橋利彦君が晩年の先生の左右に待して、無理にも幾つかの知識思想の断片を聴き出して伝へられたのは(今後も恐らく伝へられるのは)感謝すべきことである。【以下、次回】

 文中、「小林君」とあるのは、編集者の小林勇のこと(当時、岩波書店支配人)。「土橋利彦」は、幸田露伴研究家・塩谷賛(しおたに・さん)の本名である。

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