◎兵権を天皇に回収したことは維新の改革の一要目
『国家学会雑誌』第四八巻第五号(一九三四年五月)から、清水澄の論文「帝国憲法改正の限界」を紹介している。本日は、その三回目。
三 帝国憲法第五条に、「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とある。天皇は統治権の総攬者なるが故に(帝国憲法第四条)、立法権もまた、天皇が帝国議会の協賛を条件として御躬ら〈オンミズカラ〉之を行はせたまふのである。現代立憲政治の要件として、議会をして立法に関与せしめねばならぬ。併し、それは天皇が躬ら立法権を行はせらるゝに当り、帝国議会の協賛を条件としたまふを以て足る。天皇が躬ら立法権を行せらるゝも、帝国憲法の協賛を条件とすれば、現代立憲政治の要件に於て何等欠缺〈ケンケツ〉する所はない。既に天皇を以て統治権の総攬者とする以上、立法権もまた天皇が躬ら之を行はせらるゝこと、当然の事理〈ジリ〉である。欧米立憲諸国の憲法には、立法権は国の元首が議会と共同して之を行ふとか又は議会が単独に之を行ふとかの明文を掲げたるものが少くないが、帝国憲法第五条の規定は、素より斯くの如き趣旨に向つて改正せらるべき何等の余地を存せざるものである。欧米諸国憲法の一条項を見て我国独特の体制を忘れ、我に於て濫りに彼に倣はんとするが如きは、実に思はざるの甚しきものである。
帝国憲法第六条に、「天皇ハ法律ヲ裁可シ(下略)」とある。法律は、帝国議会の議決を経たる後更に天皇の裁可を経て初めて成立する。立法権は天皇の躬ら行はせらるゝ所であり、帝国議会の協賛は天皇の立法権行使の条件に過ぎざるが故に、帝国議会の議決のみに因りては法律が成立することなく、最後に天皇の裁可を得て初めて法律の成立を見るべきことは、寔に〈マコトニ〉当然の事埋である。されば、前段所述の如く帝国憲法第五条の規定に改正を加ふるの余地なきと同時に、此の第六条の規定にも亦改正を施すの余地なしと謂はねばならぬ。
四 帝国憲法第十一条に「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とあるは、即ち天皇の兵馬大権を明記したるものである。そもそも、上古建国以来兵馬の権は代々天皇の親ら〈ミズカラ〉掌握したまふ所であつたが、中世に至つて専ら之を武門に委ねらるゝや、実力ある所権力之に伴ひ、遂に政権も亦武門に移つて茲に所謂武家政治を現出し、其の勢〈イキオイ〉数百年に亘つて容易に衰へず、其の間天皇はたゞ殆ど空位を擁せらるゝに過ざざる姿であつた。明治維新の改革は王政復古の大旆〈タイハイ〉の下に此の情勢を打破し、政権も兵権も総て天皇躬ら之を掌握したまふことゝした。まことに兵権を武門より天皇に回収せられたることは、明治維新の改革の一要目であつた。此の次第は、明治十五年〔一九八二〕一月軍人に下したまひたる勅諭の中に昭記せられたる通りである。されば、陸海軍の統帥は之を天皇の大権に専属せしむること、我が国家体制の一要義として復た〈マタ〉動かすべからざる所である。従て、帝国憲法第十一条の規定は、絶対的に変更を許さゞるものと謂はねばならぬ。
陸海軍の統帥は所謂天皇の帷幄〈イアク〉に属するもので、其の他の国務とは明に之を区別せねばならぬ。それは国務大臣の輔弼〈ホヒツ〉の範囲外に在るものである。然るに、世上往々此の点に付て誤解を抱く者なきにあらさるが故に、陸海軍の統帥は国務大臣の輔弼に頼るの限に在らざることを明にする為めに、右の憲法の条項に適当なる改正を加ふることは、或は之を歓迎すべきであらう。【以下、次回】