◎昭和テロリズム擁護論の先駆は吉野作造
吉野作造『講学余談』(吉野作造著作集、「主張と閑談」第六、一九二七年五月)から、〝宮島資夫君の「金」を読む―朝日平吾論〟を紹介している。本日は、その四回目(最後)。
× × × × ×
斯くいへばとて私は、安田翁を殺したのを当然だなどといふのではない。朝日の行動には徹頭徹尾反対だ。ことに一安田翁を除くことに依て直に〈タダチニ〉社会を救ふを得べしと考へた短見は憫笑の至りに堪へぬ。けれどもあの時代に朝日平吾が生れたと云ふその社会的背景に至ては、深く我々を考へさせずには置かぬものがある。日本の青年にはなほ幾分古武士的精神が残つて居る。不義を懲らす為には時に一命をすてて惜まない。加之〈シカノミナラズ〉一方には富の配分に関する新しき理想も動いて居る。此時に当り社会の上流に金の為には何事を為すに辞せぬといふ貪慾な実業家があるとしたなら、この古武士的精神と新時代の理想との混血児たる今日の青年が、物に激して何事を仕出来す〈シデカス〉か分つたものでない。斯かる形成は我々よく之を理解しておくの必要がある。また世人をしてよく之を理解せしめておかなければならない。こゝに「金」の公刊が、今日の時代に方り〈アタリ〉、文芸作品としての外に、更に一つの特殊なる使命をもつ所以があると考へるのである。【以下、略】
吉野作造の文章は、まだ続くが、紹介はここまでとする。
さて、前回、紹介したところで、吉野作造は、「今更死屍に鞭つ(むちうつ)つもりは毛頭ない」と言っていた。また、今回、紹介したところでは、「朝日の行動には徹頭徹尾反対だ」と明言している。
にもかかわらず、吉野は、安田善次郎の死屍に、厳しくムチ打っている。その一方で、朝日平吾という人物については、「不義を懲らす為には時に一命をすてて惜まない」古武士的精神を、彼に見出している。
今月三日のブログで紹介した通り、吉野は、「安田翁が如何にしてかの暴富を作つたかを思ふとき、社会の一角に義憤を起すものあるも怪むに足らぬ」と述べていた。朝日平吾の行動に、「深い社会的乃至道徳的の意義」を認めようとしていた。
この事件に対する吉野作造の立場は、すでに明らかであろう。すなわち、不義を懲らすテロリズムの「擁護」である。民本主義を唱え、大正デモクラシーの理論的に指導したリベラリストに、こうした過激な発想があったことを、私は知らなかった。この吉野の発言が、当時の日本社会に、どういった影響を与えたのかは把握していないが、いずれにしても、吉野作造という人物に対する私のイメージは、大きく変わった。
橋川文三は、津久井龍雄との対談の中で、「昭和テロリズムのいちばんの先駆が朝日平吾」という見方を紹介している。また、「吉野さんみたいな学者は、あの事件の中に、世の中の大きな変換というものが象徴されているというふうにビシャッとつかまえているんですよね」という発言もしている。
橋川は、こういう表現で、吉野作造という学者を高く評価している。しかし私は、この事件に関する吉野作造の発言を、評価しようとは思わない。昭和テロリズムを擁護したのは、知識人としては吉野作造が先駆だった、というのが私の認識である。
※都合により、明日はブログをお休みします。