◎「総戦力下」における宗教統制と宗教弾圧
龍谷大学の赤松徹真(あかまつ・てっしん)教授に、〝総戦力下の神仏問題と本願寺派「宗制」〟という興味深い論文がある(『眞宗研究 眞宗連合學會研究紀要』第五二巻、二〇〇八年三月)。
その論文の中で、赤松教授は、「総戦力下」における政府の宗教統制について、次のようにまとめている。
さて、政府は、法律第七七号として宗教団体法を一九四〇(昭和十五)年四月一日に施行し、宗教界を管轄する文部省は、九月に三教〔教派神道・仏教・キリスト教〕代表者を集めて、各宗派の合同を強硬に求め、各宗の翼賛体制への参加を強力に行政指導していた。一九四一(昭和十六)年三月に仏教連合会は「大日本仏教会」に改組し、七月には文部省と大政翼賛会の後援で各宗首脳五百人が東京小石川伝通院〈デンヅウイン〉に集まり、第一回の大日本宗教報国会を開催した。それは明らかに政府の意向に応えるものであった。翌年二月には、三教の「大詔奉戴宗教報国大会」が代表二千名の参加のもとで開催され、四月には神仏基イスラムが「興亜宗教同盟」を結成し、総裁に林銑十郎〈ハヤシ・センジュウロウ〉、副総裁に大谷光瑞、理事長に、永井柳太郎、遠藤柳作らが就任した。十月には、物資不足が懸念される中で寺院の仏具、党鐘などの軍需品生産の資材として供出する方針を決定した。一九四三(昭和十八)年九月には、三教連合の「財団法人大日本戦時宗教報国会」が作られ、事務局を文部省内において「文部省と表裏一体となって宗教報国に邁進することを」明らかにしたのである。一九四四(昭和十九)年一月には、〔岡部長景〕文部大臣の下に「宗教教化方策委員会」を設置し、五月には三教の参加で「宗教教化活動促進に関する答申」を出し、八月には政府は「戦時宗教教化活動強化方策要綱」を決定し、九月にはその決定にもとづき三教の各連合会を解消して「大日本戦時宗教報国会」を結成したのである。このように、文部省管轄下のある宗教界は、総力戦体制を翼賛する組織、国民動員の装置として機能していたのである。〈二二三~二二四ページ〉
若干、注釈する。大谷光瑞(おおたに・こうずい、一八七六~一九四八)は、浄土真宗本願寺派第二十二世法主。永井柳太郎(ながい・りゅうたろう、一八八一~一九四四)は、政党政治家。遠藤柳作(えんどう・りゅうさく、一八八六~一九六三)は、官僚、政治家、弁護士。
ここで赤松教授は、宗教弾圧については言及していないが、同時期、深刻な事例が数多く生じている。たとえば、一九四一年(昭和一六)四月には、旧「本門法華宗」(同年三月の宗派合同によって「法華宗」の一部となっていた)に対して不敬罪が問われ、幹部ら六名が逮捕された。一九四三年(昭和一八)七月には、創価教育学会(創価学会の前身)に対して不敬罪と治安維持法違反が問われ、幹部ら二一名が逮捕された。
「宗教団体法」は、一九三九年(昭和一四)四月公布、翌年四月施行。赤松教授は、同法について、この論文で要を得た解説をおこなっている(次回のブログで引用)。なお、赤松教授の論文は、インターネット上で、容易に閲覧できる。【この話、続く】