礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

立憲政治は議会を設けて立法に参与せしむることを要件とする

2022-08-19 02:02:35 | コラムと名言

◎立憲政治は議会を設けて立法に参与せしむることを要件とする

『国家学会雑誌』第四八巻第五号(一九三四年五月)から、清水澄の論文「帝国憲法改正の限界」を紹介している。本日は、その四回目。

  帝国憲法第三十三条に「帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス」とある。是れ即ち二院制度である。二院制度の理由は委しく言へば数多の点を挙ぐることを得るが、其の最も主要なる点は、下院に於ける多数党の横暴を上院に於て適宜に抑制し、以てよりよく国民の総意を議会に反映せしめんとするに在る。我が立憲政治は疑もなく、二院制度を以て要訣と為すものである。然るに、世上往々貴族院を廃して衆議院のみの一院制度とすべしと唱道する者がある。其の論旨は、衆議院を以て国民の総意を正当に代表せしむるに充分なりとし、貴族院は却つて民意の伸暢を阻止するものであるといふに在る。夫れ果して然る乎。若し実際に於て衆議院議員の選挙が極めて公正に行はれて謂はゆる理想選挙の世の中となり、且議会に於ける議事が真に是を是とし非を非とするの主義の下に極めて適実に行はるゝことゝならば、衆議院は其正の意味に於ける輿論〈ヨロン〉の府であり、能く国民の総意を代表することを得るであらう。乍併、斯くの如きは木に縁りて魚を求むるの類といはうか百年河清を待つの類といはうか、到底実現の見込みなきことは識者を俟つて初めて知る所ではない。既に然らば、衆議院のみを以て足れりとし貴族院を不要なりとする論者の所説は、理論上には兎も角〈トモカク〉実際上には全く成立の根拠なきものと謂はねばならぬ。かくて、貴族院の存在は立憲政治の運用上欠くべからざる必要条件であり、従て、帝国憲法第三十三条の規定も亦絶対的に変更すべからざるものである。
 但し、現今の貴族院が、果して衆議院に於ける多数党の橫暴を牽制し以て能く其の院本来の使命を竭して〈ツクシテ〉居るかどうかは、おのづから別個の問題である。此の目的を達せんが為めには、之を達することの出来るやうに制度を整ふることも亦必要である。是れ即ち貴族院改正論の抬頭する所以であつて、それは貴族院廃止論と異なり充分なる合理的根拠を有するものである。実に多年の宿案なりし貴族院改正論はやうやく大正十四年〔一九二五〕に至つて結実し、同年同院の組織の上にかなり大なる改正が加へられた。此の改正は単に貴族院令の改正のみに止まつたが、更に百尺竿頭数歩を進めて、貴族院の組織に関する根本条規たる帝国憲法第三十四条の規定に多少の改正を加ふることも亦、必ずしも不可とすべき限では無い。なほ余談に渉るが、貴族院をして衆議院に於ける党争に超越して自己独特の立場に在らしむる為めには、両院の間に事実上党派的連繋なからしむるを可とする。而して、之が為めには、貴族院議員たる者は政党に加入することを得ずとの禁制を設くることが、多少の効果を齎す〈モタラス〉ではなからうかと思はれる。
  帝国憲法第三十五条に「衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス」とある。立法に参与せしむる為めに議会を設け、議会の少くとも一半は国民の公選に依つて之を組織することは、疑もなく立憲政治の欠くべからざる必要条件であつて、之なくしては何の立憲政治ありと言ひ得やうや。されば、衆議院の組織を一部分にても公選より官選に変更するが如きことあらば、是れまさしく立憲政治の根底を破壊するものである。従て、帝国憲法第三十五条に於ける「公選」の二字は正に之を金科玉条と為すべく、いかなる事あるも変更すべからざるものである。其の公選の条件に至つては一に〈イツニ〉衆議院議員選挙法の定むる所であつて、苟くも公選の旨義を害することなき限り時に幾多の改正を施すを妨げざることは、既に過去の事例に因つて明にせられたる所である。
 茲に序に〈ツイデニ〉一言したい事がある。世には往々、議会政治に弊害あるの故を以て直に〈タダチニ〉立憲政治を忌避せんとする者がある。乍併、これは愆つて〈アヤマッテ〉立憲政治と議会政治とを混同し両者を以て同一意義なりと誤解するものである。議会政治とは、議会に於ける多数党をして内閣を組織せしめ、以て政府対議会の関係を円滑ならしひることを国政運用の根蔕〈コンタイ〉とするものである。立憲政治は議会を設けて立法に参与せしむることを要件とするに止まり、議会の多数党に内閣を組織せしむることを要求するものではない。立憲政治と議会政治とは本来別個の意義を有する。立憲政治なくしては議会政治はあり得ない。立憲政治は時として議会政治に堕することなきを保せぬ。乍併、両者の差別は厳正に之を認識せねばならぬ。議会政治が動〈ヤヤ〉もすれば多数党の横暴の弊に陥り易いことは、争ふべからざる事実である。さればとて、議会政治を排撃するの余〈アマリ〉、本来之とは別個の存在たる立憲政治を廃止すべしと言ふが如きは、角〈ツノ〉を矯めん〈タメン〉として牛を殺すの愚に喩ふ〈タトウ〉べきか、遂に其の可なる所以を見ないのである。【以下、次回】

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