礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

僕は北さんの所で朝日平吾に会っている(嶋野三郎)

2022-08-27 00:03:39 | コラムと名言

◎僕は北さんの所で朝日平吾に会っている(嶋野三郎)

 当ブログでは、今月三日から六日にかけて、吉野作造の「朝日平吾論」を紹介した。民本主義者として知られる吉野作造が、テロリズムを擁護するかの如き発言をしていたことに、かなり驚いた。
 その後、朝日平吾のことについて、少し調べてみた。今のところ、参照できたのは、次の諸文献である。

・宮島資夫『金(かね)』〔小説〕萬生閣、一九二六年四月【国立国会図書館デジタルライブラリー】
・吉野作造「宮島資夫君の『金』を読む=朝日平吾論」吉野作造『講学余談』〔吉野作造著作集「主張と閑談」第六〕文化生活研究会、一九二七年五月【国立国会図書館デジタルライブラリー】
・久野 収「日本の超国家主義―昭和維新の思想―」久野 収・鶴見俊輔『現代日本の思想―その五つの渦―』岩波新書、一九五六年一一月
・津久井龍雄・橋川文三(対談)「諌死・斬奸の思想」『伝統と現代』の第14号〔暗殺〕、一九七二年三月【今月二日のブログで紹介済み】
・川合貞吉『北一輝』新人物往来社、一九七二年一二月
・吉田喜重監督(別役実脚本)『戒厳令』現代映画社・日本ATG 、一九七七年七月【DVD、ジェネオンエンタテイメント】
・鈴木邦男(聞き手)「老壮会・嶋野三郎氏に聞く」島津書房編『証言・昭和維新運動』島津書房、一九七七年二月

 社会運動家の川合貞吉(かわい・ていきち、一九〇一~一九八一)は、その著書『北一輝』の一八二ページで、朝日平吾について次のように述べている。

 かれの遺言状をみると、天皇の権威を逆手にとり、日本を改造しようとした、北の手法をそのまま使ったことがうかがわれる。朝日平吾は北一輝とはなんの面識もなかった。しかし天皇の権威を逆手に使って、当時の日本の政治権力構造の一部をなす財閥に一弾を放った点では、北一輝の一番弟子といってもよい。

「朝日平吾は北一輝とはなんの面識もなかった」とある。しかし、朝日平吾が生前、北一輝のところに出入りしていたという証言もある。
「老壮会・嶋野三郎氏に聞く」の一六~一七ページには、次のようにある(聞き手は、鈴木邦男氏)。

 ――北一輝のまわりには、ずい分と面白い人間が集まっていたんですね。
 嶋野 北さんの家で会ったんだが、朝日平吾という男は一徹もんだったな。
 ――朝日平吾というと、安田財閥の安田善次郎を殺して、その場で自決したという…。
 嶋野 そうそう。時折北さんの所へ来ていたよ。伊達順之助を色白にしたようで、男ぶりがよかったな。
 ――朝日平吾は、自決後、遺書と血染の服を北にやるように、言付けていたらしいですね。しかし色々な本を読んでも、朝日の方では北に傾倒していたが、北には一度も会ったことがなかったと書かれているのですが。
 嶋野 そんなことはないよ。現に僕は北さんの所で会ってるんだもん。北さんは朴烈だとか、大杉栄だとか、多くの変わった人間とのつき合いがあるんだが、あまり、そんなことは人には言わなかったね。

 嶋野三郎(一八九三~一九八二)は、ロシア研究家。老壮会・猶存社・行地会に参加。
 北一輝と朝日平吾との関わりについては、補足したいことがあるが、機会を改める。

*このブログの人気記事 2022・8・27(9位の安重根、10位の吉本隆明は久しぶり)

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