◎我国は独特の國體を有する(清水澄)
『国家学会雑誌』第四七巻第八号(一九三三年八月)から、清水澄の論文「帝国憲法の解釈に付いて」を紹介している。本日は、その二回目。「國體」という言葉については、正字(旧漢字)を使用した。
二
帝国憲法の制定の際、諸外国の憲法が参考として尋酌〈シンシャク〉せられたることは、世間周知の事実である。帝国憲法の或る条項を解釈するに当つて、外国憲法の該当条項の意義を検討して之を其の参照に供するは、また固より当然の措置である。乍併〈シカシナガラ〉、帝国憲法の根本観念の中には外国憲法の窺覦〈キユ〉を許さざる独特の本領がある。君主国体制の如きは、実に其の尤なる〈ユウナル〉ものである。帝国憲法の条項中かかる独特の本領に直接に因由するものを解釈するに際しては、たとひ外国憲法に之に該当する条項あるも之に追随することなく、一に〈イツニ〉独自の見解を以て之に臨まねばならぬ。
帝国憲法第四条に、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」とある。諸外国の憲法にも概ね〈オオムネ〉、国の元首たる君主又は大統領に就いて之と同様の条項があり、而してそれは元首は国家の機関なることを規定したるものと解せられて居る。此の外国憲法の解釈を引用して、我国に於ても天皇は国家の機関なりと為し、帝国憲法第四条を以て此の旨義を規定したるものと解する者がある。乍併、我国は諸外国とは建国の根底を異にし独特の國體を有する。其の君主國體制は、帝国憲法第一条に最も鮮明に直示せられたる所である。而も、此の体制は此の憲法に依つて創定せられたるものではなく、此の憲法は建国以来確固不動の此の体制を宣言したるに過ぎざるものである。乃ち、天皇は国家の統治者であつて国家の機関ではない。
帝国憲法第三十七条に、「凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス」とある。普国〔プロシャ〕旧憲法第六十二条第二項に「凡て法律は国王及両議院の同意を要す」との規定があつて、同国公法学者の多数は、茲に法律と称するは実質的に法規たるものの謂〈イイ〉であると解して居る。ここに於て、我国の憲法学者中、帝国憲法第三十七条に謂はゆる法律も亦之と同じく実質的に法規たるものの義であつて、凡そ〈オヨソ〉実質的に法規たるものは帝国議会の協賛を経て法律と為すことが、同条の要求する所であると解する者がある。乍併、我が憲法は、国家の統治者たる天皇が広き範囲に於て法規を定むるの権を有せらるるものと為して居る。帝国憲法第九条の規定は、正に此の趣旨に発足したるものである。此の点に於て、帝国憲法は普国旧憲法の如きものとは其の根本原理を異にするものと謂はねばならぬ。従て我の第三十七条の規定には、彼の第六十二条第二項に関する解釈を離れて独自の解釈を加へねばならぬ。帝国憲法に法律と称するは、実質的には法規たり形式的には帝国議会の協賛を経たるものの謂である。此の解釈は、憲法各条に謂ふ所の法律に当嵌る〈アテハマル〉。其の第三十七条に於ける法律に付ても亦然り。
三
帝国憲法は最高の国法であり百世の大則であるが故に、其の解釈は努めて厳正なる理論に基きて之を立つべきもので、苟くも当面の便宜に依つて之を左右するが如きことあるを許さぬ。
嘗て陪審法案が帝国議会に提出せられ世上盛〈サカン〉に論議せられたる当時、裁判官―裁判を掌る国家の官吏―に非ざる者をして裁判に関与せしむる陪審制度は、帝国憲法第二十四条の「日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルルコトナシ」との規定及同第五十八条の「裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ニ任ス(下略)」との規定に抵触することなきや否やが一の争点であつた。或る論者は、ここに裁判官と称するは、必ずし国家の官吏に限らず国家の機関として裁判を掌る〈ツカサドル〉の権を与へられたる者の謂であると解すべしと為し、従て官吏に非ざる陪審員をして裁判に関与せしむるも敢て右等の憲法上の条規に牴触することなしと説いた。乍併、斯くの如き解釈は、強いて諸外国に於けるが如き陪審制度を我国に輸入せんとするの魂胆〈コンタン〉に出づるものと謂ふを憚らず、畢竟当面の便宜に即し世間一部の気勢に迎合するもので、危険此の上もなき見解である。帝国憲法の厳正なる観念に従へば、所謂裁判官は裁判を掌る国家の官吏に限ること疑ない。其の裁判官の中に官吏に非ざる者をも包含するといふが如き解釈を容認するの余地は毛頭ない。我が陪審法に依れば、裁判所は刑事事件に付〈ツキ〉陪審の評議に付して事実の判断を為すもので(陪審法第一条)、此の場合に於て、裁判所は陪審の答申を採用すると否との自由を有し、其の答申を不当と認むるときは何回にても事件を他の陪審の評議に付することを得るのである(陪審法第九十五条)から、事実の判断即ち裁判を為すの権限は専ら裁判所に属し、陪審員は毫も〈ゴウモ〉裁判そのものに関与するものではない。此の旨趣に於て、陪審法は帝国憲法の条規に牴触することなくして成立し得たのである。【以下、次回】