◎松川事件と「女泣石」
昨日の続きである。出所不明の文書によれば、事件当日、佐藤金作さんは、現場を通りかかり、二人ほどの「大男」が枕木からレールを外しているのを見た。そのあと、「大男」の仲間(日本人)が、自宅まで尾行してきたという。佐藤さんは、現場を通って帰宅するところであった。佐藤さんの自宅がある渋川村は、松川駅のすぐ南である。つまり佐藤さんは、当日、東北本線沿いの道を、松川駅方向(上り方面)に向かって歩いていたことになる。その歩いていた道は、おそらく線路東側の道であろう。
レールを外していた「大男」の仲間が、佐藤さんを尾行してきたというのは、ありうることである。佐藤さんの住所氏名等を把握するためには、これが最も確実な方法だからである。しかし、そのあと、「見知らぬ男」がやってきて、「福島市CICの事務所」に出頭するように命じたという話は、やや怪しい。「福島市CICの事務所」が、佐藤さんを取り調べる必要があると考えていたのであれば、車でやってきて、強引に彼を連行したに違いない。
そもそも、「英文の怪文書」の出所が不明であるということが怪しい(だから「怪文書」というわけだが)。また、それが、佐藤金作さんが「変死」したあとに、出現したという点も怪しい。死んだ人についてなら、どんな話も創造しうる。まさに、「死人に口なし」である。
話変わって、二本松市の村上義雄さんは、事件の直前、現場付近で、「九人の男」に遭遇したということであった(六日のコラム参照)。この村上さんの証言は、信用できるのだろうか。私は、おおむね信用できると考えている。
その「九人の男」は、村上さんに気づいたものの、名前を聞く、尾行するなどの言動をとらなかった。これは、なぜだったのだろうか。いくつかの仮説を立ててみた。
仮説1)この「九人の男」は、事件とは全く関係がなかった。
仮説2)この「九人の男」は、レールを外した実行犯だったが、レールを外しているところを見られたわけではないので、村上さんに関わることなく、そのまま立ち去った。
仮説3)この「九人の男」は、レールを外した「実行部隊」というよりは、あちこちから動員され、周辺で警備にあたっていた「応援部隊」だったのではないか。これら応援部隊は、互いにほとんど面識がなかったため、線路わきで休んでいる村上義雄さんもまた、応援部隊の一員だと誤認した。
このほかにも、いくつかの仮説が考えられるが、とりあえず、三つ挙げてみた。私自身は、仮説3が気に入っている。この仮説については、レールを外した「実行部隊」は、使用した機材ととともに、トラックに乗って現場を離脱したが、動員された「応援部隊」は、徒歩で現場を離脱したという説明を付け加えておこう。
以下は、礫川の憶測である。おそらく「実行部隊」は、「応援部隊」とは、ほとんど面識がなかった。また、「応援部隊」もまた、互いに面識がなかった。そんな状態であっても、作戦(犯行)は遂行できたのである。むしろ、「実行部隊」は、秘密保持のために、あえて面識のない「応援部隊」を招集したのではなかったか。もちろん、「応援部隊」に対しては、あらかじめ作戦(犯行)の内容を知らせていなかったであろう。
この作戦(犯行)が、そのような性格のものだったとすると、重要になるのは、現場の地理に暗い者が多かったであろう応援部隊を、ピンポイントで現場に招集する方法である。そこでカギになったと思われるのが、奇石「女泣石」である。「女泣石」という目標があれば、現場の地理に暗い者でも、ピンポイントで現場に集合できる。応援部隊のメンバーに対しては、日中に下見をおこなうなどして、必ず定刻に、「女泣石」前に集合できるようにしておけといった指示が出されていたことであろう。
犯行直前、実行部隊と応援部隊とが、「女泣石」前に集合。実行部隊は、たぶんトラックに乗って、応援部隊は、徒歩で。実行部隊から応援部隊に対し、指示が出される。「周辺に散らばり、現場周辺に近づく者を完全に阻止せよ。何時何分になったら、各自、その持ち場から離脱せよ」といった指示だったと思う。もちろん、この段階にいたっても、応援部隊のメンバーは、これから何が起きるかを知らない。
応援部隊が去ったあと、実行部隊は、さっそくレールの取り外しにかかる。
レールを取り外した後、実行部隊は、ただちに機材を持ってトラックに乗り込み、現場を離脱。やがて、応援部隊も持ち場を離脱しはじめる。村上義雄さんが、「九人の男」(正確には、三人、続いて六人)に遭遇したのは、この段階だったものと思われる。
渋川村の佐藤金作さんが、現場を通りかかり、二人ほどの「大男」が枕木からレールを外しているのを見たという(昨日のコラム参照)。これは、仮説3の立場に立てば、まずありえない。作戦(犯行)の立案者が、応援部隊を集めたのは、そういう不測の事態を避けるためだったのである。佐藤金作さんが、松川事件を目撃したというのは、やはり「ガセネタ」だったのではないか。もちろん、断定はしないが。
*このブログの人気記事 2015・7・8(2・9・10位に珍しいものがはいっています)
- 石原莞爾がマーク・ゲインに語った日本の敗因
- 「性規範」の断絶、清水文弥と小野武夫
- 松川事件の「真犯人」に遭遇した村上義雄さん
- 永井荷風、藤蔭静枝、そしてカツ丼
- 松川事件の現場を訪ねる
- 古畑種基と冤罪事件
- 憲兵はなぜ渡辺錠太郎教育総監を守らなかったのか
- 松川事件の「目撃者」佐藤金作さんの変死
- 16世紀のラ・ボエシーと21世紀のフレデリック・ロ...
- 『ことわざの話』抜刷本(1930)と柳田國男の神経
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます