◎松川事件の「目撃者」佐藤金作さんの変死
松川事件の「目撃者」としては、村上義雄さんら三人のほかに、佐藤金作さんという人物がいたという。この人は、事件の翌年に「変死」したことで知られている。
以下は、松本清張の『日本の黒い霧』〔増補決定版〕(文藝春秋、一九七三)の「推理・松川事件」からの引用である(三四二~三四三ページ)。
それはともかくとして、以上私の推定する工作が当夜行なわれていたとすると、いかに深夜といえども、また寂しい土地とはいっても、誰か目撃者があったのではないか、という疑問が当然起る筈だ。しかし、今日、その目撃者は出て来ていない。しかし、その目撃者が出て証言をしないからといって、その事実が無かったとはすぐには断定できないのである。
殊に、当時、事件関係者は警察の異常な情熱によって片ッ端から検挙されていた時であり、誰でも極度に係り合いになるのを恐れていたのだった。今でも、実地検証に行って付近の住民に訊くと、いずれも口を固く閉ざして、何も知らぬ、と否定するのだ。
殊に、その物々しい異常な事実を目撃したら、恐怖が先に立って、人に云えたものではなかろう。このへんにも謀略班の心理的な狙いがあったと云わねばならぬ。
そのことで一つの悲劇的な挿話がある。それは、当夜、奇怪な行動をする男を見たと云う人の不思議な死である。
それは英文の怪文書にも打たれて、すでに今では知れわたったことだが、一応、書いておく。
目撃者の名前は、渋川村〔現在、二本松市の一部〕の佐藤金作という人である。彼はたまたま脱線の現場付近を通りかかった時、二人ほどの「大男」が枕木からレールを外しているのを見た。彼はそれを見て、一体、何をしているのだろうかと、ちょっと不審を抱いたが、多分、レールを検査するか、修理をやっているのだろうと、自ら納得して、さして愕き〈オドロキ〉もしなかった。
この仲間に加わっていた一人の日本人が彼の後を尾けて〈ツケテ〉来て、わが家の戸を開けようとするところを、後ろから日本語で呼び止めた。この男は彼に向かって、その晩見たことを他人に口外してはならない、と告げ、口外するとアメリカの軍事裁判にかけられる、と警告した。もとより、彼はそれが何のことか全く理由【わけ】が分らなかったが、ただ、云いません、と容えた。
しかし、翌朝になって、初めてその理由が分った。彼はこの転覆事件について不安を感じていると、五日後、一人の見知らぬ男がやって来て、彼に福島市CICの事務所の位置を書いた地図を見せ、明日、ここへ出頭して下さい、話したいことがあるそうですから、と告げた。彼は恐怖が増して自分の家を逃げ出し、横浜で三輪車〔三輪の自転車タクシー〕の運転手をやっている弟の許〈モト〉に身を寄せ、彼自身も三輪車の運転手になった。
しかし、彼が三輪車の運転手になって二カ月後、昭和二十五年〔一九五〇〕一月十二日、行方が分らなくなった。そして、失踪して四十日余りののち、彼の死体が入江に浮いているのが見つかった、と聞かされた。弟と金作の家族は死体を確めに行ったが、その時はすでに火葬にされていた。
そして、検屍の結果を「傷は負っていない。多分、酒に酔って入江に落込み、心臓麻痺で死んだのだろう」と聞かされた。英文に書かれたことは、調べてみると、それが実際だということが判った。
そして、死んだ金作は、生前、何者かに怯え、自作の川柳にも「自殺するまでの気持を知る暗さ」「頸やっと繋ぎ真綿で絞められる」「バラバラに骨外されて夢が醒め」「種蒔きし人は静かに墓地に消え」「新聞の事に吸いつく批判力」などと作っている。
更に、転覆現場付近に永らく住んでいた乞食が、事件後、いつの間にか姿を見せなくなった、という噂も伝わっている。
これらのことが直接に事件に関係があるかどうかはしばらく措くとしても、たとえ目撃者があっても容易にそのことを口外出来ない事情にあった、という例証になると思う。それならば、破壊活動班は、自分の仲間の警戒と、間接的には日本警察の非常警戒と、目撃者の無い環境の中で、破壊作業を悠々と行なったと見るべきであろう。
例によって松本清張は、憶測とも断定とも取れる微妙な書き方をしている。
文中、「英文の怪文書」とは、一九五二年(昭和二七)六月、労働組合などに送られてきた出所不明の文書で、この文書によって、佐藤金作という「目撃者」がいたこと、彼がすでに変死していることが明らかになったという。
また、CICというのは、Counter Intelligence Corpsの略で、アメリカ陸軍諜報部隊のことである。当時、CIC は、日本占領の六つの軍管区区分にしたがって、それぞれの軍管区に地方本部を置き、主要都市および重要地帯に駐留部隊を置いていたという。
佐藤金作さんという人物が、松川事件を目撃したという話は、私には「ガセネタ」に思えてならないのだが、一応、目撃した状況などについて検討してみよう。【以下、次回】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます