◎所謂キリスト教はニケヤの宗教会議で産まれた
佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(初出、1931)を紹介している。本日は、その八回目。
次に支那の景教といふものと基督教とはどう云ふ違があるかといふことをざつと申上げて置きたいと思ひます。御承知の通り当今のキリスト教と申しますものは、基督教中の新教にしても又た所謂旧教にしても大体に於て共通して居るところがあります。即ちユダヤ人として生れた自然人のイエスといふ人を『キリスト』であるといふことを信ずるのです。この信仰が是がキリスト教であります。私は『耶蘇教』と『キリスト教』は同一でない。両者の意味は互に異るといふことを始終申して居るのであります。私の『耶蘇教』と申しますのは『イエスの教』であります。テイチング・オブ・ジーサス(The teaching of Jesus)『イエスの教』のことであります。孔夫子〈コウフシ〉の教へられたところのものは『孔子教』であります。儒教と孔子教とは必らずしも同一ではありませぬ。それと同様に『キリスト教』と『耶蘇教』とは異るのであります。『イエスに関するポウロの教』テイチング・オブ・ポーロ・アバウト・ジーサスあり。或は『イエスに関する植村氏の教』テイチング・オプ・ウエムラ(植村〔正久〕)、アバウト・ジーサスあり。或は『イエスに関する内村氏の教』テイチング・オブ・ウチムラ(内村〔鑑三〕)アバウト・ジーサスがあるといふことが出来ます。同様にイエスに関してイエス以外の人々の説くとこるの教があります。基督教は寧ろこの方です。「テイチング・オブ・ジーサス」といふ方が耶蘇御自身の御教であるのです。キリスト教と申す宗教は、この自然人である、イエスは神の独り子であつて所謂キリストであると主張する宗敎です。キリストといふ言葉は『油を注がれたる』といふ意味の希臘〈ギリシャ〉語です。シリヤ語及びへブライ語ではこのキリストのことを『メシヤ』と言ふのです。この自然人のイエスと云ふ御方はその母をマリヤと呼び父をヨセフと申して羅馬帝国新領土であった、ユダヤの片田舎に生れた人です。このイエスといふ自然人が猶太民族の多年期待して居つたキリストである。これが真のメシヤであるといふのが所謂キリスト教の根本概念であります。それ故にイエスの教であるところの所謂『耶蘇教』に於ては喧嘩争論はありませぬ。イエスの御垂訓につきて未だ争の生じたことはありませぬ。併しながらキリスト教に於ては喧嘩と争闘とは一種の附属物です。ローマ帝国改宗以来の西洋の歴史を見ますと『キリスト教』に付ては始終争ひが絶えないであります。『キリストを如何に思ふや』といふキリストの解釈論に付ての論争は第三世紀以来絶へたことがないのであります。而して此のキリスト教と耶蘇教との区別から申しますと、支那の景教も亦たキリスト教に属するのであります。この点は景教の研究上最も大切なる一点です。而して唯今のキリスト教と申しますものは、所謂旧教にしても新教にしても西暦三百二十五年に定められたかのニケヤ使徒信経といふものを土台にして建てられて居るのであります。このニケヤ会議の二年前即ち三百二十三年にローマ皇帝コンスタンチン大帝〔Constantinus I〕がローマの皇帝としてどうしてもキリスト教を認めなければならないといふことになりました。而してキリスト教がローマの国教となつたのであります。所が丁度、その頃になつて段々この所謂キリストの意義、内容に関する大なる論争が起つて来たのです。即ち『キリスト』をどう見るか、この自然人のイエスをキリストであるとするに付ては先づキリストとは何ぞやと云ふ問題を解決せねばならなかつたのです。従つて非常に六ケ敷い問題が起つたのです。即ちキリストは神の如きものであるか。(酷似説)神と同一体であるか(同一体説)といふ大論争が起つたのです。埃及〈エジプト〉神学の本山であつたアレキサンドリヤの神学者であつたアリウースと云ふ人はキリストは神の如きものである即ちキリストは神の如きものであると云ふ『ライク』の方を主張したのである。反之〈コレニハンシ〉、アタナシウスといふ人はキリストは神である。神と同一体である。『ザセーム』の方を主張したのです。これが希臘語の所謂『ホモイウシス』(キリストは神の如きもの)と『ホモウシス』(キリストは神と同一である)との論争です。
この論争を解決する為に西暦三百二十五年にニケヤに於て第一回の宗教会議を開いたのです。この大会議は皇帝の召集するのです。ローマ帝国公法上の会議です。従つて皇帝より招集状が発せられ、皇帝の名代が開会を宣告しローマの宗教法の規定に基いて議事も進行せらるゝのです。この会議が西暦三百二十五年に開かれたのです。このニケヤ会議に於て今日の所謂キリスト教が産まれたのです。其の会議に於て決めたのが、第一にキリストは神と同一である。類似でないといふ教理であつたのです。この時に初めてキリスト教の三位一体説が樹立されたのです。父なる神と子なるイエスと父と子より出づる精霊、これら三つのものは同一体である。時間的にも空間的にもこれらの三位は一体である。三者の存在に前後なくその実力から言つても三位は同じ一体であると云ふ、所謂三位一体の教理がこの時に決つたのです。そしてこの三位一体の教理を信じないものは勿論、ローマの国法に背くことになるのであるから重刑に所せられるのであります。この第四世紀の初にローマ法で定めた。三位一体といふ『ドグマ』をローマ帝国がどの位まで強く励行したかといふことは第四世紀以後の法律の規定を御覧になるとよく分ります。例へばヂヤスチニヤン帝〔Justinianus I〕の編纂せられた羅馬法全典の中に規定して居るだけでも、驚くべきものがあります。即ちコーデツキス〔Codex〕第一巻がそれであります。コーデツキスの二巻から八巻までが私法の原則で、コーデツキスの第一巻が宗教法であります。その宗教法の中に若し三位一体を信仰しないものゝ子供が三位一体を信仰する人と婚姻せんとするときは父たるものはイヤでも必ず其の婚姻に承諾の意を表示せねばならぬ法律でした。(『ヴエニス商人』参照)又た若し父母が三位一体を信ぜずしてその子供が之を信仰して居る場合に父母はその子供が父母に対して如何に重大なる犯罪行為を行ひましてもこの不孝の子に必らず相属財産として父母の財産の四分の一を与へねばならない規定です。(Cod.1;5;13)つまり三位一体を信ずれば父母に対しては如何に悪むべきことしても父母の財産の四分の一は貰へると云ふことでした。これはローマのキリスト教法規である。併し先に述べました『耶蘇の教』では断じてありませぬ。加之〈シカノミナラズ〉、妻は若しその夫が三位一体を信ぜさることを證言すれば何時にても夫に対して法律上離婚の請求を為すことがが出来るのです。而してこれら三位一体保護の規定が如何に濫用せられたかは之を想像するに難くはないのです。〈附録31~33ページ〉【以下、次回】
佐伯好郎の『支那の景教に就いて』(初出、1931)を紹介している。本日は、その八回目。
次に支那の景教といふものと基督教とはどう云ふ違があるかといふことをざつと申上げて置きたいと思ひます。御承知の通り当今のキリスト教と申しますものは、基督教中の新教にしても又た所謂旧教にしても大体に於て共通して居るところがあります。即ちユダヤ人として生れた自然人のイエスといふ人を『キリスト』であるといふことを信ずるのです。この信仰が是がキリスト教であります。私は『耶蘇教』と『キリスト教』は同一でない。両者の意味は互に異るといふことを始終申して居るのであります。私の『耶蘇教』と申しますのは『イエスの教』であります。テイチング・オブ・ジーサス(The teaching of Jesus)『イエスの教』のことであります。孔夫子〈コウフシ〉の教へられたところのものは『孔子教』であります。儒教と孔子教とは必らずしも同一ではありませぬ。それと同様に『キリスト教』と『耶蘇教』とは異るのであります。『イエスに関するポウロの教』テイチング・オブ・ポーロ・アバウト・ジーサスあり。或は『イエスに関する植村氏の教』テイチング・オプ・ウエムラ(植村〔正久〕)、アバウト・ジーサスあり。或は『イエスに関する内村氏の教』テイチング・オブ・ウチムラ(内村〔鑑三〕)アバウト・ジーサスがあるといふことが出来ます。同様にイエスに関してイエス以外の人々の説くとこるの教があります。基督教は寧ろこの方です。「テイチング・オブ・ジーサス」といふ方が耶蘇御自身の御教であるのです。キリスト教と申す宗教は、この自然人である、イエスは神の独り子であつて所謂キリストであると主張する宗敎です。キリストといふ言葉は『油を注がれたる』といふ意味の希臘〈ギリシャ〉語です。シリヤ語及びへブライ語ではこのキリストのことを『メシヤ』と言ふのです。この自然人のイエスと云ふ御方はその母をマリヤと呼び父をヨセフと申して羅馬帝国新領土であった、ユダヤの片田舎に生れた人です。このイエスといふ自然人が猶太民族の多年期待して居つたキリストである。これが真のメシヤであるといふのが所謂キリスト教の根本概念であります。それ故にイエスの教であるところの所謂『耶蘇教』に於ては喧嘩争論はありませぬ。イエスの御垂訓につきて未だ争の生じたことはありませぬ。併しながらキリスト教に於ては喧嘩と争闘とは一種の附属物です。ローマ帝国改宗以来の西洋の歴史を見ますと『キリスト教』に付ては始終争ひが絶えないであります。『キリストを如何に思ふや』といふキリストの解釈論に付ての論争は第三世紀以来絶へたことがないのであります。而して此のキリスト教と耶蘇教との区別から申しますと、支那の景教も亦たキリスト教に属するのであります。この点は景教の研究上最も大切なる一点です。而して唯今のキリスト教と申しますものは、所謂旧教にしても新教にしても西暦三百二十五年に定められたかのニケヤ使徒信経といふものを土台にして建てられて居るのであります。このニケヤ会議の二年前即ち三百二十三年にローマ皇帝コンスタンチン大帝〔Constantinus I〕がローマの皇帝としてどうしてもキリスト教を認めなければならないといふことになりました。而してキリスト教がローマの国教となつたのであります。所が丁度、その頃になつて段々この所謂キリストの意義、内容に関する大なる論争が起つて来たのです。即ち『キリスト』をどう見るか、この自然人のイエスをキリストであるとするに付ては先づキリストとは何ぞやと云ふ問題を解決せねばならなかつたのです。従つて非常に六ケ敷い問題が起つたのです。即ちキリストは神の如きものであるか。(酷似説)神と同一体であるか(同一体説)といふ大論争が起つたのです。埃及〈エジプト〉神学の本山であつたアレキサンドリヤの神学者であつたアリウースと云ふ人はキリストは神の如きものである即ちキリストは神の如きものであると云ふ『ライク』の方を主張したのである。反之〈コレニハンシ〉、アタナシウスといふ人はキリストは神である。神と同一体である。『ザセーム』の方を主張したのです。これが希臘語の所謂『ホモイウシス』(キリストは神の如きもの)と『ホモウシス』(キリストは神と同一である)との論争です。
この論争を解決する為に西暦三百二十五年にニケヤに於て第一回の宗教会議を開いたのです。この大会議は皇帝の召集するのです。ローマ帝国公法上の会議です。従つて皇帝より招集状が発せられ、皇帝の名代が開会を宣告しローマの宗教法の規定に基いて議事も進行せらるゝのです。この会議が西暦三百二十五年に開かれたのです。このニケヤ会議に於て今日の所謂キリスト教が産まれたのです。其の会議に於て決めたのが、第一にキリストは神と同一である。類似でないといふ教理であつたのです。この時に初めてキリスト教の三位一体説が樹立されたのです。父なる神と子なるイエスと父と子より出づる精霊、これら三つのものは同一体である。時間的にも空間的にもこれらの三位は一体である。三者の存在に前後なくその実力から言つても三位は同じ一体であると云ふ、所謂三位一体の教理がこの時に決つたのです。そしてこの三位一体の教理を信じないものは勿論、ローマの国法に背くことになるのであるから重刑に所せられるのであります。この第四世紀の初にローマ法で定めた。三位一体といふ『ドグマ』をローマ帝国がどの位まで強く励行したかといふことは第四世紀以後の法律の規定を御覧になるとよく分ります。例へばヂヤスチニヤン帝〔Justinianus I〕の編纂せられた羅馬法全典の中に規定して居るだけでも、驚くべきものがあります。即ちコーデツキス〔Codex〕第一巻がそれであります。コーデツキスの二巻から八巻までが私法の原則で、コーデツキスの第一巻が宗教法であります。その宗教法の中に若し三位一体を信仰しないものゝ子供が三位一体を信仰する人と婚姻せんとするときは父たるものはイヤでも必ず其の婚姻に承諾の意を表示せねばならぬ法律でした。(『ヴエニス商人』参照)又た若し父母が三位一体を信ぜずしてその子供が之を信仰して居る場合に父母はその子供が父母に対して如何に重大なる犯罪行為を行ひましてもこの不孝の子に必らず相属財産として父母の財産の四分の一を与へねばならない規定です。(Cod.1;5;13)つまり三位一体を信ずれば父母に対しては如何に悪むべきことしても父母の財産の四分の一は貰へると云ふことでした。これはローマのキリスト教法規である。併し先に述べました『耶蘇の教』では断じてありませぬ。加之〈シカノミナラズ〉、妻は若しその夫が三位一体を信ぜさることを證言すれば何時にても夫に対して法律上離婚の請求を為すことがが出来るのです。而してこれら三位一体保護の規定が如何に濫用せられたかは之を想像するに難くはないのです。〈附録31~33ページ〉【以下、次回】
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