礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか

2017-04-15 02:37:30 | コラムと名言

◎吉本隆明は独創的にして偉大な思想家なのか

 昨日の続きである。
 小阪修平(一九四七~二〇〇七)は、栗本慎一郎氏との対談を記録した『現代思想批判/言語という神』(作品社、初版一九八五)において、「彼〔吉本隆明〕の考える原理とか普遍性というものは、じつはヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれたような原理や普遍性だと思います」と述べていた。
 小阪修平以前に、そういう指摘をしていた人がいたかどうかは、知らない。しかしこれは、いかにも小阪らしいというか、実に興味深い指摘だと思う。
 吉本隆明に関する、この小阪の指摘が妥当だとした場合、それに対する評価には、少なくとも次の三通りがありうる。

A 吉本隆明の考える原理とか普遍性というものは、ヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれている。それは、一般人の理解を超えた思想であり、同時に、あえて理解するには及ばない思想でもある。
B 吉本隆明の考える原理とか普遍性というものは、ヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれている。一般人の理解を超えた思想であるが、それが独創的にして偉大な思想であることは間違いなく、私たちは、あらゆる困難を克服して、その理解に努めるべきである。
C 吉本隆明の考える原理とか普遍性というものは、ヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれている。それは、かなりの知識人にとっても、難解な思想である。それが独創的にして偉大な思想であるのか、それほどのものではないのか、という点について言えば、その判定自体が困難である。

 対談における栗本慎一郎氏の立場は、Bであろう。小阪修平の立場は、一見するとBだが、Cのように考えていた可能性もある。
 さて一週間ほど前、山本哲士氏の大著〝吉本隆明と『共同幻想論』〟(晶文社、二〇一六)を購入した。まだ、精読したわけではないが、山本哲士氏が、吉本隆明の思想に対してとっているスタンスは、ただちに感得できた。それは、上記のA・B・Cで言えば、Bである。
 実を言うと、栗本慎一郎・小阪修平両氏の対談集のことを思い出したのは、山本哲士氏の新刊を手にしたのがキッカケだったのである。【この話、さらに続く】

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吉本隆明の思想はヨーロッパ的な理性の基準からはずれている

2017-04-14 05:12:51 | コラムと名言

◎吉本隆明の思想はヨーロッパ的な理性の基準からはずれている

 最近、『現代思想批判/言語という神』(作品社、初版一九八五)という本を引っぱり出してきて、読んだ。栗本慎一郎氏と小阪修平氏の対談記録である。この本を引っぱり出してきた理由は、あとで述べる。
 さっそく、引用してみよう(七八~八六ページ)。

栗本 理性とは何か、理性がどこまで有効なのか、どこまで理性に基づいて言語的体系を構築しうるか、という問題は、私ははっきり言って特殊西ヨーロッパ的な思考形式の問題だと思います。日本では、本居宣長をひき出すまでもなく、どこからひき出していっても、理性に対する基本的な信仰というのはないわけです。
小阪 その通りだと思います。でも、なぜ、我々がそういった問題につきあっているかということを考えた場合、それはよそごとではないという感じがあるんですね。
栗本 それはこういうことではないですか。我々が日本で知識人業をやる場合に、西ヨーロッパとのからみが重要になってきていて、西ヨーロッパの学者なり、作家なりを考える場合に、つねに理性が問題になってきている。
 ランボーを問題にした小林秀雄も、ランボーは理性を批判してアンチ理性のランボーになった、というように言っているのであって、軸は理性問題なんです。しかし、そういうことを通して日本の社会の相対化ができたという一面があるし、またそれしか、とりあえず有効な方法はなかった。それは戦前から戦争直後、昭和三〇年くらいまでのところでは、きわめて重大なことであったと思います。
 だけど、それは、ヨーロッパと言っても、じつは東ヨーロッパがあるとか、日本自身の固有の言語体系がもう少し整備されてくれば、つまり、我々は理性を絶対者の背景として措定して、それを武器にとかく円環した一つの(思想としての)言語的体系にまとめねばならないということを、それほど重大な課題としては持っていないということに気づいてしまえば、そこまでの問題だったのではないかと思うんです。ですから、小阪さんは西洋哲学史を書かれているわけですが、西洋とは日本にとって何だったのかという問題をいれて、その上で議論するということがここでのポイントとなってくるんです。たとえば、今日の学生達とつきあっていると、西洋を考えることが日本を考えることだとは全然考えていない。
 フランスへ行って彼らが感じることってのは、遅れている、自動ドアが少ない、自動ドアの開き方が遅いからついぶつかってしまった、というようなこととか、フランスのラグビーは日本のより強いけど、日本のほうは受験戦争が大変で、向こうはいろいろなことができるから――というような感想なんです。この世代に対して、それは間違っている、ということはできないんです。もともと、西洋を梃子にして日本を語るというふうな日本の知識人の思想体系というのは、結局のところ日本と西洋の関係――関係なんだけどある種の実体的な力みたいなものを背景にしていたんだけど、そこはしだいになくなっていくと思うんです。
小阪 それは日本的な市民社会の業〈ゴウ〉というところですが、ある意味で言えば、日本という国は文化的な蓄積という点では先進国――これは価値概念なしに使うのですが――なんではないか、よく蓄積してきた国ではないかと思います。文化というのは、一種の身体感覚と言語の統合のシステムですから、それだけ大変で、ものごとが理性的には決して明らかにならない国なんですが。
 理性に対する身体感覚というものが我々にとってそれほど重要ではない。じつは人が理性と言っている時には、多かれ少なかれそれと違うことを言っているんだ、というのはその通ちだと思います。しかし、今の市民社会の日本的なあり方というのは、すべてのことが、そこで問題になってしまうような、一種の普遍性を持っているという感じがするんです。それに、ぼくたちがヨーロッパ的な言語を使うということが、それ自体でぼくたちに他者の思考を強いているところがあると思うんです。そういう言語を使って全然べつのことを表現していても。
 このあいだ専門学校の授業でソシュールをやっていて、若い女の子に、ヨーロッパから「愛」という言葉が入ってくる以前に、愛はあっただろうか、と質問したら、頑として「愛はあった」と言ってきかないんです。困ったもんですが。つまり本人がどう感じているかとはかかわりなく、ぼくたちはある言葉を使うとその言葉が属しているコンテクストのなかで思考させられることがあると思うんです。
 それが最初に言ったニーチェからデリダまでの全部の問題をおさらいしなければならないような立場におかれているという理由です。しかも、それは、それほど身体感覚の中でとらえられないところで問題にしなければならないという、わりと変なというか不幸な状況の中にあるという感じがするわけです。
栗本 ええそれはよくわかります。でもそれも旧型知識人の課題なんですよ。小林秀雄型知識人というのがあって、今日、小林秀雄についてブーブー言ってる私やそうでもない小阪さんも含めて、小林秀雄型知識人の最後の地点に我々は来ているんです、日本で。先に述べたように、そのことを柄谷〔行人〕が象徴している。西欧とは何か、理性とは何か、理性に対する狂気とは何か。
 この場合、狂気だけが問題になっているんではないのです。理性に対する狂気、そういう意味での問題になっている。流れからいったら、これは抹消されざるをえないところなんだけど、単に抹消されたらつまらない。栗本慎一郎がいかに西ヨーロッパ的なものを批判していても、言語的には西ヨーロッパ的言語を使って読んだり書いたりするということを通じて、たとえば一部や二部は本が多く売れるということがあるわけです。それは浅田〔彰〕君や蓮實〔重彦〕さんほどには露骨にやらないけれども、基本的にはあるわけです。
小阪 ええ、というよりも、思考することが、そういう形でしか成り立たないようなあり方がありますね。
栗本 そうです。商売としては、それしか成り立たない。【中略】
小阪 浅田彰は知識人としての道を選ぼうとしていますね。(笑)
栗本 でも、このところは、彼としてはかなり過激な議論をずいぶんしていますよ。
小阪 ええ、あの人は知識人としては優秀な人ですから。
栗本 デリダが最後は拒否するところ、つまり理性からの脱出を、彼〔浅田〕が利用しようとしたのは、できたら自分の非理性的強さを隠して、とりあえず戦略的にデリダでいきたいというふうにやったのであって、浅田は最終的には非理性の人間になると思います。私はそこのところを盛んに刺激しているんです。そこのところは他の人とずいぶん違うと思います。
 とにかく、理性の問題というのは、日本ではスイカにかける塩みたいなものとして使われてきた、と私は思う。小林秀雄が提起した問題はやはり塩だったのであって、その場合はスイカを問題にすべきだと言っているわけです。
 江藤淳も、私は塩だと思う。他方、吉本降明氏は外部と内部という問題で、事態を、つまり問題にすべきスイカを卓上に出している。
小阪 吉本隆明の場合、原理や普遍性、とくに普遍性に対する志向の強い人ですけど、彼の考える原理とか普遍性というものは、じつはヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれたような原理や普遍性だと思います
栗本 そう、全然違いますね。そういうのが流れとして出ているということを、みんな見なければいけないと思います。というのは、吉本隆明と比較したらどちらも怒ると思いますが、小室直樹という人がいますね。私はこの人の象徴的存在性というのに非常に興味がある。
小阪 『鉄の処女』で、栗本さんは非常に面白い小室論を展開していますね。【以下略】

 この対談は、栗本慎一郎・小阪修平両氏の問題意識が、よく出ており、議論もわりに噛みあっている。私にとっては、今は亡き小阪修平氏の問題意識を知ることができるという意味で、特に有意義な本である。
 引用した部分については、小坂修平氏が吉本隆明の思想について、「彼の考える原理とか普遍性というものは、じつはヨーロッパ的な理性の基準から全然はずれたような原理や普遍性だと思います」(下線)と指摘しているのがおもしろかった。【この話、続く】

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寺社に縁のある町村名(1937)

2017-04-13 00:01:25 | コラムと名言

◎寺社に縁のある町村名(1937)

 海野昌平著『実生活に及ぼす国語及び文字の波紋』(桑文社、一九三七)から、「十一、地名奇談」の「二、地名」を紹介している。本日は、その四回目(最後)。【 】内は、原ルビである。

 仏教に縁のある町村も随分多い。お寺がある処から出来たのでは香川縣の「善通寺」等は最も有名であるが、その外にもそれらしいのがある。
  大聖寺【だいしやうじ】(石川県)  正院【しやうゐん】(石川県)
  大光寺【だいくわうじ】(青森県)  紫雲寺【しうんじ】(新潟県)
  本城寺【ほんじやうじ】(新潟県)  平泉寺【へいせんじ】(福井県)
  文殊【もんじゆ】(岐阜県)     緑僧都【みどりそうづ】(愛媛県)
  吉祥院【きつしやうゐん】(京都府) 大善寺【だいぜんじ】(福岡県)  
  念珠関【ねずがせき】(山形県)   普賢寺【ふけんじ】(京都府)
  地蔵寺【ぢざうじ】(高知県)    般若【はんにや】(富山県)
  六条院【ろくでうゐん】       観音寺【かんおんじ】(香川県) 
  帝釈【たいしやく】(広島県)    西大寺【さいだいじ】(岡山県)
  法勲寺【はうくんじ】(香川県)   青墓【あおはか】(岐阜県) 
  雲林院【うじゐ】(三重県)     大生院【だいしやうゐん】(愛媛県)
 此等は町村名であるが、単に地名となると限りがない。その中で珍しいのは
  仏崎【ほとけさき】(高知県)
  三途河【さんづか】(愛知県)
  三途河【さんづのかは】(富山県)
等である。日本アルブスの槍ヶ嶽には「殺生【せつしやう】小屋」があり、箱根の芦ノ湖畔には「殺生河原」〈セッショウガワラ〉があるし、各地の温泉がすさまじく、出てゐる処は「地獄」と名づけ、別府には八つある。これに対して神社に縁のある名は割に少い。
  神社【かみやしろ】(三重県)
  大社【たいしや】(島根県)
  宮【みや】(滋賀県)
  神【かみ】(広島県)
  切目【きりべ】(和歌山県。切目王子神社がある)。
  社【やしろ】(長野県)
  総社【そうじや】(岡山県)
 最も長いのは、長野県の「五郎兵衛新田村」である。これは勿論、五郎兵衛といふ人が新しく開墾したといふので名づけられたのであらうが、よくその村の由来を現してゐる。【後略】

 海野昌平の地名談議は、このあと、さらに一〇ページ以上も続くが、今回は、これを割愛する。
 明日は、一度、話題を変える。しかし、『実生活に及ぼす国語及び文字の波紋』という本の紹介は、さらに続けようと思っている。

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数字のついた町村名(1937)

2017-04-12 02:28:07 | コラムと名言

◎数字のついた町村名(1937)

 海野昌平著『実生活に及ぼす国語及び文字の波紋』(桑文社、一九三七)から、「十一、地名奇談」の「二、地名」を紹介している。本日は、その三回目。【 】内は、原ルビである。

 数を意味した名は随分多いが、之も珍らしいものだけをあげて見よう。
  一 一身田【いつしんでん】(三重) 一宇【いちう】(徳島) 一勝地【いつしょうち】(熊本) 一貴山【いつきざん】(福岡) 一日市【ひといち】(熊本)
  二 二見(熊本) 二江【ふたえ】(どう) 二子【ふたご】(岩手) 二つ井【ふたつゐ】(秋田) 二郷【にごう】(三重)
  三 三【み】(茨城) 三朝【みさゝ】(鳥取) 三川【みかは】(和歌山) 三角【みすみ】(熊本) 三里【みさと】(高知) 三毛門【みけかど】(福岡) 三財【さんざい】(宮崎) 三納【になふ】(同) 三名【さんみやう】(徳島)
  四 四【よ】(和歌山) 四つ合〈ヨツゴウ〉(新潟) 四方【よかた】(富山) 四屋【よつや】(長野) 四海【しかい】(香川) 四郷【しがう】(三重)
  五 五【ご】(和歌山) 五箇【ごか】(京都) 五城目【ごじやうのめ】(秋田) 五台【ごだい】(茨城) 五泉【ごせん】(新潟) 五ケ谷〈ゴカダニ〉(三重) 
  六 六栄【みさか】(熊本) 六角【ろくかく】(佐賀) 六ケ所〈ロッカショ〉(青森) 六郷【ろくがふ】(同)
  七 七箇【しちか】(香川) 七川【しちかは】(和歌山) 七戸【しちのへ】(青森) 七瀧【なゝたき】(熊本) 七折【なゝをり】(宮崎) 七福【千葉】
  八 八【や】(福井) 八戸【はちのへ】(青森) 八里【やさと】(茨城) 八原【やばら】(同) 八知【やち】(三重)
  九 九幡【くばん】(岡山) 九鬼【くき】(三重) 九会【くえ】(兵庫) 九箇庄【くかしやう】(大阪) 九重【くぢう】(和歌山)
  一〇 十【と】(福井) 十市【とういち】(高知) 十全【じふぜん】(新潟) 十社【とうやしろ】(三重)
  一二 十二鏑【じふにかぶら】(岩手) 十二所【じふにしよ】(秋田) 十二里【じふにさと】(青森)
  一三 十三【じふさん】(青森)
  一四 十四【じふしやま】(愛知)
  一五 十五浜【しごま】(宮城) 
  一六 十六【じふろく】(高知)
  十位 五十猛【いそたけ】(島根) 五十市【いそいち】(宮崎) 九十九【つくも】(群馬)
  百位 百枝【もゝえだ】(大分) 百引【もびき】(鹿児島) 百塚【ひやくづか】(富山) 五百石【ごひやくこく】(同)
  千位 千歳【ちとせ】(山形) 千里【ちさと】(福島) 千種【ちぐさ】(千葉) 千城【ちしろ】(同) 千疋【せんびき】(岐阜) 千年【ちとせ】(青森) 八千代【やちよ】(徳島)
  万位 万歳【まんざい】(岡山) 万世【まんせい】(鹿児島) 万倉【まぐら】(山口) 二万【にま】(岡山) 八万【はちまん】(徳島)
 数字を頭に入れた名で多いのは、八幡と一宮である。この外、たゞ地名となると限りがない。
  一【かず】(奈良県)      九鬼【くき】(三重県)
  九上【くがみ】(新潟県)    三財【さんざい】(宮崎県)
  七石【なゝついし】(栃木県)  七栗【なゝくり】(三重県)
  七尾【なゝを】(石川県)    三成【みなり】(島根県)
  六手〈ムテ〉(千葉県)     八十島【やそじま】(宮城県)
  八十一隣【くくり】(岐阜県)  十八成【くくなり】(宮城県)
  十八女【わかいろ】(栃木県)  七五三場【しめば】(栃木県)
  二十六木【ととろき】(山形県) 二十五里【ついひち】(千葉県)
  廿九日【ひづめ】(石川県)    九十九【つくも】(石川県)
 千葉県に「白里」〈シラサト〉といふ処がある。銚子から房州の太平洋に面した海岸は九十九里浜といつて雄大な眺望である。この「九十九」は「百」に一つ足らない。そこで「百」からー画とり去ると「白」となる。この「白」に九十九里の「里」をとつて出来たのが「白里」だといふ。元来、「九十九」は古来「白」に縁のある句として用ひられるので、「つくも」と読むのも「白髮【つくもがみ】」から来てゐる。老人らしい村は高知県の「波介【はげ】」である。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2017・4・12(2・4位に珍しいものが入っています)

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意外に多い漢字一字の町村名

2017-04-11 07:17:54 | コラムと名言

◎意外に多い漢字一字の町村名

 昨日の続きである。海野昌平著『実生活に及ぼす国語及び文字の波紋』(桑文社、一九三七)から、「十一、地名奇談」の「二、地名」を紹介している。本日は、その二回目。【 】内は、原ルビである。

 全国の町村名の中で一字のが大分ある。付近の中心をなしたといふ意味から「本町」「元町」等といふのはよく見る名であるが、中にはなかなか面白いのがある。
 東京府 志【し】 砂【すな】 霞【かすみ】 金【かな】 大【おほ】 扇【おほぎ】
 大阪府 鳳【おほとり】 巽【たつみ】 中【なか】
 京都府 田【た】 篠【しの】
 神奈川県 寄【やどりぎ】 岩【いは】 川【かは】
 兵庫県 藍【あい】 芝【しば】 社【やしろ】 広【ひろ】 畑【はた】 浦【うら】
 長崎県 琴【きん】 宮【みや】 峯【みね】
 千葉県 都【みやこ】 睦【むつみ】 土【つち】 源【みなもと】 環【たまき】 丸【まる】 柏【かしは】 明【あきら】
 茨城県 圷【あくつ】 要【かなめ】 巴【ともえ】 玉【たま】 文【ふみ】 林【はやし】 静【しず】 大【おほ】
 栃木県 姿【すがた】 桑【くは】 きぬ【絹】 菱【ひし】 中【なか】
 群馬県 島【しま】 新【しん】
 埼玉県 平【たひら】 静【しづか】 芝【しば】
 奈良県 都【みやこ】 多【おほ】
 三重県 鵲【かさゝぎ】 縣【あがた】 椿【つばき】 栄【さかえ】 明【あきら】
 愛知県 園【その】 起【おこし】 奥【おく】 楠【くすのき】
 新潟県 乙【きのと】 巻【まき】 燕【つばめ】 今【いま】
 和歌山県 広【ひろ】
 静岡県 熊【くま】 中【なか】
 山梨県 宝【たから】 甲【かぶと】 岡【をか】 祝【いはひ】 錦【にしき】 英【はなぶさ】 山【やま】 榊【さかき】 源【みなもと】 巌【いはほ】 忍【しのぶ】
 滋賀県 稲【いな】 宮【みや】 苗【なへ】
 岐阜県 鶉【うづら】 岩【いは】 時【とき】 玉【たま】 結【むすぶ】 鴬【うぐひす】 中【なか】 陶【すえ】 上【かみ】 乾【いぬゐ】 宮【みや】 灘【なだ】
 長野県 長【をさ】 上【かみ】 梓【あづさ】 寿【ことぶき】 大【おほ】 温【ゆたか】 倭【やまと】 縣【あがた】 和【かなふ】 鼎【かなへ】 柵【しがらみ】
 宮城県 桜【さくら】 北【きた】
 福島県 旭【あさひ】
 岩手県 盛【さかり】
 青森県 館【たて】 向【むかひ】 中【なか】
 山形県 齊【いつき】 中【なか】 泉【いづみ】
 福井県 棗【なつめ】 鶉【うづら】 豊【ゆたか】
 石川県 直【たゞ】 牧【まき】 額【ぬか】 郷【がう】 兜【かぶと】 端【はし】
 富山県 下【しも】 泊【とまり】 野【の】 平【たひら】
 鳥取県 隼【はやぶさ】 大【おほ】 社【やしろ】 泊【とまり】 渡【わたり】 縣【あがた】
 島根県 久【く】 園【その】 谷【たに】
 岡山県 今【いま】 庄【しやう】 富【とみ】 郷【がう】
 山口県 串【くし】 萩【はぎ】 陶【すえ】 通【かよひ】
 広島県 安【やす】 伴【とも】 沖【おき】 市【いち】 高【たか】 奥【おく】 坂【さか】 鞆【とも】 牧【まき】 広【ひろ】
 徳島県 脇【わき】 辻【つぢ】 椿【つばき】
 香川県 麻【あさ】 林【はやし】
 愛媛県 鏡【かゞみ】 来【く】
 高知県 岩【いは】 田【た】 鏡【かゞみ】
 福岡県 剣【つるぎ】 開【ひらき】 赤【あか】 中【なか】 岬【みさき】
 大分県 谷【たに】 上【うへ】 荻【おぎ】
 佐賀県 鏡【かゞみ】 麓【ふもと】
 熊本県 鍋【なべ】 緑【みどり】 轟【とゞろき】 砦【とりで】 阿【あ】 上【うへ】 浦【うら】 川【かは】 陣【じん】 大【おほ】 渡【わたり】 浜【はま】 
 宮崎県 妻【つま】 憶【あふき】 綾【あや】
 鹿児島県 里【さと】
 以上は珍らしいものばかりをあげたのであるが、長崎県の「琴【きん】」等は読み方が珍しい。茨械県の「圷【あくつ】」は読めない。
 田【た】、土【つち】、畑【はた】、苗【なへ】、桑【くは】、野【の】、園【その】、里【さと】、豊【ゆたか】等はいかにも農村にふさはしい名である。又、名からして地境が分るやうなのは、浦【うら】、灘【なだ】、麓【ふもと】、岬【みさき】、浜【はま】等であらう。
 この一字名の町村は、広【ひろ】、大【おほ】、久【く】等とそれだけ言つたのでは町村と聞えないが広村【ひろむら】、大町【おほまち】、久村【くむら】とつゞけると普通に聞える。
「大」と書くのは各県にあるやうだが、「多」は少い。熊本県の「砦」は茨木県では「取手【とりで】」と二字にしてゐる。色からつけた名としては、赤【あか】、緑【みどり】。鳥の名をとつたのには、隼【はやぶさ】、鵲【かさゝぎ】、鶉【うづら】、鶯【うぐひす】等がある。
「上」と「下」とは字【あざ】の名としてはあるが、一つの町村名としては少い。しかし、「中」は沢山ある。
 山梨県の「谷村【やむら】」は町であるので、「谷町」とはいはずに「谷村町」といつてゐるが、之は谷がもとで村がつき、町が加つたのであらう。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2017・4・11(1位・2位に珍しいものが入っています)

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