礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

松尾文夫氏、ドーリットル空襲の副操縦士と再会

2017-04-20 03:37:07 | コラムと名言

◎松尾文夫氏、ドーリットル空襲の副操縦士と再会

 一昨日の四月一八日は、今から七十五年前に、ドーリットル爆撃隊の空襲があった日である。
 この日に合わせて、ドーリットル空襲について触れようと思っていたが、ウッカリ時期を逃し、本日になってしまった。
 今月一一日の東京新聞に、「本土初空襲75年」という記事が載っていた。リードは、次の通り。

 一九四二年四月十八日の正午すぎ、米軍機が初めて東京をはじめ日本本土を襲った。B25爆撃隊による「ドーリットル空襲」だ。歴史和解を問い続けるジャーナリストの松尾文夫さん(八三)が七十五年前、東京上空で目の当たりにした爆撃機のパイロットを米国に訪ねた。

 このリードの下に小さな写真がある。出撃前のドーリットル機の前で、乗員五名が並んでいるものである。前列左が操縦士のジミー・ドーリットル陸軍中佐、前列右が副操縦士のリチャード・コール陸軍中尉。ドーリットルは、この爆撃隊の隊長でもあった。
 本年三月中旬、松尾文夫さんは、テキサス州にリチャード・コールさん(一〇一)を訪ねたという。記事には、その時のカラー写真も載っている。
 松尾さんは、ドーリットル空襲の当日、隊長機を目撃し、副操縦席にいたリチャード・コール中尉の顔を見ている。その後、二〇〇五年に、リチャード・コールさんと面会し、さらに本年三月に、再会をはたしたというわけだ。
 ところで、当ブログは、二〇一五年八月一九日に「松尾文夫氏、ドーリットル空襲・隊長機を目撃」というコラムを載せたことがある。以下に、それを再録してみよう。

◎松尾文夫氏、ドーリットル空襲・隊長機を目撃

 先月〔二〇一五年七月〕一九日以降、断続して、松尾文夫氏の『銃を持つ民主主義』(小学館、二〇〇四)という本を紹介した。松尾氏は、小学生のころ、ドーリットル空襲の隊長機を目撃したという。本日は、『銃を持つ民主主義』から、その体験を回想しているところを紹介してみたい(八~一〇ページ)。
 初めてアメリカ人の顔を見たのもこのころである。それも東京を中心とする本土奇襲爆撃で日本軍部を動揺させ、ミッドウェイ海戦での敗北を誘発したことで歴史に残るドーリットル爆撃隊のパイロットとの対面であった。
 真珠湾奇襲攻撃後の戦勝ムードがまだ色濃くただよっていた一九四二年〔昭和一七〕四月十八日の昼すぎ、私は現在も新大久保駅近くの山手線内側に存続する戸山国民学校(現戸山小学校)の校庭に出ていた。三年生になったばかりで、土曜日の授業が終わった直後だった。山手線の反対側に広がる戸山ヶ原演習場に近い、いまでは一大エスニック・タウンとなっている百人町に住み、歩いて通っていた。
 突然、東の保善商業、海城学園の方向の空から大きなエンジン音が聞こえ、双発で尾翼の両端がたてに立った見たこともない、巨大な飛行機が現われ、あっという間に西の新宿の方に消えていった。つまり私の目のななめ上を左から右に飛んでいった。
 本当に地上すれすれを飛んでいた。二階建ての校舎にぶつからんばかりだつた。おかげで風防ガラスでおおわれた操縦席の手前側、機内では進行方向右側にすわっていた白人の乗組員の顔がよく見えた。濃い茶色の革の飛行服を着て、白い顔と高い鼻がはっきり記憶に残っている。機体はカーキ色で胴体にブルーの星の標識があった。
 アメリカの飛行機だとわかったのは、飛行機が去ったあと東の空に高射砲からと思われる黒い弾幕が張られ、さらにすこしたって空襲警報のサイレンが鳴りわたったときである。そのときでもまだ「敵機来襲」という恐怖感はわいてこず、巨大な飛行機に初めて接した興奮の方が大きかったような気がする。本当に恐ろしくなったのは、家に帰って母親にことの次第を報告すると、こわい顔で「一切他言しないように」と強くいい渡されたときからである。その夜何度もうなされたことを昨日のことのように覚えている。
 私が遭遇したこの飛行機が東京初空襲のドーリットル爆撃隊の隊長機であったことを裏付ける幸運な材料がある。作家の吉村昭氏が二〇〇一年七月発行の『東京の戦争』(筑摩書房刊)のなかで、同じ日、ほぼ同時刻に日暮里の自宅の屋根うえの物干台で凧を揚げているときに、「凧がからみはしないかとあわてて糸を手繰った」ほどの超低空で目の前を通過した双発機を見たと書いているのである。吉村氏はこの飛行機がドーリットル爆撃隊のB25のうちの一機であり、二人の飛行士は、オレンジ色のマフラーを首にまいていたと証言している。しかもこの吉村証言は、戦記作家である半藤一利氏が米側の資料まであたって詳細に検証し、その結果を発表した「月刊文藝春秋」二〇〇二年五月号の「4・18東京初空襲あの爆撃機は?――『東京の戦争』歴史探偵調査報告」と題する記事のなかでその大筋を確認している。
 半藤氏によると、空母ホーネットを決死の覚悟で発進したドーリットル爆撃隊B25十六機のうち、東京上空を飛んだのはドーリットル隊長機を含めて六機。各々の航跡を地図入りで再現し、吉村氏の自宅横を飛んだのはまさにドーリットル隊長機そのものであると断定している。隊長機の航跡は日暮里吉村邸下から中野方向に描かれており、わが戸山国民学校付近は間違いなくその線上にある。そして半藤氏の労作によると、私が見た白い高い鼻の乗組員は進行方向右側の副操縦席にいた副操縦士のリチャード・コール中尉ということになる。残念ながら正操縦士席にいた隊長のジェームズ・ドーリットル中佐には、私は対面を果たさなかったということになる。それにオレンジ色のマフラーは私の記憶には出てこない。

 以上が、二〇一五年八月一九日のコラムからの引用である。なお、東京新聞記事によれば、当時の松尾さんは、八歳で、リチャード・コール中尉は、生まれて初めて見る米国人、「鼻が高いなあ」という印象を受けたという。

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『共同幻想論』のワクの中で『共同幻想論』を批判した片岡啓治

2017-04-19 04:21:27 | コラムと名言

◎『共同幻想論』のワクの中で『共同幻想論』を批判した片岡啓治

 片岡啓治著『幻想における生』(イザラ書房、一九七〇)から、「6 『共同幻想論』批判」を紹介している。本日はその三回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、一行あけて、次のように続く。

 これが、「対幻想」と「共同幻想」の「逆立」の関係について私の了解するところであり、この両者の対立を、いや両者を対立として〈関係〉させそのどちらか一方に他方が吸収され尽してしまわぬようにあらしめているもの、すなわち両者の力動的関係をあらしめているところのものは、つきつめれば、「快楽」と「労働」の緊張的相関であらねばならず、それは幾つかの媒介をへて換言すれば、生体における生と死の両価的運動に帰するといえよう。この両価的動勢あればこそ、〈性対偶〉・〈幻想対〉・〈家族〉は快楽性の極点にむかって引っぱられつつ、たえず排他的に自己完結的に凝集することを求めて、〈社会的共同性〉にむかって対立をかもし、〈社会的共同性〉はたえず〈労働性〉の極点へとむかって引かれつつ、〈労働〉のエトスを〈共同幻想〉として〈幻想対〉を緊縛しこれを自然的基底から引きはなして〈社会的共同性〉に完全に包摂しつくす方向へむかおうとするのである。でありながら、また〈家〉としての〈幻想対〉は労働のエトスとしての〈共同幻想〉をのみこむことによって逆に自己防衛と自己保存をはかり、その位相では〈共同幻想〉は〈対幻想〉としてあらわれ、そのように個々の〈幻想対〉の日常過程にのみこまれることによって〈共同幻想〉は賦活され、その位相では〈対幻想〉を〈共同幻想〉に包摂する形をとりつつ、ふたたび〈社会的共同性〉の存続が保証される。
 すなわち、〈対幻想〉と〈共同幻想〉が力動的関係において相関しあうゆえんであり、ゆえに、そうした力動的相関関係からみるなら、吉本氏のいう「……そういう軸の内部構造と、表現された構造と、三つの軸(〈共同幻想〉と〈対幻想〉と〈自己幻想〉)の相互関係がどうなっているか、そういうことを解明していけば、全幻想領域の問題というものは解きうるわけだ」という考えは、意図に反して三種の異なる「レンガ」を積みあげたに等しい静態的解釈学におわっている、と私には了解される。それだけの了解をしたうえでならば、本書にのべられた事柄については民俗学、古代史学、あるいは精神病理学等々の立場から、いかようにも別様の解釈がほどこされうることだろう。

 片岡啓治は、こういう形で、吉本隆明の『共同幻想論』を批判した。しかし、「批判」とは言いながら、その用語や発想は、吉本隆明の『共同幻想論』そのままであり、いわば、『共同幻想論』のワクの中で思考し、かつ、これを批判しようとしたのである。これも、吉本思想の「系」と言えるかもしれない。
 さて、当時、吉本隆明の『共同幻想論』や片岡啓治の「『共同幻想論』批判」を読んだ読者は、こうした難解な吉本思想をめぐっての議論を理解しえたのであろうか。他の人は、いざ知らず、自分の経験に照らすと、そうした議論の内容も、そうした議論の持つ意義も、理解できているように「感じた」のである。
 この感覚は、今日でも持続していて、今でも、こうした議論を読むと、理解できているように「感じる」。一方、山本哲士氏が、大著〝吉本隆明と『共同幻想論』〟で展開している議論は、どうも、よく理解できない。これは、どういうわけか。
 それはさておき、片岡啓治は、〈対幻想〉と〈共同幻想〉の両者を媒介するものとして、〈労働〉という概念を提示した。しかし片岡は、〈自己幻想〉と〈対幻想〉の両者を媒介するものは何かという問いを発することなく、当然、その解答も提示することもなかった。
 私見では、今日の日本は、〈自己幻想〉と〈対幻想〉の両者を媒介するものは何かという問いが、非常に重要になってきている。抽象的な議論がしたいわけではない。実を言えば、若者の「非婚化」という情況を心配しているのである。明日は、話題を変える。

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家族の共同性と社会の共同性を媒介するもの

2017-04-18 04:28:15 | コラムと名言

◎家族の共同性と社会の共同性を媒介するもの

 昨日の続きである。
 片岡啓治は、『幻想における生』(イザラ書房、一九七〇)所収の「6 『共同幻想論』批判」において、吉本隆明のいう「幻想」の三つの位相は、相互の流動性と変容の力動をもたず、「レンガのように」定型化されていると批判した。さらに、「共同幻想」と「対幻想」の力動的関係は、「逆立」といったあいまいな比喩的表現で尽くされうるものではないとも述べた。
 では、その問題に対する、片岡自身の考え方は、どのようなものだったのか。以下、一九五~一九七ページを引用する。

 私の考えによれば、この問題は次のようにとかれねばならない。
 無節操な(〈性の衝動〉に由来する)性欲を獲得した人間は、同じく〈性の衝動〉に由来する〈欠乏〉に迫られなければ、原理的には己れの性対偶における対象以外の他者を必要としない。人間と人間のなまな関係すなわち男と女との対偶が、性器的体制により一人の男と一人の女の一対一対偶の排他的関係としてしかありえないからであり、もし快楽が非持統的でなくて無限であり、かつ〈欠乏〉の衝迫がなければ、その対偶は完全に自己完結的に自閉されたままで他者に開かれる必然性をもたない。それは事実的には、〈死〉である。しかし、現実には快楽は非持続的であって、その快楽を生むその同じ〈生の衝動〉が〈欠乏〉をもって、生命体としての人間にせまる。ために、性対偶は自閉的に完結されることはできず、そして〈労働〉にむかって開かれねばならない。すなわち、〈欠乏〉に迫られた〈労働〉の必要によってのみ、一なる性対偶と他なる性対偶とは〈関係〉のなかにはいる。一方では性器的体制による一対一対偶による排他的関係は、自然過程として人間と人間の基底的関係をうむとともに、他者をこの対偶から排除し非快楽的位置におくことによって価値の序列をうみ〈近親相姦〉の〈禁制〉化の基礎となる。この〈近親相姦〉の〈禁制〉は、〈家〉または〈家族〉の基礎となるとともに、それを媒介として〈幻想の共同性〉の基礎ともなることはたしかなのであるが、さて、現実的には一の〈家族〉と一の〈家族〉とは無媒介にあるいは〈幻想の関係〉のなかで〈関係〉にはいるわけではない。〈性対偶〉の観点からするかぎり、一の〈性対偶〉と一の〈性対偶〉は〈関係〉に入るべき必然性をもたず、相互排他的であり相互否定的である。にもかかわらず、現実的にこの〈性対偶〉と〈性対偶〉とを相互の〈関係〉のなかに入らしめるものがあるとすれば、〈労働〉をおいてはない。
 人間と人間との関係がもっとも具体的かつ基底的には、一人の男という具体的な個体と一人の女という具体的な個体の〈性の関係〉をおいてありえないとするなら、〈家族〉の共同性はいきなり〈社会〉の共同性へと、たとえば〈遠隔対称性〉によって〈幻想〉の関係のなかで接続されるものではなく、やはり当然、具体的な〈性対偶〉と〈性対偶〉の〈関係〉を媒介としてのみ、〈家族〉の共同性と〈社会〉の共同性は〈関係〉に入りうるはずである。
 すなわち、「幻想対の共同性」は「幻想性自体の内部」でのみ「破られ」うるものではなく、吉本氏が「……幻想領域を扱うときには、幻想領域を幻想領域の内部構造として扱う場合には、下部構造、経済的な範疇というものは大体しりぞけることができる」といっている言葉に反して、「幻想対の共同性が……〈対〉としての性格を破られ」るには、現実的には〈労働の関係〉を必ずや媒介としなければならず、それをへてのみ、「幻想対の共同性」は「社会の共同性」と〈関係〉のなかに入りえ、「家族集団の集落が社会的共同体をむすぶ」ということがありうる。
 こうして、各〈性対偶の幻想対〉が相互排他的であり相互否定的であるという〈関係〉が基底にあればこそ、そして〈性対偶〉の否定性として〈労働〉の原則が個々の〈性対偶〉を貫ぬく共同のエトスとして働き、そのエトスに添って〈共同幻想〉がむすばれるのであればこそ、〈家〉または〈家族〉の共同性と〈社会〉の共同性は対立しあうのであり、それは常に「人間存在の個体的具象性と共同的な抽象性との対立に還元される」というように一般性として位置づけることではすまないのである。【以下、次回】

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吉本隆明のフロイト理解は誤り(片岡啓治)

2017-04-17 03:02:19 | コラムと名言

◎吉本隆明のフロイト理解は誤り(片岡啓治)

 山本哲士氏の大著〝吉本隆明と『共同幻想論』〟(晶文社、二〇一六)は、吉本隆明思想の「読み方」を示した本である。これは、山本哲士という思想家が、吉本隆明という思想家を読み解いた本なのであって、これが吉本思想に対する唯一の「読み方」ではないことは、あえて言うまでもない。
 実は、〝吉本隆明と『共同幻想論』〟という労作を、まだ精読しておらず、通読すらしていない。したがって私には、安易に感想を述べる資格などないわけだが、今の段階で、ひとつだけ感じていることがある。それは、『共同幻想論』(初版、一九六八)が出た当時、同書に対し抱いた印象と、山本哲士氏が、この本で解説の対象としている同書の印象が、まるで異なるということである。
 山本哲士氏は、多年の研鑽の結果、ここに、『共同幻想論』についての周到な解説を示されている。その「読み方」に対しては、当然、敬意を表さなければならないわけだが、どこか腑におちないところがある。この違和感は、たとえ、山本哲士氏の大著を精読し終えたとしても、変わらないような気がする。

 ところで、本年一月二三日のブログで、「英雄は理解されぬまま小人に亡ぼされる」というコラムを書いた。
 片岡啓治著『幻想における生』(イザラ書房、一九七〇)から、「6 『共同幻想論』批判」という論考を紹介したのであった。
 こうした論考に接すると、『共同幻想論』が出た当時、同書に対して抱いていたイメージが、まざまざと甦る。私にとっては、ここで、片岡が論じている『共同幻想論』こそが、リアルな『共同幻想論』である。山本氏の〝吉本隆明と『共同幻想論』〟を少し読んだ後なので、よけい、そう感じるのかもしれない。
 前記コラムでは、「6 『共同幻想論』批判」の冒頭部分を紹介したにとどまり、片岡が、具体的に、どういう形で、吉本隆明『共同幻想論』を批判したのかについては、全く踏み込めなかった。
 本日は、片岡が、同論考で、どういうふうに、吉本『共同幻想論』を捉えていたのか(批判していたのか)を見てみたい。
 一月二三日に紹介した「冒頭部分」のあと、片岡は、一行あけて、次のように述べている。
 
 問題はたんてきにはじめられなければならない。
「共同幻想論」の序で、吉本氏は、この書の基本的な主題である「幻想」について、次のように問題を設定している。
「……全幻想領域というものの構造はどういうふうにしたらとらえられるか……」「どういう軸をもってくれば、全幻想領域の構造を解明する鍵がつかめるか」
「僕の考えでは、一つは共同幻想ということの問題がある。それが国家とか法とかいうような問題になると思います。
 もう一つは、僕がそういうことばを使っているわけですけれども対幻想、つまりペアになっている幻想ですね、そういう軸が一つある。それはいままでの概念でいえば家族論の問題であり、セックスの問題、つまり男女の関係の問題である。そういうものは大体対幻想という軸を設定すれば構造ははっきりする。
 もう一つは自己幻想、あるい個体の幻想でもいいですけれども、自己幻想という軸を設定すればいい。芸術理論、文学理論、文学分野というのはみんなそういうところにいく」|
「幻想」が共同性の位相を獲得してゆく契機として「対幻想」をおき、「対幻想」が「家族」として実体化される契機として「近親相姦」の「禁制化」をおく、氏の立論からするなら、論がまず「禁制論」として着手されるのは当然といわねばならない。
 さてその「禁制論」の冒頭で、「禁制」という概念に「まともな解析をくわえた人物」としてフロイトにふれつつ、氏は次のようにのベている。「かれは人間の心的な世界を乳幼児期からレンガのようにつみかさねられた世界とみなしている。もちろん、人間の心的な世界は幻想だからレンガのようにつみかさねられるはずがない。現在の心的な世界は、ただ現在ある世界であって、どんな意味でも過去からつみかさねられるはずがない」と。
 しかし、この考えは、フロイトを仔細によむならば誤解であることは明らかである。【中略】

 吉本隆明は、その「禁制論」をフロイト説の紹介からはじめている。片岡啓治は、吉本のそのフロイト理解が誤っているという。
 片岡は、「問題はたんてきにはじめられなければならない」と述べている。端的に言えば、片岡は、吉本の『共同幻想論』を、最初から(その根底において)、批判しようとしているのである。
 右のしばらくあとで、片岡は、次のように言う。

 むしろ、「レンガのように」といった空間的に定型化された比喩で理解されるべきは、この「共同幻想論」を通読したかぎりでは、吉本氏の立論のほうであるようにおもわれる。
 すなわち、先にみたような「幻想」の三つの位相〔自己幻想・対幻想・共同幻想〕を想定した独自性はみとめるとしても、その三つの位相の意味はそれら三者がたえず相互的な力動の関係にあるかぎりで有意でありうるのであって、それらが相互の流動性と変容の力動をもたず固定的範疇化されるときには単なる解釈学に一つの解釈をくわえるだけのことでしかない。【中略】
 おもうに、「共同幻想」と「対幻想」の力動的関係は、単なる「逆立」といったあいまいな比喩的表現でつくされうるものではない。この両者の関係について、「逆立」といった比喩よりも正確な規定を、われわれはついに吉本氏の口からきくことができないでいるのだが、氏の幾つかの言葉からわずかにそれを類推するほかはない。

 片岡のこの文章を初めて読んだのは、一九七〇年代初めのことである。当時の私が、この吉本論を理解しえたのか、あるいは、それをどう受けとめたかなどについては、ほとんど覚えていない。しかし、なかなか鋭い批判だという印象を受けたことだけは覚えている。

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吉本隆明の思想は英訳不可能(山本哲士)

2017-04-16 07:04:31 | コラムと名言

◎吉本隆明の思想は英訳不可能(山本哲士)

 一昨日、昨日の続きである。
 山本哲士氏の〝吉本隆明と『共同幻想論』〟(晶文社、二〇一六)は、本文五四三ページもある大著である。この本は、吉本隆明の『共同幻想論』を解読、解説した本だが、山本氏が、どういう立場、どういう問題意識に立って、吉本隆明の思想を紹介しようとしているかを知るためには、「あとがき」(五三七~五四三ページ)を読むのがよいだろう。
 以下に、その一部を引いてみる(五四一~五四二ページ)。

 吉本本質思想が、世界線で常識基盤となる日がくるのを待つのみです。それは、へーゲル以来の、思想的転換が世界で起きていくときです。わたしたちは、それに先行してもう思考しているのです。日本語で吉本さんを読めるからです。ほとんど欧米人の彼らは読めない。こちらは英語やフランス語などを読めているのに、彼らは日本語を読めていない。遅れているのです。寿司を食べているだけです(ブルデューが『国家について』で日本に触れているのですが、あきれるほどの無知です)。
 吉本著作の英訳は、『心的現象論』だけはそのシニフィアンを減少させて意味されたものを伝えることで本筋がぶれませんから英訳は可能であると思いますが、『共同幻想論』や『言語にとって美とはなのか』などは絶対的に不可能です。吉本言説表出は、述語的言語思考の窮極ともいえる固有の思考概念創造世界で、それを主語・述語・コプラの英仏独などの構文に翻訳することは、概念空間や言説編制に大きな歪みをもたらします。言表一つさえ文化的・思想的な意味がずれ、その意味化連鎖は吉本思想から遠のきます。思想的自己表出は完全に非価値化される。わたしの編集する雑誌で、吉本思想の本質が表明され比較的シニフイアンが減少されても大丈夫だろうとふんで、アジア的なものに関わる「良寛論」を長さも考慮して選択し、日本語英訳で経験あるネイティブな方にやってもらいましたが、不可能である結論に達しました。吉本さんに英文表記としてはなされているが別物であると了解をいただき掲載はしましたが、今後の課題、限界をむしろ提示するためのものにするほかなかった。これを「誤訳だ」と一言いっておきたい、と今頃知ったかぶりの軽佻浮薄な三流の学者・評論家が批判しているようですが、誤訳などの次元の問題ではない。言語構造の決定的なトランス不可能さにくわえ、欧米での日本思想・哲学への文化的蓄積のない無知な歴史過程は、言語的に追いついていないという問題です。源氏物語から近現代日本文学、西田哲学、武蔵の『五輪書』など英訳がありますが、すべてとんでもない誤訳です。しかしそれを誤訳などと言っても何の意味もない。述語制言語を主語制言語に翻訳するトランスの理論技術・言語技術が発明・形成されない限り不可能です。逆において、日本語は主語もないのに主語化ランガージュの擬制発明(従属部を主語と転化し、be動詞を助動辞へ転化するなど)を百年かけて似非〈エセ〉学校文法化さえして、国民総体に嘘を教えてまでやってきたのです。それでも、いまだに誤訳だらけです。助辞、助動辞などは欧米にない、それは前置詞ではない、人称も単数複数の区別も日本語にはないのです。表出の機軸がトランス不可能なのを、語学優等生たち低知性が訳において自覚さえしていないことが問題なのです。まして、理論表出ではない、思想表出です。われわれがマルクスやフーコーを原文で読んで格闘してきたように、欧米側が、吉本思想を日本語で読む格闘に入らねばならない、それが最初です。『心的現象論』は英訳されたなら、誤訳不可避であれ、欧米はぶったまげて吉本思想を日本語原文で読もうということになるかもしれない。欧米の日本研究者たちの水準総体が低すぎるのです。

 吉本隆明の「読み方」として、ここに提示されているような「読み方」が唯一のものでないことは、もちろんである。しかし、吉本隆明自身は、ことによると、こういう「読み方」を期待していたのかもしれない。
 少なくとも、山本哲士氏はそのように信じて、吉本隆明を解読し、解説し、そして、そのことによって氏は、まさにいま、吉本隆明を乗り越えようとする境地に達しているのではないかと、勝手に忖度した。

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