礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

総理生存の旨を天皇陛下のお耳にいれておかねばならない

2020-01-26 04:17:11 | コラムと名言

◎総理生存の旨を天皇陛下のお耳にいれておかねばならない

 迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)を紹介している。本日は、「防弾チョッキを着こんで」という章を紹介する。

  防弾チョッキを着こんで

 さて、問題は如何にしてこの総理を救いだすかということである。首相官邸の周囲には数百人の兵隊が蟻のはいでるすき間もないほどにとりまいている。しかも官邸内では絶えず巡視兵がまわっている様子である。よほど慎重に事をはからねばまず成功はのぞめない状態である。私たちは一まず秘書官官舎に引上げて、対策を立てることにした。官舎にかえると、けなげにも妻は、母と子供を応接間にいれ、内から鍵をかけさせた上、その扉の前でみんなを守るかのように一人でがんばっていた。私は妻にさっそく総理が生存していることを耳うちした。妻は「やっばりそうでしたか」と緊張した面持ちであった。事件落着後、私は何度も妻に対してあのときどうして総理が生きているといったのかときいてみた。妻の答は「ただなんとなくそんな気がした」というのであった。私たちが実際にみきわめるまで、総理が生きているということはとうてい考えられない客観情勢だったし、妻もべつに情報を入手する可能性はまったくないのであるから、結局は親と子の間にある神秘的な霊感によるというほかはない。
 私の官舎で福田〔耕〕秘書官と善後措置について協議した。そのころになると方々から電話がかかり、襲撃をうけたのは岡田〔啓介〕首相ばかりでなく、内大臣斎藤実子爵、大蔵大臣高橋是清、侍従長鈴木貫太郎、教育総監渡辺錠太郎大将、牧野伸顕伯爵などであり、岡田首相は即死と見られていることが判った。そこへ宮内省から電話がかかってきた。私が電話口にでると、丁重に岡田首相の死去について弔詞を述べられ、ついては勅使をさしつかわされるお思召であるが、勅使を官邸においてうけられるか、私邸においてうけられるか、どちらがよいかという問合せである。既に高橋蔵相邸には勅使がいっているということである。私は如何に返事すべきかに迷いながら考えた。この電話は、あるいは反乱軍によって盗聴されているかもしれない。してみると、総理生存というような重大なことを電話で報告することは危険千万なことである。そこで私は「ただいま遺骸は官邸にございますが、官邸はまだ軍隊によって占領されていて、勅使をおうけするようなことはとても不可能だと思います。私邸のほうもよく連絡がとれませんので、これまた勅使をおうけする準蒲はできません。おそれ多いことでございますが、しばらくご猶予をおねがい申し上げたい」と返事した。
 私は電話をきって福田秘書官にこのことを話し、一刻も早く総理生存の旨を、天皇陛下のお耳にいれておかねばならないが、電話で宮内大臣に報吿することは危険だから、どうしても私たち二人のなかの一人が至急に参内して秘密裡に報告するよりほかはないと相談して、結局私が宮内省にゆき、福田秘書官はあとにのこって処置をとることになった。
 そこで私は、もう一つのことを思いついた。私は役人出身だから、そんなことに気がついたのである。世間には岡田首相は即死ということになっている。明治憲法の建前では、内閣総理大臣は一刻も存在しない時間があってはいけない。だから総理が在職中に死ぬと、例えば、東京駅頭で原敬首相が暗殺されたときも、加藤友三郎首相が病死されたときにも、上席の閣僚に対して、「臨時兼任内閣総理大臣」という辞令がでているから、このままに放置しておけば、上席の内務大臣後藤文夫氏に対して同じような辞令がでるのは当然である。しかし実際には首相は生きているのだから、このような辞令がでたのでは、あとで岡田首相が脱出してでてきても、総理大臣が他にできているのでもう総理としての立場はなくなってしまっていることになって、始末が悪い。どうしても総理大臣が事故のために職務がとれないという場合に相応する辞令がでなければ困るということである。私は、すぐに隣家の内閣官房総務課長の横溝光暉〈ミツテル〉氏の官舎にひそかにいって、横溝さんにそのことを懇請した。そのとき私ははっきり総理生存ということは明言したかどうか覚えていないが、ものわかりのよい横溝さんは、あっさり呑みこんで、すぐ私の目の前で、既に宮内省にはいっていた担当の稲田〔周一〕内閣書記官(元待従長)に、この場合の辞令は、「内閣総理大臣臨時代理被仰付」という形式にするよう電話で指示してくれた。あとできいたのであるが、この辞令の形式については、内閣官房の係りから異議がでたが、稲田さんはともかく総務課長の命令だからとおしきったという。そして、この辞令が公表されると、この方面の知識のある人たちから、内閣官房に、あの辞令の形式 はまちがっているという抗議があったということである。しかし、この辞令の形式に疑問をもった人もさすがに総理が生存しているということをよみとった人はなかったようだ。【以下、次回】

 一点、注釈する。「稲田内閣書記官(元待従長)」とあるが、稲田周一が侍従長に就任したのは戦後のことである(在任一九六五年三月三〇日~一九六九年九月一六日)。なお、細かいことだが、『機関銃下の首相官邸』(恒文社)の第一版第一刷が発行された一九六四年(昭和三九)年八月一五日の時点では、稲田周一は、まだ侍従長の職についておらず、このコラムが参照している同書の第六版第一刷が発行された一九七三年(昭和四八)年八月一五日の時点では、すでに同職を退いていた。

*このブログの人気記事 2020・1・26(9位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首相は押入のなかにいるのではないか(迫水久常)

2020-01-25 03:34:14 | コラムと名言

◎首相は押入のなかにいるのではないか(迫水久常)

 迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)から、「首相は無事か」という章を紹介している。本日は、その三回目。

 福田秘書官の方をみると、やはりびっくりして死体をみつめている。岡田首相の死体ではないとすると、いったい首相はどうなっているのだろうか、やはり殺されてしまってどこかにころがされているのか、それとも妻がでがけにいったように、生きていてどこかにかくれているのだろうかと私の心は千々に乱れた。さいわいなことに、部屋のなかには福田秘書官と私の二人しかいない。おたがいの耳に口をよせあって、ともかくこの松尾大佐の死体をそのまま総理大臣の死体であるとしておしとおすことを打合せた。もう涙もなにもでないが、ここが芝居のみせどころだと思い、ハンカチでわざと目をおさえながら部屋をでると、とたんに待ちかまえていた中尉が「岡田閣下のご遺骸に相違ありませんね」と念をおしてきた。私たちは「それに相違ありません」と答えたものの、 気になるのは岡田総理の安否である。いまはまだたしかめる術〈スベ〉もない。どうしたものかと考えているうちに護衛の膂察官は全員殺されてしまったらしいが、妻のない首相の身のまわりの世話をしていた、サク、絹という女中が二人のこっているかもしれないと思いあたった。そこで私は「この家のなかには女中が二人いたはずですが、どうなっていますか」ときいてみた。「女中さんならあちらの部屋におります」という将校の答えに「それではちょっとあいたいから、案内していただけないだろうか」とたのんでみると、案外たやすく案内してくれた。その部屋は台所に近い八畳であったが、その部屋にはいった私は部屋の異様な空気にはっとした。というのは入口の襖をあけると、すぐ右手にある一間の押入の前に二人が一枚ずつの襖を守るかのように背中にあててすわっており、異様に緊張した表情でこちらをにらんでいたのである二人の様子はまず普通ではない。
 私はとっさに首相はこの押入のなかにいるのではないかと感じた。私たちのうしろには、兵士たちがじっと私たちを監視しているのである。うかつにものはいえない。まず私が「けがはなかったか」と口をきった。すると一人が小さな声で「はい、おけがはありません」と答えるではないか。自分たちのことに「お」をつけるはずがない。この言葉で、「これはたしかに首相が無事でこのなかにいるのだな」と私は万事のみこめた。ほんとうにとび立つ思いであった。そうとわかれば長居は無用と考えた私は女中に「あとで迎えにくるからしっかりしていてくれ」といいながら、福田秘書官をのこして、足早やにその場を立ち去ると、ついてきた兵士たちは私といっしょに広間の方へと移動した。歩きながら私は、「総理の最期の状況をおきかせください」とはなしかけた。
 中尉は「武人として実にご立派なご最後でした。私どもは心から敬意を表します」といったが、私自身としては、そんな話など耳にもはいらない。さて、これからどう措置すべきかと、ほんとうに当惑した心持であった。この間数秒、後にのこった福田秘書官は、女中から総理が押入のなかにいることを確認し、必ず救いだすからといいおいてきたのである。

 ここまでが、「首相は無事か」の章である。明日は、これに続く「防弾チョッキを着こんで」の章を紹介する。

*このブログの人気記事 2020・1・25(8・10位に珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

首相の義弟・松尾伝蔵大佐の遺体だった(迫水久常)

2020-01-24 00:02:28 | コラムと名言

◎首相の義弟・松尾伝蔵大佐の遺体だった(迫水久常)

 迫水久常の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)から、「首相は無事か」という章を紹介している。本日は、その二回目。

 玄関をはいって、屋内にはいると、平素は整然としている各室内は軍靴にふみ荒され、器物が散乱し、拳銃さえ床の上に放置されてあった。そして、廊下のところどころに兵隊がいて、私たち二人をじろじろとにらむようにみまもっている。なかには新兵らしいまだ幼な顔ののこっているような兵士が、血ばしった目をして交っていたのが印象にのこっている。
 私たちは、待ちうけていた一人の中尉と数人の剣付鉄砲の兵士にとりかこまれるようにして奥に進んだ。どの部屋も無惨に散乱している。手洗所のタイルの上に血痕があった。進んで、総理の平素の居間だった部屋にはいると、いつも壁間〈ヘキカン〉にかけてあった総理の肖像写真が畳の上にほうりだされている。見るとちょうど顔のところに銃弾があたったのか、ガラスに多くのヒビがはいっていた。 中尉が、隣りの部屋を指さして、どうぞといった。そこは首相が平素寝室として使用していた部屋である。室内には首相の使用していたふとんの上に人が横たえられている気配である。
 掛ぶとんが顔の上までかけてあって顔はみえない。「ああ、やっぱりだめだったか」と、覚悟していたつもりだったが、やはり限りない悲しみに沈みながら、その部屋にはいろうとした。そのとき、一人の兵隊が私の耳もとでささやいた。「死骸をみてもお驚きになりませんように」と。見ると憲兵の腕章をつけていた。私は死骸がよほどひどく傷つけられているのだなと思いながら、福田〔耕〕秘書官に続いて部屋にはいっていった。あとから考えてもこのときなぜそうしたのか自分でも判らないが、二人が部屋にはいると同時に、私は無意識に後ろについてきた兵士たちを次の部屋にのこして襖〈フスマ〉をしめてしまったのである。したがって部屋のなかには私と福田秘書官の二人だけになってしまう形になった。そしてこれまた不思議なことだが、あとにのこされた兵士たちはなにもいわずに そのまま次の部屋で待っていたのである。
 さて、私たちはおもむろに遺体の側〈ソバ〉で礼拝し、顔までかかっていたふとんをもち上げてみた瞬間、 はっと驚いて息をのんだ。思わずアッと小さな声を立てたかも知れない。岡田〔啓介〕首相の遺体だとばかり思っていたのがなんと現実の死体は岡田首相ではなく、前夜福井から帰って官邸にねていた首相の義弟、松尾伝蔵陸軍大佐(岡田首相の妹の夫、その長男松尾新一大佐の妻は私の妹である)の遺骸である。私は一瞬わが目を疑ったが、やはり松尾大佐である。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2020・1・24(9位のナチスは久しぶり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ(迫水万亀)

2020-01-23 00:13:38 | コラムと名言

◎お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ(迫水万亀)

 本年も二月二六日が近づいてきた。このあとしばらく、二・二六事件(一九三六年二月二六日発生)関係の話題を取りあげてみようと思う。
 本日は、迫水久常(さこみず・ひさつね)の『機関銃下の首相官邸』(恒文社、一九六四)を紹介したい。あまりに有名な本であって、あえて紹介するまでもないとも思ったが、事件の目撃者による貴重な証言であるばかりでなく、文章が非常に読みやすい。なお、筆者の迫水久常(一九〇二~一九七七)は、事件当時、岡田啓介首相の「内閣総理大臣秘書官」であった。

  首 相 は 無 事 か

 さて、話は、二・二六事件に戻る。前に述べた官邸襲撃の事態が一応平静になったので、私は気をとりなおして、道をへだてた隣家の福田耕〈タガヤス〉秘書官の官舎にひそかにはいった。
 お互いに言葉はない、涙もでなかった。いろいろと協議した結果、ともかく官邸にはいって岡田〔啓介〕総理の遺骸に香華〈コウゲ〉を供えようということになり、麹町憲兵分隊に電話してその斡旋をたのむとともにその場合の保護を依頼した。憲兵隊の返事は「若干の憲兵が首相官邸にいっているからそれと連絡をとつてほしい」ということであった。
 連絡をとるにも官邸のなかにいるのではとりようがない。仕方がないのできっといつかは外にでてくるだろうからそれをつかまえようということになった。そこで福田耕秘書官と二人で官舎の二階に陣どって、首相官邸を見張っているとやがて裏門から一人の憲兵がでてきた。やれうれしやと官舎の門にでて憲兵をよびとめて様子をきくと「岡田首相は殺されている」というので、麹町憲兵分隊との電話の交渉のことを話し、「なんとか遺骸だけでもみられるようにとりはからってほしい」とたのみこんだ。その憲兵はそれを承諾して、「あなたのほうからも官邸占領の指揮官に電話で交渉してください」といったので、私たちは電話で反乱軍と交渉した結果、やっと指揮官の第一歩兵連隊の栗原安秀中尉から、「秘書官二人に限り遺骸の検分をゆるす。案内者を差向けるから、その指図に従うように」という許可がおりた。ちょうど九時〔二六日午前九時〕ごろのことである。私たちはなにはともあれ、岡田の名をはずかしめぬよう最後までおちついて事後の始末をしようと決心しあい、ありあわせの香炉と花立〈ハナタテ〉を用意して、案内者のくるのを待った。やがて一人の一等兵がやってきて、隊長の命によって、ご案内に参りましたという。私たち二人はその兵士に従って家をでた。
 このとき私はまことに不思議な体験をしたのである。私が官邸に向うため、家をでかけるとき、妻(万亀)が玄関までおくってきた。なにぶんにもこういう時だから私自身の体にもなにがおこるか判らない。そこで「もし一時間たっても帰らないときは、私に異変があった場合だから、お母さんと子供たち――当時私のところには中風で身体の不自由の母と数え年五つの長男、二つの長女がいた――とをよろしくたのむ」といった。妻は実にたのもしく「ご心配はいりません。必ずお引受けいたします、だけどお父さんはきっと生きていらっしゃいますよ」というではないか、私は一瞬愕然とした。しかし、かわいそうに、この私でさえどうしようもない気持でいるのだから、ましてや、ついきのうまで元気だった実の父親が殺されていることなどとても想像もできないだろう。
 私も生きていてくれることを信じたいが、とても不可能だろうと思いながら、「そうだな、生きていてくださればいいが」と答えたのであった。家から首相官邸の裏門までは約三十米ある。その間には多くの兵隊が雪のなかで寒そうに立っていたが、その顔はなんとなく不安気で殺気立った様子はむしろみえなかった。私たちは案内に立った一等兵に話かけた。よくみるとその一等兵の服には、血痕があちこちについている。彼は、得意気に襲撃の模様を話した。赤穂浪士の吉良邸討入のときもこのような風であったろうと話した。この一等兵はあとでまた話題となるが、江東の浪曲師出身だったという。
 官邸裏門前には機関銃が据えつけられていた。そして私たちはこの一等兵の話のように、官邸を襲撃したのは数百人の大部隊で、機関銃をもって官邸を射撃したという事実を確認した。あとで判ったことであるが、最初に出動した新選組は、官邸正門前で機関銃によって阻止された。そして、警察官は軍隊と戦うべきでないという考えから、そのまま引きかえしたということであったが、私たちはこの大部隊の軍隊の襲撃では、かねて計画した防衛手配では、手も足もでなかったのはあたりまえであると思うと、いいようのない無念さに胸がしめつけられるような心持で、裏門に到着した。平素ならば、警衛の警察官の敬礼をうけながら、胸をはってとおる門を、今日は小腰をかがめて、一等兵のあとについてはいりながら、さらに無念の情をましたのであった。【以下、次回】

 一点、注釈する。迫水久常の妻・万亀は、岡田啓介首相の二女である。「お父さんはきっと生きていらっしゃいますよ」と言ったのは、そのためである。

*このブログの人気記事 2020・1・23

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IR事件は面倒くさい事件になる(佐藤優)

2020-01-22 00:54:57 | コラムと名言

◎IR事件は面倒くさい事件になる(佐藤優)

 昨日は、ニッポン放送の「ザ・フォーカス」、昨年一二月二六日放送の内容を紹介した。「元外務省主任分析官・作家」の佐藤優氏へのインタビューである。本日は、その続き。なお、この放送の内容は、二八日に、インターネット上に配信されている。以下、引用。

東京地検特捜部の本気度~広がる捜査範囲
森田〔耕次解説委員〕) そして、拘置所に帰っていくわけですね。この事件はかなり拡大して、白須賀〔貴樹〕衆議院議員と宮城の勝沼前衆議院議員に加えて、パチンコチェーンの本社も家宅捜索ということで、東京地検特捜部も本気モードということでよろしいでしょうか。
佐藤) 本気モードです。国会議員を捕まえるのは10年やっていないわけですし、贈収賄は16年ぶりですからね。これでこけたら組織の沽券に関わります。それから、警察官は正義感が強いですから、背後には「桜を見る会」や閣僚が2人も辞任したことで、野党のだらしなさや権力の緩みに危機感を感じたからでしょう。
森田) かつての巨悪に立ち向かう地検特捜部のような。
佐藤) 彼らの世界ではそうなのですよ。拍手喝采が欲しいですから、いろいろと情報をリークして。今回、逮捕状が請求されているという情報が、朝日新聞だけに逮捕される前の朝に出ているでしょう。あれはとてもヤバイ話ですよ。もしそれで逃げてしまったらどうしますか? 国家公務員法違反の情報漏えいがどこかで起きているわけでしょう。だから、筋に関しては検察筋と書かないですよね。関係者だったら弁護側かどうかわかりませんから。これは少し変なのですよ。秋元〔司〕さんを擁護するわけではないですが、報道先行のやり方は鈴木宗男事件のころに戻ったような感じですね。小沢〔一郎〕事件や石川〔知裕〕事件のときは、その辺りが非常に慎重でした。村木厚子さんの事件もありましたので、慎重になっていたのがいまはリーク先行になっています。
森田) かつてのゼネコン汚職のときに近い感じになっていますね。
佐藤) 特に朝日新聞の報道が先行しているのが非常に気になります。
森田) 安倍政権はこのIRを成長戦略の柱に据えているところもあります。
佐藤) ですから、権力内部での闘争になってくる可能性もありますよ。
森田) 中国企業がバックにいるということも、アメリカのカジノ会社と中国のカジノ会社の関係も含めると、いろいろな裏を考えてしまいますよね。
佐藤) これは掘っていくとかなり面倒くさい事件になるから、検察としてもどこかのところで歩留まりをつけなければいけなくなると思います。
森田) そして、パチンコチェーンの本社の家宅捜索というのも、これからどう広がっていくのか見通せないところがあります。
年末年始にかけて集中的な取り調べが行われる
佐藤) ですから検察としては千客万来路線で、「秋元さん、1人じゃ寂しいだろう。たくさん来るからな。部屋も空けてあるからな」という感じだと思いますよ。
森田) 〔鈴木〕宗男さんのときの佐藤〔優〕さんみたいな感じですか。
佐藤) 私の場合は逆で、私のような小物を捕まえてから親へ手を伸ばしていきました。ただ、鈴木〔宗男〕さん以外の国会議員には伸びませんでしたからね。それこそ、松岡利勝さんなどいろいろな名前は出ていたのですがね。1人だと「個人の逸脱」なのですよ。2人だと「組織犯罪」になります。2人にするかどうかで、政局に与える影響も大分変わってきます。
森田) 地検としてはこの年末年始でずっと取り調べを行ったり、押収した証拠物を分析したりして、寝ずの捜査をしていくのでしょうか。
佐藤) それと同時に、もうすぐお休みに入るでしょう。役所ですから差し入れもなくなって、面会もできません。そういったときに。ここでも本気度を感じますね。

 下線を引いたところが、特に要注意だと思う。
 IR事件に関して、佐藤氏は、検察側に、「野党のだらしなさや権力の緩みに危機感を感じた」、「拍手喝采が欲しい」と動機があった可能性を示唆している。この佐藤氏の観察があたっているとすれば、IR事件の捜査は、政府主導の国策捜査というよりは、検察主体の国策捜査ということになろう。
 また、佐藤氏は、このIR問題が、今後、「権力内部での闘争になってくる」可能性も示唆している。あくまでも私見だが、IR問題については、もともと政府権力の内部で「闘争」があって、その闘争が、今回の「国策捜査」と結びついた可能性も考えたい。
 森田耕次解説委員が、「アメリカのカジノ会社と中国のカジノ会社の関係」を示唆している点も重要である。おそらく森田氏は、今回の「国策捜査」が、アメリカのカジノ会社の意を汲んでいる可能性があると言いたかったのだろう。佐藤氏の「掘っていくとかなり面倒くさい事件になる」という発言も、「その可能性」を意識したものと思われる。
 秋元司衆議院議員の逮捕が年末になったのは、佐藤氏が指摘している通り、「もうすぐお休みに入る」からである。この年末年始の期間に、「一気に落とす」ことを考えたのであろう。しかし、さすがの検察も、「もうすぐお休みに入る」この時期を狙って、ゴーン被告が国外に脱出することは予想できなかったに違いない。

*このブログの人気記事 2020・1・22

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする