長めのお盆休みを取っていた人も、概ね明日からそれぞれの持ち場に復帰の運びではないでしょうか。
夏期講習もいよいよ終盤を迎えます。
これまでのところ、例えば藤沢教室では、過去の苦手単元を集中的に学習し直してきた結果、明らかにこれらを克服できた生徒たちが沢山います。
その反面、講師たちが手取り足取りおしえても、ふだんの生活態度がそうであるからなのか、当の本人たちに今ひとつ熱が入っておらず、いわば「仏作って魂入れず」の状態に近い生徒も正直な話、何名か見受けられます。
それはそれで、一定部分私たちの指導力不足といえばその通りですし、その点を責任逃れするつもりは毛頭ありませんが、しかしそれでも、圧倒的に塾外で過ごすことの多い生徒たちにとって、そこでの姿勢のあり方に難ありの場合、いくら外部者が情熱を傾けても、その効果には常に一定の枠が嵌められたと同様の効果が生じます。
そこで、そのあたりについて改めて考えてみたところ、以下の共通点がそこに見受けられることに気付きました。
■ 普段からカンニングもどき勉強しかしていない。または、そういう傾向が色濃くある。
これは、次のようなことを指します。
学習或いは勉強をするに際して、とにかく(本人に言わせると)効率重視に走り過ぎるきらいがあって、例えば「テストに出題されるところだけ教えて欲しい」などという要望を平気な顔で繰り返し言ってきたりします。
はっきりいえば、こんなものは勉強でもなんでもなく、ただのカンニング行為です。
私たちが普段行っている勉強は、オーソドックスな手法で基礎の部分から大切なことを積み上げていく中で知識を高め、応用力を付けて、その最終のところで過去問解析などを行ってはいきますが、そういうプロセスを全て省いて最後のところだけを教えろという要望につきましては、余程の事情でもない限り、これにお応えすることは致しません。
ですから、それでも尚と言われた場合、でしたらどうぞ他所へおいでくださいと、時にはそこまで言うこともあります。
困ったことには、こういうことを言ってくる子供たちは、決して彼らだけがそうしているのではなく、多くの場合、その保護者の方がまったく同様か、時にはもっと強烈にこれを要求してくることさえあるということです。
そして、それは様々な形をもって現れます。
「ピンポイントでテストに出るところだけ教えて欲しい」→ 「だから一科目当たりの授業時間は短ければ短いほどよい。そうして省力化した結果生まれた時間を他の科目の同様の行為に当てられる」→「普段のレギュラー授業は要らないから、テストの前だけ教えて欲しい」
こうしたことがいかに安直で薄っぺらな勉強でしかないかを、この場合彼らの多くが理解していませんので、仮に一回二回のテストをこれで乗り切ることができても、そんなやり方がそれ以後もすっと続くことを期待することがそもそも間違っています。
話を戻しますと、しかし普段からそうしたやり方しか出来ていない生徒たちの多くが、夏期講習のようなまとまった時間をいかに有効活用して過去の苦手に立ち返ってこれを克服するということの意義を理解せず、私たちが繰り返しこれを説明し、強調しても、結局は冒頭のように、「仏作って魂入れず」状態の無駄な時間しか過ごさないという悲しい結果になりがちなわけです。
勿論。殆どの生徒たちがこうではなく、彼らの多くは中身濃い時間を最大限活用すべく日々頑張っているのですが。