先日、
「わからなくなってから」ではなく「わからなくなる前に」という記事を書いたところ、それをお読みになって、その後入会についてお問い合わせくださった方から、
「具体的には、どれくらい前が『わからなくなる前』にあたるのでしょうか」というご質問を頂きました。
少し言葉が足りなかったかもしれませんね。
より正確に言えば、「わからなくならないように」でしょうか。
言葉遊びをしているようですが、「わからなくならないように」普段から勉強ができていれば、「わからなくなる」ということにはならないですよね。
それが理想的ではないかと思うわけです。
ここでいう「理想的」とは、この場合、勉強に充てる費用や時間の量を考えて使っている言葉です。
前回書きましたが、「わからなくなった」からといって、学校の単元消化のスピードがその生徒に合わせて待ってなどくれませんよね。
それにはお構いなしに、どんどん先へ進んでしまいます。
すると、そこからは「わからない単元」と「今やっている単元」の両方を勉強しなくてはなりません。
これまでの日々で「今やっている単元がわからなくなった」結果としての現在があるわけですので、これから急に二本立ての勉強がさくさくできるようになるとは思えません。
でも、やらなくてはならない。
すると、そこから怒涛の如く勉強時間を大量に投入しなくてはならなくなりますし、その費用もどんどん高くなるでしょう。
「いやいや、ウチは特にこの高校でなければだめだというようなことはないから」という、そういうスタンスのご家庭の方針なら別ですが、
「何が何でも県立j高校へ」という命題がしっかりと目の前にあるのであれば、ここでやるべきことを日伸ばしにすればするほど、後になって地獄の苦しみが待っていますよね。
こうならないようにするコツが「わからなくならないようにする」ことだと思うのです。
こういうスタイルで日々こつこつと、そして計画的に進めていくやり方の中に、「時間的にも費用的にも比較的余裕を持った勉強のスタイル」の姿があるのだと思います。