※TB先の方へ:記事題名を標記の様に一部改題しました。
前号記事でも告知の下記シンポジュームに参加してきました。当日は仕事なので当初は不参加のつもりでしたが、お陰さまで何とか有休が取れましたので参加する事が出来ました。(記事の写真は、会場で販売していた脱北少年手記のCD-ROM)
シンポジューム「北朝鮮とどう向き合うか~東アジアの平和と人権を求めて~」
・日時:2007年1月21日(日) 午後1時30分~午後5時
・会場:KCC会館(在日韓国基督教会館) 大阪市生野区中川西2-6-10
・基調講演:小牧輝夫さん(国士舘大21世紀アジア学部長)
・パネリスト・発言者:
郭辰雄さん(コリアNGOセンター運営委員長)
波佐場清さん(朝日新聞元ソウル支局長)
石丸次郎さん(アジアプレス)
古野喜政さん(毎日新聞元ソウル支局長、アムネスティ大阪応援団)
在日コリアンの脱北者の方
・主催:「北朝鮮とどう向き合うか」実行委員会
(社)アムネスティインターナショナル日本・コリアチーム
日本ジャーナリスト会議関西支部(JCJ)
自由ジャーナリストクラブ(JCL)
ジャーナリストネットほか
会場となった会館は大阪・生野のコリアタウンの中にあります。その5階ホールでシンポジュームが始まりました。私が行ったのは開演間際で、参加者はざっと60名ぐらい。最終的には70~80人は入ったのでは。マスコミも日本と韓国のメディアが1社づつ取材に来ていました。
当日の議事進行は、上記の基調講演の後、それぞれのパネリストが発言する形になりました。発言が一巡し終わったらもう5時前で、多分そこからパネル・ディスカッションが始まったのでしょうが、残念ながら私はまた別の短時間バイトが控えていたので、そこで退出しました。
参加した感想ですが、まず意外だったのが、全体レジュメが無かった事。入口の受付で資料類は沢山戴きましたが、式次第に相当するものはありませんでした。基調講演→パネル・ディスカッションという流れであるのが明白なので、敢えてそういうものは出さなかったのかとも思いますが、視聴者にとってはやはり必要なものです。それぞれのパネル発言の要旨が予め書かれていたらもっと分りやすかったし、実際には上記以外にあとお二方がパネリストで出ていたのですが、文書での紹介が無かったので、その方の正確なフルネームや肩書きは最後まで分らず仕舞でした。
シンポジュームのテーマは、一言で言うと「日本の左派・リベラルとして北朝鮮にどう向き合うか」というものでした。かつては社会主義国として北朝鮮を肯定的に評価し、帰国運動にも協力してきた過去を持つ日本の左派が、金日成・正日体制下での人権抑圧や個人崇拝が次第に明るみになってくる中で、どう向き合ってきたのか。そして、二度にわたる小泉訪朝や日朝平壌宣言、その中で明るみになった北朝鮮の拉致問題、その後の嵐の様な北朝鮮バッシングの中で、どう向き合っていくべきなのか。それを探るべくして開かれたのが、当日のシンポジュームでした。
北朝鮮の人権抑圧や個人崇拝は、誰が見ても異常だ、許せない、あんなものは社会主義でも何でも無い。しかし他方で、ブッシュがイラクに対して行ったような一国覇権主義の侵略戦争や米国流民主主義(その実態は新自由主義)の押付けでは、東アジアが戦場になるだけで、真の解決にはならない。互いの対立・憎悪をことさら煽るだけの北朝鮮バッシングにも反対。ここまでは、私も含めて、参加者のほぼ全員の共通認識だっただろうと思います。
そこから先が、パネラーによってかなり違う、温度差がある。そう感じました。小牧さん・郭さん・波佐場さんは、後者の方に力点を置いて、ブッシュ・ドクトリンや、安倍政権が進める北朝鮮への経済制裁や、日本国内の北朝鮮バッシングを批判していました。それに対して、石丸さん・古野さんは、北朝鮮の独裁は韓国の軍事独裁と比べてもメチャクチャなもので、いつかは崩壊するし、させなければならない。但しそれを考える上での軸足は、米帝や靖国への賛美ではなく、あくまでも日本国憲法や世界人権宣言でなければならない。大雑把に言えばこういう対比になります。
その中でつくづく思った事は、「左派=親北・反日=日朝国交正常化推進」「右派=反北・親日=経済制裁賛成」という(最近は右派vs左派に加えて安倍vs小泉という形にもなりつつある様ですが)紋切り型の類型化で個人の意見を裁断する事が、如何に現実離れしているか、という事です。
右派では、安倍や西村真悟の様な「反北・親日」だけでなく、小泉や山崎拓の様な「親北・媚中」も居るし、安倍にしても本当はどこまで「反北」なのか、という事は、マスコミ報道からも窺い知る事が出来ます。
これは左派でも同じで、北朝鮮の人権抑圧を非難している古野さんや、脱北者への取材や救援活動を行っている石丸さんは、ネオコンや右翼かというと、そうではないでしょう。実際には「股裂き・ごった煮」状態とも言える状況を呈しているのが左派の現実です。基調講演者や何人かのパネラーが制裁反対・人道支援を言ったその尻から、脱北者の一人が「今のままの北朝鮮支援は金正日体制を潤す事にしかならない」と訴えていたのを見ても、つくづくそう感じました。これは私の身近な範囲でもそうです。共産党支持で憲法9条改悪反対だが北朝鮮経済制裁には賛成なんて人も珍しくはない。他方、人道援助を主張している人も、みんながみんな北朝鮮政府べったりという訳ではなく、中には政府の案内員(ガイド兼監視役)を煙に巻いて村民に直接手渡しで援助しようとしている活動家もいるのです。
私自身はどうかというと、前から言っているように、北朝鮮への経済制裁も、その反対の日朝国交正常化も、正直言って「どちらが正論か」態度を決めかねているのが本音です。何故かと言えば、一番肝心な当事者である「当の北朝鮮人民がどちらを支持しているのか」が、依然として見えてこないからです。
確かに、断片的な情報は色々伝わってきます。「喜び組」から「コッチェビ」の映像まで。しかし、当の(権力者でないごく普通の)北朝鮮人民が「金正日体制を一体どう捉えているのか」という一番肝心な事が、日本ではなかなか見てこないのです。相変わらず個人崇拝の対象として崇め奉られているのか、それとも東欧圏崩壊前夜のポーランド・ハンガリー・東ドイツや、パンチャヤット崩壊前夜のネパール、アパルトヘイト崩壊前夜の南アの様な状況にまで民衆の覚醒が進んでいるのか、その所が実際には曖昧模糊としている。逆に覚醒どころか、長年に渡る情報鎖国と移動の自由の制限(大阪で例えると、西成から八尾に移動するのにも当局の許可が必要)によって、他国だけでなく自国の北朝鮮の事も、自分の身の回りの事以外は一切知らない(1969年のアポロ月面着陸のニュースも知らなかった)、そういう話も出ていました。
若し前者の様な状況ならば、そんな体制相手に徒に宥和政策に拘泥していても仕方が無いし、反対に後者の様な状況ならば、そんな状況でいきなり外部からお仕着せの「民主主義」を押付けたって、イラクの二の舞にしかならない。元ロシア工作員のリトビネンコ氏の毒殺疑惑絡みで「ロシアは恐ろしい、怖い国」と言わんばかりの排外主義キャンペーンが一部で流されています(事実余り褒められた人権状況でないのは確かです)が、あのロシアのプーチン独裁政権にしても「民主化」の中から生まれたものであるにも関わらず、当時の「民主化」を手放しで礼賛した連中が今になってロシア・バッシングに興じているのも、何だかね。
それに対して、実際の所はどうなのか。昨年末の日本テレビ系列の北朝鮮ルポで、国内北朝鮮人のよるビデオ・インタビューの場面が出ていましたが、いくら非公然とはいえ、あそこまで堂々と撮影できるのか、そこまで情報鎖国が緩んでいるのか、それを実は当日に石丸さんにお聞きしたかったのですが、とうとう聞けず仕舞で残念でした。
以上が、私が「経済制裁か日朝国交正常化か」の二者択一の踏み絵に対しては、態度を保留している理由です。漏れ伝わってきた噂によれば、私はどうやらネット界では「制裁反対・国交正常化推進派」に色分けされている様なので、この場で改めて立場表明をしておきます。
しかもオマケにこの事で、数年前に拙サイトの、出来て間無しの当時の旧掲示板にいきなりやってきて、「態度保留の権利も認めない」と、運営趣旨にまで散々難癖をつけて出て行った、トラブル件数の数だけHNを持つ(わら)某「ラ帝・勝共豚」が、どこかでまたまた内ゲバをやらかした折に、そこで何と、いきなり外野の私の名前を挙げて、お門違いな内ゲバの場にまで過去のこの経緯を持ち出していた様ですが、迷惑千万な話です。こちらは折角忘れかけてやっていたのに、けったくそ悪いったらありゃしない。「分らない事については意見表明を差し控え、とりあえず目の前の苦難の救援を優先する」、これの一体どこが悪いのでしょうかね。それで数年前の話をまたぞろ、しかも私とは何の関係も無い話の場にまで唐突に自分から持ち出してきて、未練たらしい事この上ない。
もう一つの立場表明は、私の北朝鮮批判の立脚点は、「救う会」系などに典型的な「日本人が拉致された、日本国家が蔑ろにされた」というのとは、質的に全然違うという事です。私の場合は、かつての「北朝鮮・スターリン生協」での勤務経験もあって、「ああいう究極の人権抑圧、ヤラセ・格差社会は許せない」という、謂わば「スターリン主義的なもの」に対する嫌悪感から来ています。
私の北朝鮮批判は格差・差別・抑圧・不正義に対する憤りから来るのであって、「国家」がどうのこうのという意識は殆どありません。だから北朝鮮だけでなく、その合わせ鏡の「和風・北朝鮮」=ブッシュ・小泉・安倍政治にも激しく抗うのです。最近は「救う会」支援者の拉致板界隈も、ネオコンの「安倍派」とネオリベの「小泉カムバック待望派」に分かれている様ですが、私にとっては「どちらも同じ穴の狢」「どちらもゴメン蒙る」としか言いようがありません。
シンポジュームでも最後の方の発言で出ていましたが、「北朝鮮と同じ論理で北朝鮮を批判しても仕方が無い」「我々はあくまで日本国憲法や世界人権宣言の観点から北朝鮮の国家体制を批判し人民に手を差し伸べていく」―これに尽きると思います。「制裁か宥和か」の二者択一の踏み絵に徒に振り回されるような愚は避け、あくまでも前述の立場に軸足を置いて、とりあえず目の前の北朝鮮人民や脱北者の方の苦難軽減に少しでもお役に立てる事が出来れば―そういう気持ちでいます。現在日本にいる脱北者の方の大半が、大阪の生野・八尾・東大阪近辺に集中居住している事も、シンポジュームに出て初めて知りました。実は自分の身近な地域の問題でもあったのだと、今更ながら思いました。
前号記事でも告知の下記シンポジュームに参加してきました。当日は仕事なので当初は不参加のつもりでしたが、お陰さまで何とか有休が取れましたので参加する事が出来ました。(記事の写真は、会場で販売していた脱北少年手記のCD-ROM)
シンポジューム「北朝鮮とどう向き合うか~東アジアの平和と人権を求めて~」
・日時:2007年1月21日(日) 午後1時30分~午後5時
・会場:KCC会館(在日韓国基督教会館) 大阪市生野区中川西2-6-10
・基調講演:小牧輝夫さん(国士舘大21世紀アジア学部長)
・パネリスト・発言者:
郭辰雄さん(コリアNGOセンター運営委員長)
波佐場清さん(朝日新聞元ソウル支局長)
石丸次郎さん(アジアプレス)
古野喜政さん(毎日新聞元ソウル支局長、アムネスティ大阪応援団)
在日コリアンの脱北者の方
・主催:「北朝鮮とどう向き合うか」実行委員会
(社)アムネスティインターナショナル日本・コリアチーム
日本ジャーナリスト会議関西支部(JCJ)
自由ジャーナリストクラブ(JCL)
ジャーナリストネットほか
会場となった会館は大阪・生野のコリアタウンの中にあります。その5階ホールでシンポジュームが始まりました。私が行ったのは開演間際で、参加者はざっと60名ぐらい。最終的には70~80人は入ったのでは。マスコミも日本と韓国のメディアが1社づつ取材に来ていました。
当日の議事進行は、上記の基調講演の後、それぞれのパネリストが発言する形になりました。発言が一巡し終わったらもう5時前で、多分そこからパネル・ディスカッションが始まったのでしょうが、残念ながら私はまた別の短時間バイトが控えていたので、そこで退出しました。
参加した感想ですが、まず意外だったのが、全体レジュメが無かった事。入口の受付で資料類は沢山戴きましたが、式次第に相当するものはありませんでした。基調講演→パネル・ディスカッションという流れであるのが明白なので、敢えてそういうものは出さなかったのかとも思いますが、視聴者にとってはやはり必要なものです。それぞれのパネル発言の要旨が予め書かれていたらもっと分りやすかったし、実際には上記以外にあとお二方がパネリストで出ていたのですが、文書での紹介が無かったので、その方の正確なフルネームや肩書きは最後まで分らず仕舞でした。
シンポジュームのテーマは、一言で言うと「日本の左派・リベラルとして北朝鮮にどう向き合うか」というものでした。かつては社会主義国として北朝鮮を肯定的に評価し、帰国運動にも協力してきた過去を持つ日本の左派が、金日成・正日体制下での人権抑圧や個人崇拝が次第に明るみになってくる中で、どう向き合ってきたのか。そして、二度にわたる小泉訪朝や日朝平壌宣言、その中で明るみになった北朝鮮の拉致問題、その後の嵐の様な北朝鮮バッシングの中で、どう向き合っていくべきなのか。それを探るべくして開かれたのが、当日のシンポジュームでした。
北朝鮮の人権抑圧や個人崇拝は、誰が見ても異常だ、許せない、あんなものは社会主義でも何でも無い。しかし他方で、ブッシュがイラクに対して行ったような一国覇権主義の侵略戦争や米国流民主主義(その実態は新自由主義)の押付けでは、東アジアが戦場になるだけで、真の解決にはならない。互いの対立・憎悪をことさら煽るだけの北朝鮮バッシングにも反対。ここまでは、私も含めて、参加者のほぼ全員の共通認識だっただろうと思います。
そこから先が、パネラーによってかなり違う、温度差がある。そう感じました。小牧さん・郭さん・波佐場さんは、後者の方に力点を置いて、ブッシュ・ドクトリンや、安倍政権が進める北朝鮮への経済制裁や、日本国内の北朝鮮バッシングを批判していました。それに対して、石丸さん・古野さんは、北朝鮮の独裁は韓国の軍事独裁と比べてもメチャクチャなもので、いつかは崩壊するし、させなければならない。但しそれを考える上での軸足は、米帝や靖国への賛美ではなく、あくまでも日本国憲法や世界人権宣言でなければならない。大雑把に言えばこういう対比になります。
その中でつくづく思った事は、「左派=親北・反日=日朝国交正常化推進」「右派=反北・親日=経済制裁賛成」という(最近は右派vs左派に加えて安倍vs小泉という形にもなりつつある様ですが)紋切り型の類型化で個人の意見を裁断する事が、如何に現実離れしているか、という事です。
右派では、安倍や西村真悟の様な「反北・親日」だけでなく、小泉や山崎拓の様な「親北・媚中」も居るし、安倍にしても本当はどこまで「反北」なのか、という事は、マスコミ報道からも窺い知る事が出来ます。
これは左派でも同じで、北朝鮮の人権抑圧を非難している古野さんや、脱北者への取材や救援活動を行っている石丸さんは、ネオコンや右翼かというと、そうではないでしょう。実際には「股裂き・ごった煮」状態とも言える状況を呈しているのが左派の現実です。基調講演者や何人かのパネラーが制裁反対・人道支援を言ったその尻から、脱北者の一人が「今のままの北朝鮮支援は金正日体制を潤す事にしかならない」と訴えていたのを見ても、つくづくそう感じました。これは私の身近な範囲でもそうです。共産党支持で憲法9条改悪反対だが北朝鮮経済制裁には賛成なんて人も珍しくはない。他方、人道援助を主張している人も、みんながみんな北朝鮮政府べったりという訳ではなく、中には政府の案内員(ガイド兼監視役)を煙に巻いて村民に直接手渡しで援助しようとしている活動家もいるのです。
私自身はどうかというと、前から言っているように、北朝鮮への経済制裁も、その反対の日朝国交正常化も、正直言って「どちらが正論か」態度を決めかねているのが本音です。何故かと言えば、一番肝心な当事者である「当の北朝鮮人民がどちらを支持しているのか」が、依然として見えてこないからです。
確かに、断片的な情報は色々伝わってきます。「喜び組」から「コッチェビ」の映像まで。しかし、当の(権力者でないごく普通の)北朝鮮人民が「金正日体制を一体どう捉えているのか」という一番肝心な事が、日本ではなかなか見てこないのです。相変わらず個人崇拝の対象として崇め奉られているのか、それとも東欧圏崩壊前夜のポーランド・ハンガリー・東ドイツや、パンチャヤット崩壊前夜のネパール、アパルトヘイト崩壊前夜の南アの様な状況にまで民衆の覚醒が進んでいるのか、その所が実際には曖昧模糊としている。逆に覚醒どころか、長年に渡る情報鎖国と移動の自由の制限(大阪で例えると、西成から八尾に移動するのにも当局の許可が必要)によって、他国だけでなく自国の北朝鮮の事も、自分の身の回りの事以外は一切知らない(1969年のアポロ月面着陸のニュースも知らなかった)、そういう話も出ていました。
若し前者の様な状況ならば、そんな体制相手に徒に宥和政策に拘泥していても仕方が無いし、反対に後者の様な状況ならば、そんな状況でいきなり外部からお仕着せの「民主主義」を押付けたって、イラクの二の舞にしかならない。元ロシア工作員のリトビネンコ氏の毒殺疑惑絡みで「ロシアは恐ろしい、怖い国」と言わんばかりの排外主義キャンペーンが一部で流されています(事実余り褒められた人権状況でないのは確かです)が、あのロシアのプーチン独裁政権にしても「民主化」の中から生まれたものであるにも関わらず、当時の「民主化」を手放しで礼賛した連中が今になってロシア・バッシングに興じているのも、何だかね。
それに対して、実際の所はどうなのか。昨年末の日本テレビ系列の北朝鮮ルポで、国内北朝鮮人のよるビデオ・インタビューの場面が出ていましたが、いくら非公然とはいえ、あそこまで堂々と撮影できるのか、そこまで情報鎖国が緩んでいるのか、それを実は当日に石丸さんにお聞きしたかったのですが、とうとう聞けず仕舞で残念でした。
以上が、私が「経済制裁か日朝国交正常化か」の二者択一の踏み絵に対しては、態度を保留している理由です。漏れ伝わってきた噂によれば、私はどうやらネット界では「制裁反対・国交正常化推進派」に色分けされている様なので、この場で改めて立場表明をしておきます。
しかもオマケにこの事で、数年前に拙サイトの、出来て間無しの当時の旧掲示板にいきなりやってきて、「態度保留の権利も認めない」と、運営趣旨にまで散々難癖をつけて出て行った、トラブル件数の数だけHNを持つ(わら)某「ラ帝・勝共豚」が、どこかでまたまた内ゲバをやらかした折に、そこで何と、いきなり外野の私の名前を挙げて、お門違いな内ゲバの場にまで過去のこの経緯を持ち出していた様ですが、迷惑千万な話です。こちらは折角忘れかけてやっていたのに、けったくそ悪いったらありゃしない。「分らない事については意見表明を差し控え、とりあえず目の前の苦難の救援を優先する」、これの一体どこが悪いのでしょうかね。それで数年前の話をまたぞろ、しかも私とは何の関係も無い話の場にまで唐突に自分から持ち出してきて、未練たらしい事この上ない。
もう一つの立場表明は、私の北朝鮮批判の立脚点は、「救う会」系などに典型的な「日本人が拉致された、日本国家が蔑ろにされた」というのとは、質的に全然違うという事です。私の場合は、かつての「北朝鮮・スターリン生協」での勤務経験もあって、「ああいう究極の人権抑圧、ヤラセ・格差社会は許せない」という、謂わば「スターリン主義的なもの」に対する嫌悪感から来ています。
私の北朝鮮批判は格差・差別・抑圧・不正義に対する憤りから来るのであって、「国家」がどうのこうのという意識は殆どありません。だから北朝鮮だけでなく、その合わせ鏡の「和風・北朝鮮」=ブッシュ・小泉・安倍政治にも激しく抗うのです。最近は「救う会」支援者の拉致板界隈も、ネオコンの「安倍派」とネオリベの「小泉カムバック待望派」に分かれている様ですが、私にとっては「どちらも同じ穴の狢」「どちらもゴメン蒙る」としか言いようがありません。
シンポジュームでも最後の方の発言で出ていましたが、「北朝鮮と同じ論理で北朝鮮を批判しても仕方が無い」「我々はあくまで日本国憲法や世界人権宣言の観点から北朝鮮の国家体制を批判し人民に手を差し伸べていく」―これに尽きると思います。「制裁か宥和か」の二者択一の踏み絵に徒に振り回されるような愚は避け、あくまでも前述の立場に軸足を置いて、とりあえず目の前の北朝鮮人民や脱北者の方の苦難軽減に少しでもお役に立てる事が出来れば―そういう気持ちでいます。現在日本にいる脱北者の方の大半が、大阪の生野・八尾・東大阪近辺に集中居住している事も、シンポジュームに出て初めて知りました。実は自分の身近な地域の問題でもあったのだと、今更ながら思いました。