アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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万人の万人に対する闘争

2008年06月10日 20時05分27秒 | 秋葉原・森事件関連
 6月8日の日曜日白昼に起こった東京・秋葉原の通り魔連続殺人事件ですが、以前の私なら、一応政治系と目される自分のブログで、こんな刑事事件をわざわざ話題に取り上げる事はありませんでした。しかし、例の森との一件があってからというもの、今回の事件についても、とても他人事だとは思えないのです。いつまた同じ様な目に遭うかもしれないかと思うと、まったくやりきれない気持ちになります。

 今までのニュース報道に因ると、通り魔事件の加害者は25歳の男性派遣社員だとの事です。彼は青森市の出身で、高校は県下有数の公立進学校を卒業しながら、派遣社員として自動車メーカーの現場を今まで渡り歩いてきました。
 何故大学に進学しなかったのか。青森県と言えば、大学は確か国公立と私立がそれぞれ数校あるだけで、有効求人倍率も全国最低ランクでしょう。公務員などに縁故採用のコネでもあればまた別ですが、そうでない限り、進学するにしろ就職するにしろ、マトモな所に就こうとすれば、地元から出るしかない。或いは、この頃に両親が別居しているので、ひょっとしたら、家庭崩壊やそれに伴う経済的な理由で、進学を諦めざるを得なかったのかもしれません。

 そうして彼は、派遣社員として幾つかの現場を渡り歩いた後、静岡県裾野市の自動車メーカーの工場で働く事になりました。「おとなしい、礼儀正しい人」と言うのが、彼の表向きの人物像ですが、知人・同僚の話によると「一旦キレたら手がつけられない」という一面もあったとの事です。実際、事件発生数日前にも、出勤時に自分の作業着が見当たらなかった事で、「自分は会社からは疎んじられている」と勝手に思い込んで、それが通り魔殺人を引き起こす直接のキッカケとなりました。その背景には、当該自動車メーカーで進められていた人員削減も、微妙に影を落としていました。

 また彼は、高校は公立進学校に合格したものの、周囲は秀才揃いで授業にも付いて行けず、今までとは一転して「負け組」の悲哀を味わう事となり、次第に「ブスでグズでノロマで異性にもてない人間」と自分を卑下し、ネットにのめり込む様になっていきました。事件当日も携帯サイトに頻繁に、犯行予告や自分の心境を書き込んでいました。

 彼は、小泉構造改革や新自由主義、自民党政治の犠牲者である事は、もうハッキリしています。青森という出稼ぎ常襲地帯で、受験競争にせきたてられて、つかの間の「勝ち組」気分を味わえたものの、やがて両親の離婚などを契機に、それまでバカにしていた「負け組」に、今度は自分自身が転落していくのを、嫌というほど味あわされる様になる。
 しかし彼は、受験競争という枠組みに飼いならされてきたが故に、その枠組みそのものを廃絶する(つまり社会変革)という思考には最後まで至らず、逆に「差別されているが故に、逆に差別する側に回ろうとする」アンクル・トムの心理に囚われ続けた挙句に、レンタカーで借りた2トントラックを凶器に、歩行者という弱者に襲い掛かっていったのです。何のことは無い、森と全く同じじゃないか。

 作家の雨宮処凛が、自著の「生きさせろ!難民化する若者たち」の中で、「何故ワーキングプアの若者が立ち上がらないか、という声をよく耳にするが、既にニートや引きこもりという形で、立ち上がっている」という趣旨の事を書いていました。私は、これは半分は当たっているが、半分は間違っていると思います。
 こういう形での「決起」は、確かに社会変革に至る一つのキッカケになる可能性があります。実際、ワーキングプアの若者の間では、在りし日のプロレタリア小説「蟹工船」が一大ブームになったり、日払い派遣の実態を告発した共産党の国会質問が話題を呼んだりしていますから。しかし、こういう形での「決起」のままでは、絶対に社会変革や革命になぞには至りません。何故ならば、アンクル・トムの思考に囚われている限り、いつまで経っても「椅子取りゲームの中での椅子の奪い合い」にしかならず、「椅子取りゲームそのものを止めさせて、椅子を増やす」という形にはならないからです。
 その「決起」の行き着く先は、結局は「万人の万人に対する闘争」でしかありません。その怒りの矛先が向けられるのは、支配階級ではなく、自分が今まで卑下していた別の弱者でしかありません。「下見て暮らせ傘の下」の思考が、そこでは極限まで貫徹される事になります。

 それを見た支配者は、更に嵩にかかって、「これぞ戦後民主主義の個人エゴの現れだ、今こそ親・家族・社会・国家への崇敬の念が必要だ」とばかりに、ナイフ所持規制(町村官房長官)や「会社でも社歌と君が代を歌え」(御手洗・経団連会長)という様な事を、今まで以上に言ってくるでしょう。そして、政権与党や大政党に圧倒的に有利な小選挙区制や、企業献金や有料テレビCMは野放しの一方でビラ配布一つにも難癖をつけて来る公選法の規定や、政府与党によるマスコミ操作・「命令放送」・ネット規制などによって、当座はしのげるでしょう。しかし、それでいつまでも持つと思えば、大間違いです。

 今の社会体制に対するワーキングプアの潜在的な怒りが、どれだけ凄まじいものか。政府・自民党・財界には、それが全然分かっていません。ホンの一例を挙げれば、日払い派遣労働者の大半が、昼食抜きか、せいぜいカップヌードルとおにぎりだけのお弁当で、毎日毎日働いている事を、どれだけ知っているか。それも、一昔前までのフリーターに時々見られた「将来の夢実現の為に、今は我慢」というのとは、全く違う。夢も希望も打ち砕かれた挙句に、死ぬまでこういう状況が続くのだが、それがどれほど惨めな事かを、政府・自民党・財界の面々は殆ど理解していないのではないでしょうか。
 これは別に、北朝鮮の話でもなければ、アフリカの最貧国の話でもありません。れっきとした日本の現実です。戦前日本でも欠食児童が少なくありませんでしたが、家族・社会の絆(民間のセーフティネット)が崩壊している分、ある意味では戦前よりも酷いとも言えるのではないでしょうか。カップ麺を買わされる度に、或いはメタボ健診の知らせを聞かされる度に、「お前が店内で立ち入る事が許されるのは、カップ麺とおにぎりのコーナーだけだ、それ以外は立入禁止」と言わんばかりの、自分と社会とを分け隔てている目には見えない分断線の存在を、彼らは理屈抜きに身体で感じ取っているのです。

 そんな状況を放置したままで、何が「君が代」か「美しい国」か。笑わせるな。偉そうに愛国心の説教を垂れるより前に、誰でも普通に働いたらまともに食っていける様にするのが、筋だろう。
 このままでは、日本は、遅かれ早かれ、職場・地域全体が映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の様になるでしょう。「資本主義は弱肉強食」と、いい気になって社会変革への希望を圧殺していると、最後に来るのは、もう取り返しのつかない「亡国」状況です。それが嫌なら、もう「革命」しか無い。

(参考記事)
・携帯サイトで犯行予告 秋葉原無差別殺傷7人死亡(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/national/update/0608/TKY200806080127.html
・秋葉原通り魔:「みんな殺したい」ネット論争で激怒(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/select/jiken/akihabara/news/20080610k0000e040072000c.html
・「会社に居場所なくなった」加藤容疑者が供述(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080610-OYT1T00066.htm

(関連エントリー)
・似非弱者による差別暴力を許さない
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/f8083536c36a7e3cb8230124f4fbdb24
・資本主義は弱肉強食 希望は亡国
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/8b5ca85c5c095b93890749648ff5a0a8
・食のアパルトヘイト
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/79b4079365d5c81c0e2b4190341bde60  
コメント (20)
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