昨年来から続いてきた小沢献金問題は、政治資金団体「陸山会」への4億円寄付がゼネコンからの賄賂によるものかどうかという、一番肝心な事は何一つ解明されないまま、元秘書3名の逮捕・保釈、小沢不起訴という曖昧決着で、とりあえず幕切れとなりました。
本来ならば、「財界による政治支配」という根幹にこそメスが入れられなければならないのに、追及する方もされる方も、一部の例外を除いて、その根本問題には決して触れようとはせずに、お互いに相手を貶める為の政争の具としてのみ、この問題を利用してきました。だから、盛り上がっているのは、政争に加わっている当事者と、それに加担しているマスコミのみで、それに嫌々付き合わされてきた国民としては、「やっと終わったか」というのが正直な感想です。
田中角栄や竹下登の愛弟子として、自民党の要職を歴任した後、新進党・自由党と渡り歩いてきた小沢が、清廉潔白な訳がないし、国民もそんな事は薄々分かっていた筈。それでも敢えて麻生自民党から小沢(鳩山)民主党への政権交代を国民が選択したのは、自民党政治の清算を小沢の豪腕に期待したからに他なりません。「同じワルならまだ反自民の方がマシ」という消去法での選択だったのです。
自民党は、そこが全然分かっていないし、分かる事も出来ない。自民党が自民党である事を止めたら、もはや解党するしかないのは、自民党自身が一番良く分かっているから。だから「財界による政治支配」には一切手をつけず、企業・団体献金廃止にも頬かむりしたまま、ひたすら小沢への個人攻撃ばかりに血道をあげているのです。しかし、これまでの積年に渡る自民党政治の出鱈目さを思い知らされてきた国民には、もうそんな事は通用しない。
他方で小沢(鳩山)民主党も、何故先の総選挙で国民が政権交代を選んだのかが、もう少しは自覚していると思っていたが、やはり何も分かっていなかったようです。だから、後期高齢者医療制度の見直しや普天間問題にしても、総選挙で示された民意に沿って、今までの自民党政治を改めさえすればそれで済む問題なのに、徒に迷走を繰り返すばかりで、要らぬ混乱を招いてしまっている。
そうして、自民党政治をそのまま踏襲し続けたばかりに、沖縄・名護市長選での反基地派の勝利という、本来ならチャンスである筈のものまでピンチにしてしまうような体たらくなのですから、もうお話になりません。
国民は、決してそんな小沢や民主党に満足している訳ではありません。今の小選挙区制の下では、これまでの自民党の悪政を止めるためには、まだ海のものとも山のものとも分からないが、自民党を下野させる最短距離の位置にいる民主党を、とりあえずは支持するしかなかった。だから、みんな民主党に投票したのです。それが本当に分かっていたら、小沢もこれまでのような横柄な態度は決して取れなかった筈です。
それでも自民党を復活させる訳にはいきません。だから自民党・右翼や産経新聞の小沢民主党バッシングには組しない。しかし、当の小沢民主党も、過去の自民・民主大連立騒動を見れば分かるように、根本においては自民党と同床異夢なので、とても日刊ゲンダイの様に積極的に擁護する気にはなれない。
では、自民・民主の両党以外であれば何でも良いのかとなると、勿論そうではありません。新自由主義で自民党以上に自民党的な「みんなの党」や、極右反動・排外主義のネオナチでしかない平沼・田母神・在特・新風なんてのは、もはや論外です。右派や新自由主義派に対する批判については、今まで散々書いてきましたので、ここではこれ以上書きませんが。
だから私は左翼を、とりあえずは共産党を応援し、今も選挙のビラ撒きを手伝ったりしているのです。しかし、では何故、左翼が民主党にとって代わる事が出来ないのか。それをここでは考えてみました。
確かに共産党は、自民・民主両党よりはよっぽどマシです。それは「政治とカネ」の問題一つとっても明らかです。でも実際には両党よりもはるかに小さい。勿論、それには小選挙区制の影響もあるでしょう。しかし、決してそれだけに解消は出来ないと思うのです。何故なら、私自身が、今はこの党についても、以前ほどには無条件で入れあげるような気持ちにはなれないから。
何故そう思うようになったのかについては、確かに「いずみ生協」での体験が微妙に影を落としている部分はあると思います。また「ベルリンの壁」崩壊や北朝鮮問題も多少はあるでしょう。しかし、決してそれだけではありません。旧ソ連・中国・北朝鮮の実態なんて、別に今さら産経・正論やSAPIOなんて読まなくても、既に数十年も前から薄々は分かっていた事ですから。
かつて20数万人の組織勢力を誇った民青(日本民主青年同盟:共産党系の青年組織)が今や2万数千規模にまで落ち込んでいるのも、決して「ベルリンの壁」崩壊や北朝鮮問題などだけが原因ではないと思います。より根本的には、これだけ個人が「自由」に(但し、あくまで括弧付きにですが)情報にアクセス出来る社会で、わざわざ何らかの組織に帰属して、それに縛り付けられている事の意義やメリットが、もはやどこにも見出せなくなったからです。現に、私が離党した最大の理由も、根本的にはそこにありましたから。だから、これは単に共産党や新左翼だけに限らず、実は自民党などにも共通する問題なのです。実際、自民党の党員数なども、過去と比べたら激減していますから。
これは確かに重要な進歩なのかも知れません。今までは帰属組織の言いなりであった個人も、自分で情報を集め始めて、自律的に物を考えるようになったという事ですから。しかし、一概に手放しで喜べる事ばかりとも限らないのではないでしょうか。
まず、一見自由に見える情報でも、実は財界・マスコミ資本によって巧妙に操作されているという問題があります。そして、それに対する個人はというと、組織への帰属・忠誠心からの解放と引き換えに、「何も信じられない」不信の荒野に、放り出されてしまったというのが、今の状況ではないでしょうか。この中で、単に左翼イデオロギーだけでなく、人類が長年にわたって獲得してきた自由・人権・民主主義や「科学的な物の見方」といった価値までもが、以前ほどには信用されなくなってきたのではないかと。だから、この問題は実は、単に「マルクス主義の凋落」だけで済まされるような、そんな単純な問題ではないのです。
60年代にはあれだけ公民権運動やベトナム反戦運動が盛り上がった米国で、今や地動説も信じない人々がネオコンに靡いてしまうようになってしまったのが、その何よりの証拠です。それは日本でも同じで、かつては社会党や共産党を支持した人たちまでもが、スピリチュアルや田母神や小沢の虜になってしまったのも、それが原因ではないかと。
その様な「不信の荒野」の中で、「一刻も早く自民党政治を変えたい」という、それ自身は当然の要求から、小沢の豪腕に期待する人についても、同じ事が言えるのではないでしょうか。民主主義の面倒な過程をすっ飛ばして、手軽に成果だけを手に入れる為に、誰かの豪腕に他力本願ですがろうとしている、という点で。確かに、その気持ちはよく分かります。私自身がそうでしたから。
しかし、それでは、ヒットラーや橋下徹・石原慎太郎・森田健作・サルコジ・ベルルスコーニらの豪腕に期待した人と、結局は同じではないかと。消極的とはいえ小沢に一縷の望みを託した私も含めて、その他力本願の「横着民主主義」意識から脱却出来てこそ、初めて国民は小沢・橋下や民主党をも乗り越えて、真の自律や自民党政治の転換を実現できるようになるのではないでしょうか。