アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

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決行予告

2010年10月10日 18時42分07秒 | 職場人権レポートVol.1
   

 バイト先で今年4月頃から話が表面化し、私が地域労組に個人加入するキッカケともなった「牛乳の自前仕分け」作業が、この10月18日からいよいよ導入されます。18日店着分からなので、実際には17日午後からの作業となります。
 会社側は、バイト朝礼では、さも尤もらしく「今までの様な派遣頼みではなく、直雇用での人員補充を図る」なんて言っておきながら、後でこっそり総務社員に聞くと、新規の募集も応募も全然やっていないようなのです。それどころか、「下手に人を入れたら今までいるバイトの残業代が払えなくなる」みたいな事まで言っていました。

 直前になっても何ら手が打たれないようなら、私は生憎17、18日と連休のシフト休みなので、その前日16日の朝礼で会社の姿勢を糾すつもりでいます。その時の成り行きによっては、地域労組に加入の件も公然化して、団体交渉の申し入れにまで話が発展するかも知れません。それもまた好しです。
 確かに、私一人が言ったからといって、それで会社が変わる訳ではないかも知れません。でも、誰かが何か言わなければ、ますます元請や会社の好き勝手し放題になってしまう。黙っていても「やられる」のなら、同じ「やられる」にしても、少しでも「やり返さなければ損」じゃないか。

 いきなり「牛乳の自前仕分け」が云々と書かれても、一般読者の方にとっては事情がよく分からないでしょうから、ここで簡単に説明しておきます。
 私の会社は某大手スーパーの物流センターで業務を請負っており、私はそこで毎日7時から16時まで働いています。そこの物流センターでは、毎日午後からは翌日早朝店着分の牛乳・乳製品が、多い日では2万ケース前後まで、少ない日でも2~3千ケースから入荷します。明治・森永・日本ミルク・・・と、主な乳業メーカーの商品が、多岐にわたって納品されます。
 それらの牛乳の店別仕分けを、今までは納品業者による外注作業で行っていました。私たちは、主に荷受け・検品と、業者が仕分けした商品の搬送に携わってきました。既に幾つかのメーカー分は自前仕分けに切り替わっていますが、全体からすれば、まだまだ小物中心の限られたものでした。それがこの18日店着分からは、主要メーカー分についても私たちが仕分けするようになります。最初は明治乳業の分だけですが、ゆくゆくは他のメーカー品も自前仕分けに切り替えていく予定だそうです。詳しい経過については、4月頃の「職場人権レポート」カテゴリー記事を参照して下さい。

 この「牛乳の自前仕分け」作業の問題点は、大体下記に集約される筈です。
 第一に、純粋に業務上の必要から出た話ではなく、徹頭徹尾、採算ベースからの発想でしかない。狙いは外注費の削減だけです。要するに「コスト削減まず先に在りき」で、その為に下請けの労働者がどうなろうと知ったこっちゃない、という事です。
 第二に、この儲け本位のスーパーの発想に対して、その下請けの私の会社はと言うと、只々言いなりになるばかりの、成り行き任せで、自社従業員の健康や安全に責任を負う姿勢が全然感じられない。「全く上の言いなり」で、そのくせ「自分たちの責任は回避しよう」「ツケは全て現場の労働者に転嫁しよう」というのが見え見えなのです。

 恐らく会社としては、同じ時間帯に仕分けしていたチョコレート・菓子類が、秋になり低温仕分けから常温仕分けに変更になるので、その「余剰」人員を振り分ける事で当座を凌ぐつもりなのでしょう。しかし、これから冬場にかけて、ますます物量が増えるというのに、いつまでそんな「綱渡り」みたいなやり方で凌ぐつもりか。
 そもそも、それ以前に、今ですら、センター内のどこの部署でもカツカツの人員で作業を回しているというのに、どこにそんな「余剰」があると言うのか。「椅子を増やす」という抜本策には一切手をつけないまま、いつまで現場に「椅子取りゲーム」を強いれば気が済むのか。
 会社はそれに対して、恐らく「財源がない」と言い訳するのだろうが、本当にそうか。この際はっきり言うが、同族企業のこの会社には、ロクスッポ仕事もしない職制や社員も少なくないじゃないか。上に言うべき事も言えないのなら、そのツケはまず自分たちが背負うべきだろう。上に言うべき事も言えず、そのくせ自分に火の粉が飛んでくるのだけは避けたいからと、そのツケをひたすら下にしわ寄せして、自分はそ知らぬ顔では、余りにも虫が良すぎる。

 憲法や労基法などに書かれた権利は、決して「只の飾り」でもなければ、「学校の教科書の中だけの、絵に描いた餅」でもない。それは、使いこなされてこそ、初めてその真価を発揮するものだ。その権利について無知で、行使する術を知らなかったが為に、前の職場で一週間只働きさせられた挙句に退職されられても、それが違法である事すら認識出来なかったバイトがいた。みんなは彼の事を、仕事が出来ないとバカにしていたが、「何も知らない」「幾ら違法な事をされても何も言えない」という意味では、他のみんなも彼と同格でしかない。

 まず18日までは会社の様子を伺います。その間、地域労組とも連絡を取ります。そして、会社がスーパーと結託して、上記第一、第二の姿勢で臨んで来る事がいよいよはっきりすれば、直前の朝礼でその姿勢を糾し、相手の出方次第によっては労組加入の公然化と団体交渉の申し入れにまで話を持っていくつもりでいます。
 そうなれば、たとえたった一人の組合員からのものであっても、会社は労組の団交要求を拒否できない事は、労働組合法第7条にもある通りです。月々僅か1200円の組合費とは言え、貴重なお金を毎月「掛け捨ての保険料」のように労組に払ってきたのも、偏にその時の為だったのだから。俺は、これ以上モノのようにこき使われるのは、もうゴメンだ。

     
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奴隷根性に支えられた搾取と右傾化

2010年10月10日 08時23分56秒 | 職場人権レポートVol.1
 私が発行している「ワーキングプア解放新聞」という名の職場新聞ですが、最近では「職場人権レポート」カテゴリーに所収の職場ネタだけでなく、それ以外の話題についてもなるべく掲載するようにしています。この直近の尖閣諸島・マルクス関連の記事も、当該新聞に載せて配布しました。狭義の職場ネタだけに限っていては、どうしても視野が狭くなってしまいますし、ネタも尽きてしまいますので。勿論、その場合でも、あくまでも「ワーキングプア解放」の視点は外さないようにしていますが。
 でも、そうなると今度は、読者のほうで、何がなんだか訳が分からなくなってしまうのでは、という心配も一方であります。「職場の問題を取り上げている」という事で読んでみたら、それ以外の難しい話も一杯出てくる。たとえ難しい話でも、「ワーキングプア解放」に繋がる大事な話は、今後も出来るだけ取り上げていくつもりですが、せっかくの新聞も読者に読んで貰わなければ意味が無い。それに、職場ネタは書き出せばキリが無くなる。という事で、今後は職場ネタについては、その名も「社畜作業日報」というコラム欄のページを作って、出来るだけそちらで取り上げるつもりです。

 「作業日報」というのは毎日我々が現場で記入する作業報告書で、それをブログ・新聞にも準えたものですが、その前に付された「社畜」の語が、人によっては物議を醸すかも知れません。何故敢えてそんな「嫌らしい」名前にしたか。それも偏に、職場から奴隷根性の一掃を図る為です。私の勤め先は、以前にも言ったように、某大手スーパーの物流センターで業務を請負っている、二次下請けの会社です。職場の労働強化の問題も、最終的にはスーパーの新自由主義(金儲け至上主義)的な経営方針や一次下請けによるピンハネを是正しない事には、何ら解決しない。でもそれだけが問題ではない。その元請の新自由主義やピンハネを唯々諾々と受け入れている二次下請けの「社畜・奴隷根性」の問題もあるのではないか。それら「搾取する側」と「される側」の双方の問題が一掃(それが適わないならせめて軽減)されない限り、我々はこの生き地獄から抜け出せない。この名前にはそんな思いが込められています。

 下記が、そのコラム欄「社畜作業日報」の直近の記事と図柄です。北朝鮮の後継者内定のニュースを揶揄したもので、タイトルもずばり「ロジ・ジョンイル」。但し、図柄の青字の部分は、ブログ公開用に新たに書き加えた説明書きです。部内報の職場新聞には載っていません。



 北朝鮮では次の指導者に金正日(キム・ジョンイル)三男の金正恩(キム・ジョンウン)が指名された。国の指導者を選挙ではなく世襲で決めるというのが、この独裁国家のやり方だ。しかし、それを「自由がない」とか「非民主的だ」と言って嘲笑する日本社会も、では自分たちはどうなのか。現に私の勤務先の会社も、北朝鮮と似たような有様ではないか・・・と皮肉ったのが、上記コラムの内容です。
 実際にも、北朝鮮や中国の事となるとやたら興奮するくせに、では己自身はどうかと問われれば、彼の国の独裁者と同じくらい人権意識の希薄な人が、最近とみに目に付きます。そういう人に限って、自分の事は棚に上げて、「左派・人権派」叩きのネタとして、殊更この問題を持ち出してきます。「北朝鮮・中国を見ろ、あれが社会主義の真の姿だ、何だかんだ言っても資本主義が一番良いんだ、所詮世の中は弱肉強食なのだ、それを差別とか言う奴は親北朝鮮の反日分子だ、強い奴が弱い奴を差別して何が悪い・・・」という具合に。ネットウヨクなんて、その典型でしょう。
 しかし、ではその北朝鮮・中国を批判する当人はどうなのか。一日12時間も13時間も働かされているのに、上司や会社には何も言えずに、「公務員は定時で帰れて贅沢だ」とお門違いの八つ当たりに出たり、「弱肉強食が世の習い、日本は資本主義なんだから仕方無い、それに文句を言う奴は怠け者だ」なぞと言って、そうやって自らの不甲斐なさを誤魔化しているだけじゃないか。実際に、今までもそういう人を何度も見てきました。自分が「働く機械」、モノ扱いされているのに何も言えずに、「女性は産む機械」発言の柳沢厚労相(当時)を露骨に擁護した前任地の所長などを筆頭に。

(注)尚、だからと言って、今の北朝鮮・中国を擁護する気は毛頭ありませんので。あんな国は、もはや社会主義でもなければ労働者の国でもない。私がここで問題にしているのは、あくまでも、自らを誤魔化すために北朝鮮・中国批判に便乗する、上記のような人たちです。以上、念のため。

 「日本社会が右傾化した、保守化した」と言われるようになって、大分経ちます。しかし、本当に右傾化・保守化したと言えるのか。私も、かつてはそう捉えた時期がありましたが、今は「必ずしもそうではない」と思うようになりました。何故なら、本当に「日本が右傾化した、保守化した」というのであれば、「維新政党・新風」や「たちあがれ日本」などはもっと議席を得ている筈ですし、安倍政権が退陣に追い込まれたり、麻生政権・自民党があのようなブザマな敗北を喫して政権交代に至るような事は無かった筈です。
 確かに、現象面だけを見れば、田母神俊雄(元自衛隊空幕長)の講演会が人気を呼んだり、佐藤正久(イラク派遣自衛隊の「ヒゲの隊長」)なんかが国会議員に当選したりもしていますが、それはニュースなどで取り上げられマスコミで話題になったからに過ぎません。かつての「蟹工船」「派遣村」ブームと同様の、一時の盛り上がりでしかない。前者との違いは、これら「右」のブームは、財界筋・スポンサー企業からの資金力をバックに持つ右翼・御用メディアの影響力が、「左」のそれよりも遥かに大きく、どんな小さな本屋にも「正論」「諸君」「WiLL」などの右翼雑誌が置かれているが為に、恰も「猫も杓子も右に靡く」ように思わせられている所にあるのではないか。
 その「正論」以下の雑誌にしても、かつて60~70年代に「朝日ジャーナル」や「本多勝一」「小田実」が一世を風靡したのと、同じでしかないのではないか。「全共闘運動・大学紛争」や「公害反対運動・革新自治体」華やかなりし当時も、一番力を持っていたのは、今よりも遥かに強かった自民党でした。

 その当時は、少なくとも「派遣村」や「ネットカフェ難民」の惨状はありませんでした。携帯やパソコンやコンビニもありませんでしたが、国民は、それなりに総中流時代を満喫していました。当時も、実際には、シングルマザーやパート労働者、中・高卒者や中小企業従業員、沖縄などの地方出身者や在日コリアン・外国人と、大企業社員との間の格差は厳然としてあった訳ですが、それは大多数の国民の目からは隠されていました。
 その当時から比べたら、今は誰の目にも貧困の実態が明らかになっています。これは聞いた話ですが、某大手製パン会社では、部署によっては、通常の昼勤者が夜もそのまま、翌日の昼過ぎまでぶっ通しで働かされている所があるのだとか。それだけ働いても、残業手当が出るのは10時間か20時間分までで、後はひたすら只働きなんだとか。そんな所ですから慢性的な人手不足で、勤務シフトもまともに組めず、次の休みも前日にならないと決まらないのだとか。そんなブラック会社とっとと辞めればいいのにと、普通は思うのでしょうが、もうそういう環境に染まってしまうと、逃亡するパワーも失せてしまうのだとか。(私の生協時代末期もそれに近い状態だった)
 ちなみに、その人は、正社員とパート・バイトの間にいる準社員です。パート・バイトとは違い、社会保険には一応加入し、給与も20万円前後はあるようなのですが、勤務時間が半端じゃない、でも辞めない。で、その話をした同じ会社の準社員も、自分も1日12時間以上も働かされているのに、「その昼夜ぶっ通しで働かされている人と比べたら、まだ自分はマシだ」とか、実際には昇格の望みなぞ殆どないのに「ひょっとしたら準社員から正社員に昇格できるかも知れない」と言って、辞めないのだとか。

 以上は、私が行きつけの鍼灸医さんから、患者さんの話として聞いたものです。まるで感覚が麻痺していますね。実際、鍼灸医さんがその患者さんと話をしていた時も、話がまるでかみ合わなかったそうです。その会社の名前を聞いて驚いたの何の、何と私も以前バイト面接を受けた事のある企業でした。不採用だったのか、当時二股も三股もかけて職探しをしていた私が、他に内定を得てその会社を蹴ったのか、大分前の話なのでもう忘れましたが、何にせよ採用されなくて良かった。そんな会社に採用されようものなら、それで数ヶ月無駄な人生を過ごす所でした。それどころか、下手したらその会社に殺されていたかも知れません。
 そんな会社、誰が考えてもオカシイと思うのが普通でしょうが、でも一旦そんな環境下に置かれてしまうと、それで当たり前のように思ってしまうのです。或いは、オカシイと思いながらも、抗う事の出来ない宿命であるかのように、それを受け入れてしまうのだとか。

 以上、話が少し飛びましたが、今の日本社会の右傾化・保守化現象も、案外これが本当の姿ではないでしょうか。それは決して、今までの自民党政治が支持された訳でも、安倍や田母神が支持された訳でもない。「もうこれ以上良くならない」「ひたすら今よりも、他のもっと悲惨な誰それよりも悪くならないことを祈るのみ」と現状にしがみついているだけではないか。そんな諦めと奴隷根性が、「大勢順応」とか「勝ち馬に乗る」という形に靡くのが、パッと見には、恰も社会が右傾化・保守化しているように映っているだけではないか。
 何のことは無い、北朝鮮や中国を一党独裁だと非難している日本人も、奴隷根性に囚われているという点では、彼の国の国民とも本質的には何ら変わらない。寧ろ、ストライキに立ち上がっている中国の労働者の方が、よほど元気がある。そう思うと、表面上の「右傾化・保守化」よりも、日本社会を蝕む奴隷根性の病巣のほうが、もっと根深く手ごわいのではないか。それを改めて実感させられました。

※当初の投稿(2010-10-07 23:50:24)に、更に手を加えました(2010-10-10 08:23:56)。
コメント (4)
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