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社畜の奴隷根性が新自由主義をはびこらせる

2010年10月13日 01時00分36秒 | 職場人権レポートVol.1
  
 いよいよ本日から個人別に作業日報をつける事になった。「従業員各個人の一日の仕事の流れを時系列で洗い出し、業務配分や人員配置のムダ・ムラを無くす」のだそうだが、「冗談も大概にしろ」と言いたい。
 日報を書く時間もないのに、どこにそんな「ムダ」があると言うのか。「乾いた雑巾を更に絞る」ような真似をするな。
 業務配分や人員配置にムラが出来るのも、社員が適切な指示をろくに出せずに、仕事を全部バイトに丸投げしているからではないか。そこが改まらない限り、我々バイトの作業を幾ら洗い出してもムダだ。問題はバイトの作業効率ではなく社員の姿勢にある。

   
 この野菜ドーリの仕分けにしてからが、そうじゃないか。緑色のケースに入った商品を、ドーリという台車に乗せて店別に仕分けし、ハンディ・ターミナル(右上写真)で商品・店名ラベルのバーコードを読み取って、出荷していく作業なのだが、「先に全部商品を撒いてから、後でハンディで読み取った方が、効率が良い」という事でやり方を変えた所、かえって混乱。
 そりゃあそうだろう。毎日2千ケース近くも入荷するのに、ハンディの読取りを後回しにしたら、読み漏らしが多発するのは当然。現場を知らずに、頭の中だけで目先の成果を追うから、そうなるのだ。正に「ロジ・ジョンイル」を地で行く話だ。

  
 午後から「あわしま堂」という和菓子メーカーの商品が入荷したが(上左)、当日の入荷予定表には載っていなかった(上右)。こんな事は今までも日常茶飯事だった。その結果、従業員が今までどれだけ不意の残業を強いられてきたか、上は知っているのか。
 これもこれも全て、元請スーパーやその子会社の所で、入荷コントロールが全然出来ていないのが原因ではないか。それを棚に上げて、下請けの我々の「作業効率」の問題に責任転嫁しようったって、そうは問屋が卸すか。

   
 住宅地にあって、夜間納品時の騒音クレームを避けるために、静音仕様の備品に積んで出荷しなければならない店舗が幾つかある。上記のカート(台車)も、えんじ色の通常カートとは別に、静音仕様の白色カートがあるのだが、前者と後者とはどう仕様が違うのか、片っ端から社員に聞いても、誰もまともに説明出来なかった。それでようよう聞けば、「白カートには緩衝用のゴムが横に付いている」のだそうだ。それがこの写真なのだが、どう見ても気休めでしかない。しかも、台車の足回りは今までのものと全く変わらない。台車同士が擦れ合えば、幾らでも騒音が発生する。かと言って、そんな事を気にしていたら仕事にならない。

 以上、一事が万事「頭隠して尻隠さず」「行き当たりばったり」の「責任逃れ」なのだ。それもこれも、現実を無視して、頭の中だけで「目先の効率」ばかり追うからだ。最初の「個人別作業日報」にしても、次の「商品先撒き、後でハンディ・スキャン」の彌縫策(びほうさく=小手先のつじつま合わせ)にしても、全てはそんな発想の為せる業だ。
 その基を正さなければ何も変わらないのに、奴隷根性のウチの社畜社員は、元請やその子会社が怖くて何も言えない。これが「個人別日報」や「野菜ドーリの仕分け」だけに止まっているうちはまだ良い。しかし、それが牛乳の自前仕分けで、従業員に腰痛が多発するようになっても、同じように「頭隠して尻隠さず」「行き当たりばったり」の「責任逃れ」で済ますつもりなのか。

 標題に掲げた「新自由主義」こそが、そんな「目先の効率、採算性、会社の金儲けだけ」を重視する考え方なのだ。この数十年来、何でも採算ベースだけで、「官から民へ」と言うことで、病院や保育所などの民営化が進められただろう。その最たるものが国鉄分割民営化であり、郵政民営化だった。
 その結果どうなった。JRで言うと、民営化当初こそ多少サービスが向上したものの、そんなものは「騙し絵」にしか過ぎなかった。その陰で、ATS設置などの安全面への投資は、採算ベースに合わないからといって、軒並みカットされていった。そして無理なダイヤ改正が強行され、運転士には「日勤教育」の恫喝が加えられた。その行き着く先が、数年前のJR尼崎事故だったではないか。

 翻ってウチの職場はどうなのか。元請スーパー資本による「目先の利益追求至上主義」といい、下請け社員の「何でも言いなり奴隷根性」といい、その両者が合わさっての「労働者をモノ扱い」といい、JRの体質と瓜二つじゃないか。
 勿論、この資本主義社会で、企業として存続していかなければならない以上、儲けを度外視する事は出来ない。しかし、それは「労働者・消費者・取引先あっての儲け」でなければならない筈だ。労働者の犠牲の上に胡坐をかいた利潤追求の姿勢は、やがては下請け虐めや、消費者をも省みない耐震偽装や日付・産地偽装などの犯罪行為を生み出すに至り、最後には企業そのものの存続をも脅かすようになる。
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