アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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母が亡くなった今だからこそ敢えて書く

2012年05月18日 07時16分21秒 | 当ブログと私の生い立ち

 最初の記事を書いた数時間後に再び母の容体が急変し、再び取るものもとりあえず早暁の病院に駆け付けたものの、緊急治療の甲斐もなく、5月15日午前7時33分に母は永眠しました。享年83歳。遺影写真ではもっと若く見えますが、あれは60歳ぐらいの健康だった時のものです。
 倒れてから亡くなるまで、あっという間でした。告別式が終わった今でも、ひょこっと何食わぬ顔で現れるような気がしてなりません。家族全員に見守られながら天国に旅立って行ったのが、母のせめてもの救いだったのではないかという気がします。この後も色々やる事はあるのですが、初七日法要も一応終え、今日からは職場にも出勤しなければならないので、その前に想う所を幾つか書き残しておきたいと思います。

 葬儀の時は意外と冷静で涙も出なかった私ですが、日が経つに連れてやはり寂しさがこみ上げてきます。14日の朝までは、普通に朝食の準備をして、普通に家族と会話もしていたのですから。ただ、当日の朝出勤間際に最後に会話を交わした父の話によると、やはりいつもよりは少し疲れ気味の様子でした。

 母は昔から粗食で、肉や魚は殆ど受け付けません。動物性蛋白は僅かに卵やちりめんじゃこ、蒲鉾、大豆・豆腐類などから取るのみでした。そういう意味では、心筋梗塞などでの入院歴もある父とは違い、寧ろ長生きすると思われていましたが、今から思うと、やはりそれが仇となってしまったようです。ヘルシーな野菜中心の食生活も、過度に偏ると代謝機能に支障をきたします。母も慢性的な低血圧(貧血)で、身体がそれに慣れてしまっていたのでしょう。
 加えて、昔気質で人に頼るのを嫌い、医者にもなかなか通おうとしませんでした。その為に、代謝機能の衰えから来る排便障害(慢性便秘)にも「何とかなる」と思い続け、何かの切っ掛けで併発した小さな腸内出血が致命傷となってしまったのでしょう。宿便で胃カメラによる詳しい検査も出来ない中で、とにかく輸血と人工呼吸で体力回復を待つしかありませんでした。事後の死体解剖も母の事を思うととても承諾する気にはなれず、詳しい死因は結局分からず終いですが、多分それが原因だったように思います。

 昨今、老人の孤独死や若い世代でも過労自殺などのニュースがマスコミを賑わしていますが、これらの場合も母と同じく、最期まで人に頼らず、自分だけで何とかしよう、何とかなるだろうと、ギリギリまで我慢していた為に起こったものです。そうかと思えば、救急車をタクシー代わりに使うなどの事例も聞きます。この事例については、実際は救急搬送のたらい回しも頻発しているように、マスコミがセンセーショナルに取り上げている嫌いが多分にあるでしょうが、若しこれが真実であるなら、これも間違った態度です。
 前者は個人に「ひたすら自分に我慢を強いるだけ」、後者も「自分さえ良ければ良い」という考え方の現れだと思います。両者とも「自己中心の視野狭窄」という意味では「どっちもどっち」でしかない。本当はそんな「ひたすら我慢」や「自分さえ良ければ」ではなく、「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」でなければならない筈です。

 しかし日本はそうではない。政治家や経営者は、国家や企業への「滅私奉公」を説きながら、当の自分たちは思いっきり「私利私欲」にまみれ、しかもその罪を「バラマキ福祉」や戦後民主主義になすり付けるという、マッチポンプの大罪を犯し続けています(例:石原慎太郎「津波で我欲洗い流せ」発言)。しかし、今求められているのは、「ひたすら我慢」だけを説く「頑張ろう日本」キャンペーンでも、「私利私欲」の拝金主義を誤魔化す為の「努力した人が報われる(報われないのは個人の自己責任)」でもない。「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」でなければならない筈です。それが生存権という事であり、社会保障にも繋がる考え方である筈なのに、昨今はすっかり顧みられる事がなくなりました。その為に、孤独死や過労自殺がここまで蔓延する格差社会になってしまったのです。

 その自分たちの不甲斐なさを棚に上げて、例えばギリシャの債務危機についても、やれ「4人に1人が公務員の国民が怠け者だからあんな国になった」と言わんばかりの議論が横行していますが、アホかと思いますね。とかく言われている彼の国の縁故政治の蔓延も、国を牛耳っていた財閥や政治家が、己の私利私欲を誤魔化す為に、国民を「アメとムチ」で黙らせてきた結果でしょう。つまり原発立地の交付金で地方を黙らせてきた日本と同じです。そんな事をされながら、まだその「アメとムチ」の支配構造をそのままにして、「放射能が移る」と福島県民を差別しながら「それでも原発は必要だ」とほざく、そんな情報操作に騙される日本国民よりも、選挙でストレートに「アメとムチにNO!」を突き付けているギリシャ国民の方がよっぽど立派です。

 今後は高齢の親父と二人三脚で、残されたこの家を守っていかなければなりません。二人とも仕事があるので、死亡届や母の預金の名義変更などの事後処理は主に父が行い、洗濯などの家事全般を私が担う事にしました。食事はもっぱら外食・中食・宅配に頼らざるを得ません。それでもコンビニ食は避け、少しでもまともな食生活を心がけようと思っています。幸い、母が残してくれた即席・レトルト食品の在庫が大量に残っており、当面はそれも活用していくつもりです。その何倍もの賞味期限切れの食品があり、その整理・処分に追われていますが。綺麗好きの母でしたが、やはり年老いてからは家事の細かい所までは手が回りかねたのでしょう。
 以上、一区切りつける意味もあって、「忙中閑あり」の時間の合間に、徒然なるままに書いてみました。

コメント (5)
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